第595話 あかりちゃんと安藤さん
「この前のLIME、返信できなくてゴメンね?」
顔を合わせるなり、あかりは申し訳なさそうに、そう言った。
夏祭りの次の日、安藤からLIMEがきた。
水族館の帰り道でのことだ。
そして、そのメッセージには
【あかり、神木先輩のこと聞いた?】
と言うシンプルな言葉が表示されていて、あかりは返事に困り、結局、返せないままになっていた。
だからこそ、申し訳ないと思い既読スルーしたことを素直に謝れば、安藤は、特に気にしてないとでも言うように
「あー、大丈夫大丈夫! こっちこそ、急に変なこと聞いてゴメンね?」
「うんん。でも、なんで急に神木先輩のことなんて」
「あ、それは……っ」
だが、あかりが問い返した瞬間、今度は、安藤が言葉を噤んだ。
少し困ったような、それでいて、迷っているような複雑な表情。
そして、その反応に、あかりが首を傾げると、安藤は、そっとあかりの方に身を寄せて
「ちょっと、耳貸して?」
「え?」
その言葉に、あかりは瞠目する。
耳を貸してとは、内緒話がしたいと言う意味だろう。
だが、耳を貸すその行為に、あかりはわずかな躊躇いをみせた。
なぜなら安藤は、今、あかりの右側に座っていた。そう、聞こえない右側だ。
きっと、健聴者なら、このまま右耳を近づければいいのかもしれないが、あかりの場合、左耳を近づけなくては内緒話ができない。
だが、貸してと言われて断るのも変だし、あかりは、違和感を持たれるかもしれないと思いつつも、まるで後ろを見るように体をねじり、聞こえる左耳を安藤に近づけた。
「?」
だが、その動きに安藤は当然のごとく違和感を持った。
そして、数秒考えたために、行動が遅れる。
だが、その後しばらくして状況を理解したらしい。安藤は、話したかったことではなく、今気づいたことを、先にあかりに訊ねた。
「もしかして、あかりって……片方、聞こえない人?」
「……ッ」
その言葉に、あかりはぴくりと反応する。
やっぱり、おかしいよね!?
耳貸してと言われて、この動きをするのは!?
だが、別に隠しているわけではないし、気付いたのなら素直に打ち明ければいい。あかりはこくんと頷きながら
「うん、聞こえない」
「やっぱり、そうだったんだ」
「え? やっぱり?」
「あー、実はこれまでも、なんとなく違和感は持ってたんだ。聞き取れてないことも、よくあったし、聞き間違いもあって、なにより、うちの親と同じ反応するからさー」
「親?」
「うん。実は私の母親も、片方聞こえないの!」
「──え?」
その言葉に、あかりは目を見開いた。
知らなかった。
安藤さんのお母さんが、私と同じ一側性難聴者だなんて。
「そ、そうだったんだ」
「うん。母は左耳が聞こえなくてね。だから、あかりと話してて、もしかしたらって思ってたんだけど、間違ってら悪いさ。でも、さっき仕草で確信したっていうか」
「……あ、それで」
飛鳥の噂話で盛り上がる中、あかりと安藤は、小さく身を寄せあいながら、内緒話をしてていた。
そして、あかりは、安藤と話ながら思った。
(……お母さんがそうだってことは、安藤さんは、片耳難聴の人が産んだ子供なんだ)
自分と同じ立場の人。
そして、自分と同じ立場の人が、産んだ子供。
(もし、安藤さんのお母さんが、私と同じように子供を持つことを諦めていたら、安藤さんは生まれてこれなかったってことだよね)
そして、その事実を垣間見て、あかりは改めて反省する。
飛鳥にも言われた。
『これから産まれてくる子供の未来を、俺たちが勝手に「不幸」だと決めつけちゃダメだよ』
本当に、その通りだと思った。
人の未来を勝手に不幸になると決めつけるなんて、酷く傲慢な考えだ。
なにより、安藤さんは、とても素敵な女性だった。
地元から離れて、新しい生活が始まり、知り合いがほとんどいない時に、安藤が声をかけてくれた。
安藤がいなかったら、あかりは、大学で友人なんてできなかったかもしれないし、味気ない大学生活を送っていたかもしれない。
だからこそ、安藤に出会えてよかったと、心から思う。
そして、出逢えたのは、彼女が生まれてきてくれたおかげだ。
「ありがとう」
「え?」
「私、安藤さんと、お友達になれてよかった」
「ちょ、何よ、急に……っ」
ふわりとあかりが嬉しそうに微笑むと、安藤は、驚きつつも頬を赤らめた。
そして、微かに恥じらいながら
「あ、私がこっちにいたら聞き取りづらいよね」
そう言った安藤は、あかりの左側に移動し
「じゃぁ、もういっかい、耳かして!」
と、再びあかりに耳を貸すよう言ってきた。
「え? また? 聞きたかったのは難聴のことじゃ」
「違うよ。私が聞きたかったのは、それじゃない」
「そうなんだ?」
一体、何を聞きたいのだろう?
