第598話 飛鳥くんとあかりちゃん
あかりのアパートにて──
大学から帰宅したあと、あかりは、飛鳥のメッセージに気付いて、すぐに返信を打った。
【今から、行ってもいい?】というシンプルな飛鳥の言葉に【いいですよ】とシンプルな返事を返す。
ほんの二週間ほど前まで、あかりは飛鳥からきたLIMEを無視する日々を送っていた。
でも、もうそんな無理をすることもないのだと気づき、あかりは自然と笑みをもらす。
(ちゃんと返事が打てるって幸せだなぁ……)
当たり前のことなのに、無理をしていた期間が長かったからか、それすらも大きな喜びとなって胸を温めた。
それに、今日は会えないと思っていたから、わざわざ会いに来てくれるのが、純粋に嬉しかった。
(来たら、お礼を言おう。今日は大変だっただろうし)
大学の中は、予想通り大混乱!
誰もが、神木君の思い人は誰なのかと、気にしていた。
だが、そんな危機的な状況の中でも、必死に守ってくれているのが人づてに伝わってきた。
私が、危険な目に遭わないように、誠心誠意、答えてくれていた。
(私、本当に、神木さんの彼女になったんだなぁ)
未だに実感が薄いのは、これまでと大きく変わったことがないからだろう。
大学では、噂がおちつくまでは、極力接触しないようにしようと二人で話したため、今までと変わらない。
電話で話す時も普段通りで、まだ友達みたいな関係だ。
「あ。でも、神木さんがうちにくるの、女装した時以来だ」
ざっと見積もって、4ヶ月ぶりくらいだろうか?
5月に、バイトの合格祝として、わがままを聞いてもらった時以来だ。
しかも、正式に付き合ってからは、あかりがバイト帰りに神木家に立ち寄っていたため、飛鳥があかりの家に来るのは、4ヶ月ぶり。
なにより付き合ってからは、初めてのことだった。
(なんだか、緊張してきた……っ)
もう何度と家に上げているのに、彼氏に昇格しただけで、ここまで緊張するものなのか?
だが、部屋はしっかり片付けたし、見られちゃいけないものも置いてないし、お客様を迎えられる状態にはなっている!
そう、つまり招く準備は万端!
それなのに緊張だけがどうしても解けず、あかりは気を紛らわせようと、ローテーブルの上に置いていたパソコンの前に座り込んだ。
ベッドを背もたれにして、画面をスルスルとスクロールする。
(引っ越し先、どうしよう?)
大学から帰った後、あかりは、ずっと引っ越し先を探していた。
開きっぱなしになっていたパソコンの画面には、賃貸物件の情報サイトが映しだされていて、あかりは、その画面を見ながら、ため息をついた。
両親と相談し、近いうちに引っ越しをした方がいいという話になったのだが、時期的なものなのか、なかなかコレだ!という家が見つからず、物件探しは難航しているようだった。
「うーん、ここは家賃が高いし、こっちは一階だし」
女性の一人暮らしとなると、何かと考え物である。
治安の良し悪しだけでなく、住居の安全面にも考慮しないといけない。
だからか、あかりは、次の住まいを、ずっと決めかねていた。だが、その時──
──ピンポーン。
不意にインターフォンがなって、あかりはびくっと肩を弾ませた。
(き、来たのかな!?)
あかりが立ちあがり、モニターに映し出された人物を確認すると、そこには、恋人である飛鳥が映っていた。
*
*
*
──ピンポーン。
大野さんと別れた後、あかりの住むアパートにやってきた飛鳥は、辺りに誰もいないのを確認した後、呼び鈴を鳴らした。
ここに来るまで、誰かにつけられていないか、気を付けながらやってきた。
万が一にでも、恋人の家を特定されたら困るからだ。
大学で、できる限りの対処はしたし、噂は終息へ向かうだろうが、落ち着くまでは、もうしばらくかかるだろうし、一部のヤバいファンが嫌がらせをしないとも限らない。
だから、細心の注意を払いつつも、いつかはバレだろうと思う。
なにより、隠したいわけでもなく、本来なら隠す必要すらないのだ。
だから、噂がある程度落ち着いたら、普通に過ごそうと思っている。
「こ、こんにちは!」
「……!」
玄関が開くと、あかりがひょこっと顔をだして出迎えてくれた。
どこかぎこちない照れた表情が新鮮で、飛鳥は自然と笑みを漏らした。
「ごめんね、急に」
「いえ、会えて嬉しいです。どうぞ、あがってください」
そう言われ部屋の中に入ると、ひやりと涼しげな空気を感じた。
9月とはいえ、まだ外は暑い。
だからか部屋の中が、とても心地いい。
そして、それと同時に感じたのは、優しい香りだった。
(……あかりの匂いがする)
玄関で靴を脱ぎながら、ふとそんなことを思った。
あかりを抱きしめた時と、同じ香りがする。
それは、あかりの髪の匂いなのか、はたまた化粧品なのかはわからないが、その優しくて甘い香りに、飛鳥はどこかほっとする。
(そういえば、付き合ってからあかりの家に来るのは、初めてだっけ?)