あかりは、ドキドキしつつも、今一度、安藤に右耳を寄せる。すると安藤は
「あかりだよね。神木先輩の好きな人って」
「!?」
それは、あまりにも衝撃的な言葉だった。
そして、あかりの額にはジワリと汗がながれ、同時に顔色が真っ青になる。
「ど……どうして、そう思うの?」
「この前、大学で声かけられたことがあったでしょ? あかりは『人違いです』と言って逃げちゃったけど」
「あ……」
それは、数ヶ月前のことだ。
女装した飛鳥を振った数日後のこと。なんと、これまで一切大学で話しかけてこなかった飛鳥が、突然話しかけてきたことあった。
『あかり、おはよう〜♪』
なんて言って、満面の笑顔で。
そして、その時、安藤も一緒にいたのだが、飛鳥が、あかりに家に行ったことを暴露しようとしていたため、あかりはとっさに『人違いです!』と言って、飛鳥の前から逃げ出した。
そして、その日のことを振り返りながら、安藤が話をする。
「神木先輩も話を合わせてたし、あの時は私も一旦は飲み込んだけど……家まで行ったことある相手を間違うわけないし、あの後、神木先輩、あかりが逃げて行った方に走って行ったし。もしかしたら、好きな人って、あかりかなって」
「……っ」
耳元で、ヒソヒソと話しているため、その内容はあかりにしか聞こえていない。
だが、今だに講義室の中では、飛鳥の噂でいっぱいになっていて、あかりの脈拍は、ドクンドクンと跳ね上がっていく。
バレた!完全に!!
あの日、少し話しかけられただけで、安藤さんにバレてしまったのだ!
「あ、あ、あの、安藤さん……ッ」
すると、あかりは、顔を真っ青にしながら
「それ、誰にもいわないで」
「大丈夫だよ。誰にも言ってないから」
「本当?」
「うん。この噂の広まり方、かなり異常だし。この前、LINEしたのも、あかりのことが心配で」
「そうだったんだ」
どうやら、飛鳥の想い人を探るためではなく、あかりの身を心配して、連絡をしてきたようだった。
それなのに、既読無視をしてしまうなんて──
「ごめん、本当に。心配してくれてたのに、返事すらせず」
「いーよ、いーよ。返す言葉に困ったのもあるだろうし」
「……う」
そのとおりだ。ある意味、安藤は、全部お見通しだったのかもしれない。
「それで、あかりは、どっちなの?」
「え?」
「だから、好きなの? 嫌いなの?」
「……っ」
すると、話は一番大事で、一番知られてはマズイことに触れてきた。
それは、神木先輩のことを、好きなのか、嫌いなのか、どっちなのということ?
飛鳥の好きな人が、あかりだと確信したからこそ、あかりの気持ちを確認しておきたいのだろう。
そして、その言葉に、あかりは迷う。
(本当のこと、言っていいの?)
言ったが最後、話が更に拡散し、特定されてしまうのでは?
だが、それは安藤を信じていないのと同じで、あかりは、せっかくできた友人を疑いたくないとばかりに、話す決意をする。
なにより、もう彼のことを『嫌い』だと言いたくない。
「……好き」
「え? じゃぁ、もう付き合ってる?」
「……ぅん」
「マジか」
あかりの蚊の鳴くような声を、しっかり聞き取り、安藤は、とんでもないものを目にしたとばかりに、大きく目を見開いた。
これは、ある意味、大事件だ!
大学一の人気者である神木 飛鳥先輩の恋人が、まさか自分の友人だったなんて──
「ちょっと、みんな聞いてよー!!」
すると、その瞬間、ある女子が駆け込んできた!
安藤とも仲が良く、神木先輩のファンだと自称する、青木さんだ。
そして、青木さんは、高らかに声を上げながら
「神木先輩の続報、きたよー!!」
「マジで! 聞きたい!!」
「さっき神木先輩が、大学に来て、先輩たちが、根掘り葉掘り聞きだしてくれたの! そしたら、あの噂、やっぱマジなんだって! しかも、神木先輩の方がベタ惚れで、何度も何度もフラれて、やっと付き合ってもらえたんだって!」
「嘘!? じゃぁ、もう付き合ってるってこと!?」
「付き合ってるだけじゃないよー! もう結婚まで考えてるのー!!」
「ちょ、結婚って!?」
「じゃぁ、本当なんだ、結婚したいくらい好きな人がいるって」
「やだー、信じられない!」
「つーか、誰なのよ! その神木先輩を何度もフリまくった、不届き者は!?」
(こ、怖い…っ)
ファンたちの会話はヒートアップし、あかりは、身を固くしながら脅えていた。
怖い! 怖すぎる!!
今すぐにでも、ここから逃げ出したいくらいに!
だが、それをすると不自然だし、ここから動くことすらできずにいると、その殺伐とした空気感じとった安藤も、顔を真っ青にする。
その盛り上がりようは『今から、その女を血祭りにしてやろうじゃないか!』といいくらいの気迫を感じた。
そして、案の定、ファンは『絶対、見つけ出してやろう!』と言い出していて、さすがに、心配になった安藤は、みんなを宥めに入る。
「ちょっと、みんな! 落ち着こ」
「ダメだよ! その女は、絶対に探しちゃダメ!!」
「え?」
だが、そんな安藤の声を遮り、青木が再び声を上げた。そして、青木は、酷く神妙な面持ちで
「その子に探し出すのは、やめた方がいいと思い。というか、絶対に探しちゃダメ!」
「な、なんでよ……っ」
「神木先輩、こう言ってたの『俺の彼女に、変なことしたら許さないよ』って。もし、私たちが、その子を特定して、神木先輩の彼女に万が一のことがあったら、神木先輩、烈火のごとく怒ると思う! そして、そうなったら、私たちは、社会的に終わる!!」
社会的に終わる!?
なんだ、その物騒な話!?
「いやいや、いくらなんでも大袈裟でしょ!」
「大袈裟じゃないんたよ! それだけ惚れてんの、神木先輩が! だから、絶っっ対に邪魔しちゃダメだし、人生終わらせたくないなら、金輪際、彼女の話はしちゃダメ! みんな、わかった!?」
どうやら、怒らせたらヤバいという話は、ファンだからこそ、よくわかっているらしい。
推しである神木先輩から、直接、発せられた言葉の威力は凄まじく、あれだけ興奮していたファンたちも、次第に大人しくなる。
そして、その光景を見ていた安藤が……
「スゴッ……さすが神木先輩。拡散されないように、元凶たちを一気に黙らせたね」
「……そ、そうだね」
確かに、黙らせた。
もうバッサリと、問答無用で断ち切った。
だが、その一方で──
「はぁ~。でも、ついに彼女か出来ちゃったかー」
「いつか、こんな日がくるとは思ってたけどね。むしろ、これまで彼女がいなかったのが、おかしいくらいでしょ」
「でもさー。そこまで言ってくれるの神すぎない? 好きな人を守ろうとする神木先輩、ほんと素敵!」
「だよねー。本気で愛してるのが伝わるっていうか、強い意思を感じるっていうか、もう惚れ惚れしちゃう」
「まぁ、神木先輩が幸せならいいんじゃない。別に彼女がいても、かっこいいのも綺麗なのも変わらないし!」
「むしろ、一途すぎるの最高じゃん!」
「なんか神木先輩って、どんどん魅力的になっていくよね?」
「わかるー。誠実さが滲み出てるよねー。あんなにモテるのに、浮気とかもしなさそうだし。いいなー。あんなに素敵な男に愛されてる彼女がうらやましい~」
まさに鶴の一声!!
あれだけ、騒ぎになっていた噂が、瞬く間に引きはじめた。
そして、ここからは、"名前を読んではいけないあの人"なみに、"彼女を探してはいけない"と言う噂が、街中に拡散されていくのだろう。
そして、どんな状況に陥っても、落ちるどころか、さらに魅力を高め、人々を魅了してやまない飛鳥に、あかりはひどく感心していた。
(……相変わらず、すごいというか、人の心を掌握するのが上手いというか……なんか、結婚しても、神木さんの人気って衰えなさそう?)
妻がいようが、子が産まれようが、彼の人気は変わることなく、むしろ、もっと上がっていくのでは!?
そう、まさに天性の人たらしだ!!
そして、ずっと怯えていたあかりは、賑やかな講義室に戻りホッとしつつも、この先、平穏な日常は送れないんだろうな……と、飛鳥の人気ぶりを見て、改めて思ったのだった。