久しぶりに来たからか、心なしか緊張した。
今の二人の関係は、もう『友達』ではない。
将来を誓い合った仲で、正式に『恋人』同士になった。
だからか、少し軽率だっただろうか?と、急に来たことを、飛鳥は悔い改める。
(あかりは、二人っきりになって大丈夫だったかな? でも【いいですよ】って返事が来たってことは、大丈夫ってことだよね?)
「神木さん。大学は大丈夫でしたか? 今日一日、大変でしたよね?」
「……!」
すると、リビングに入った瞬間、あかりが心配そうに見上げてきた。
いつも通り髪を編み込みハーフアップにしたあかりは、清楚めの品のある服を着ていて、とても可愛かった。
部屋の中も、前に来た時と大きく変わらない。だからか、その普段通りの空気を感じて、緊張していた心が、少しだけ解れる。
「大丈夫だよ、俺は。あかりは? 怖い思いはしなかった?」
心配するあかりを見つめて、飛鳥が優しく問いかけた。すると、あかりは、花のような明るい笑顔を浮かべて
「はい、大丈夫です。朝行ったら、大学中があの噂で凄いことになってましたけど、神木さんのおかげで、みんな探すの諦めたみたいで……ありがとうございます!」
「そっか、じゃぁ、上手く牽制できたのかな? でも、気は抜かないようにね。俺のファン、時々変なのが湧くらしいから」
「ッ……わ、わかってます。だから、護身術の練習だって頑張ってるんですよ?」
飛鳥の指導をうけつつ、必死に護身術の練習をするあかりは、とても健気だった。
俺と一緒にいるために、あかりはあかりで、頑張ってくれてる。
「なんなら、今日も練習する?」
「はい。お願いします!」
「あれ?」
だが、その瞬間、ローテーブルの上にパソコンがあるのに気づいて、飛鳥は首を傾げた。
「ごめん、勉強中だった?」
「いえ。今、引っ越し先を探してて」
「あぁ、どこかいいところあった?」
あかりがパソコンの前に正座すると、飛鳥もその横に座り、一緒に画面を覗き込んだ。
よく見る賃貸情報サイトだ。そして、そこには単身者向けの物件がいくつか並んでいた。
「ずっと探してはいるんですけど、なかなかいい物件が見つからなくて」
「そう、条件は?」
「うーん、できれば、二階以上の物件がいいかなーと。あと、バイト先の喫茶店と大学から近い場所にある物件がいいなと思ってはいるんですが、駅近の物件は、どこも家賃が高くて」
「あー、そうかもね。予算は、いくらくらい?」
「できれば、今住んでる所と同じくらいにしたいです」
あかりの話を聞きながら、飛鳥もパソコンを操作しながら考える。
女の一人暮らしは何かと物騒なので、部屋探しにも慎重になる。
窓からの侵入を考えたら、一階なんて論外。二階、いや、できるなら三階以上の物件が望ましい。
それだけじゃなく、比較的女性が多い物件がいいかもしれない。特に、両隣が男性になるのは避けたい。
第二の大野さんが現れる場合もあるし、そうなったら、何のために引越ししたのか分からない。
(あ……でも大野さんは、もう諦めてくれたみたいだし、急いで引っ越しする必要はないのかな?)
さっき、大野さんと話をして、しっかりケジメをつけたのが分かった。
なら、もうあかりを怖がらせることはないだろうし、急いで、家を探す必要はないのかもしれない。
なにより、納得のいかない物件を慌てて選ぶよりも、納得がいくまで、じっくり探した方が絶対にいいだろう。
(俺も一緒に探してあげたいけど、今月末に公務員試験を受けるし、今はちょっと忙しいんだよな)
試験目前のため、少々、余裕がない。だから、急を要しなくなったのは、むしろありがたいことだった。
とはいえ、可愛い彼女が、いつまでも一人暮らしをしているのは、心配でもあって……
「ねぇ、あかり。ひとつ提案があるんだけど」
「え?」
飛鳥の言葉に、あかりは自然と目を向けた。
すると、思いのほか、距離が近かったことに気付いて、あかりは頬を赤らめた。
(こ、こんなに近かったんだ……っ)
身体が触れることはないが、普段よりも声が近くて、はっきりと聞こえる。
だが、そりゃそうだ。
一緒にパソコンを覗き込んでいたのだから。
そして、その距離に急に恥ずかしさがこみ上げてきて、あかりは戸惑うが、それでも必死に平静を装い話しかけた。
「提案って、なんですか?」
あかりが、小首を傾げながら飛鳥を見つめる。すると飛鳥は、あかりを愛おしそうに見つめながら
「俺と、一緒に暮らさない?」




