第593話 華ちゃんと航太くん
手を引かれるまま、学校の廊下を二人で走り去る。
ドキドキと鼓動が加速していくのは、何故だろう?
手を繋いだ相手が、兄や弟ではないから?
(……榊くんって、いつも優しい)
困った時に、さりげなく手を貸してくれる。
それは、中学の頃から変わらない。
でも、その"優しさ"に"特別な意味"があったなんて、あの日までは考えもしなかった。
『好きになって、ごめん』
あの日、あの言葉を聞くまでは──…
「ここに、隠れてて!」
しばらく走って音楽室の前までくると、航太は誰もいない教室に華を隠した。
扉を閉め、辺りを確認する。
すると、その瞬間、ちょうど廊下を曲がった女子たちがやってきて、航太を見るなり話しかけてきた。
「榊くん! こっちに神木さん、来なかった?」
「…神木なら、あっちの方に走って行ったけど」
「マジでぇ! 神木さんって、ホント足速い!!」
ぜいぜいと息を切らしながら、3人の女子たちが落胆する。
飛鳥のファンから長年逃げ続けてきたからか、華と蓮は、学年でも1・2位を争うほど足が早い。
だから、追いかける方も必死なのだろう。
だが、それでもまだ諦めていないようで、懲りずに華を追いかけようとする女子たちに、航太は、冷ややかな声で話しかける。
「もう、やめろよ」
「え?」
ハッキリとした警告の声。
それは、音楽室の中でうずくまっている華にもしっかり届いた。
いつもより、強い口調。
そして、その声は、普段の柔らかな声とは違っていて──
「神木と蓮、困ってるだろ。いつまで迷惑かけるつもりだよ」
「べ、別に迷惑なんてかけてないし!」
「そうよ! ずっと追っかけてるわけじゃないんだから!」
「追っかけてるから、弁当すら、まともに食えなくなってんだろ」
「……ッ」
自覚がないのか、迷惑をかけてないと言い張る女子たちに、航太は、より強い口調で語りかけた。
二学期が始まって、もう二週間。
飛鳥の思い人が気になる気持ちはわからなくはないが、それにしたって、目に余る。
そして、臆することなく注意すれば、その瞳の真剣さが伝わったのか、女子たちは、バツが悪そうに目をそらした。
「し、仕方ないじゃん。私たち、失恋したんだよ! 告白すらできず、諦めなきゃいけないの! 相手がどんな女かくらい、教えてもらったっていいじゃん!」
「そうだよ! 失恋って、すっごく辛いんだから! 榊は失恋したことないからわからないだろうけど!!」
「あるわ、失恋くらい!」
勝手に『ない』と決めつけられ、思わず反論してしまった。
三年も片思いして、バレンタインの日に、しっかり終止符を打った。
それなのに、いまだに可能性のない想いを引きずってる情けないやつだ。
だが、さすがにヤバいと思ったのか、航太に怒られた女子たちは、その後、華を追いかけることはなく、逃げるように来た道を戻っていった。
そして、華に気づかれることなく、ことなきを得て、航太はほっとする。
(中村が言っていた、しつこい奴らって、アイツらのことかな?)
失恋のショックで、やけを起こしているのかもしれないが、それにしたって悪質だ。
(これで、諦めてくれたらいいけど……)
どこまで、今の忠告が響いたかはわからないが、それでも、華と蓮の日常が、早く穏やかなものになることを祈りつつ、航太は音楽室の扉を開けた。
「神木、大丈夫か?」
「うん、ありがとう」
扉の前で、ひっそり身を潜めていた華が、立ち上がり航太にお礼をいう。
助けてくれたことが、素直に嬉しかった。
だが、さっきの会話を聞いて、華は少し思うことがあった。
(榊くん、失恋したことがあるって言ってたけど、やっぱりアレ、私のことだよね?)
数ヶ月前のバレンタインの日。
榊くんに突然、謝られた。
『好きになって、ごめん』と。
きっと、私の態度が悪かったせいで、榊くんはフラれたと思っているんだと思った。
でも──
「あの、榊くん!」
なかなか落ち着かない鼓動を隠しながら、華は真っ直ぐに航太を見つめた。
ちゃんと、伝えなきゃいけないと思った。
前に葉月にも言われたのに、ずっと言えないままだったから──
「あのね、榊くん……その、前に私に……謝ったことがあったでしょ……好きになって……ごめんって」
「──え?」
瞬間、航太は大きく息を呑んだ。
いきなり、どうしたのか?
まさか今になって、その話を蒸し返されるとは思っていなかった。
「あ、えっと……っ」
頬が無意識に色づき、続く言葉に迷う。
すると、航太が困惑しているのがわかって、華は
「あの、謝る必要ないから!」
「え?」
「私が避けるような態度をとってたから、フラれたって思ったのかもしれないけど、私、フッたわけじゃないからね!」
「…………」
「あ、あの、だからね。何が言いたいかというと……蓮に変なこと言われて、ちょっと意識しちゃって、どう接していいのか分からなくなってただけで、好きになってくれたこと自体が嫌だったり、迷惑だったわけじゃなくて……あの、だから、その、フッたつもりはないし、榊くんが謝る必要はなくて! むしろ、変な態度をとって、傷つけてごめんなさい!」
やっと言えた。やっと謝れた。
必死に頭を下げながら、もっと早く、こうするべきだったと華は反省する。
だって榊くんは、謝らないといけないようなことは何もしてないんだから──…
「あの、本当にごめんね? 嫌な思い出を蒸し返すようなことして……でも、これだけは、伝えておきたくて……っ」
「あのさ」
瞬間、シンと静まる教室の中で、航太の声が響いた。
華が顔を上げれば、航太は真剣な表情で
「それは、まだ諦めなくてもいいってこと?」
「……え?」
諦めなくても──そう言われた瞬間、華は大きく目を見開く。
言葉の意味を理解するのに、少し時間がかかった。
だけど、じわじわと、その理解が追いつくと、華の顔は、まるで、ゆでタコのように真っ赤になる。
「へ? あっ」
待って、待って、待って!?
もしかして私、とんでもなく恥ずかしいことを言った!?
でも、そうだよね!
フッてないとか、謝らなくていいなんて言ったら、諦めなくていいと言ってるようなものだよね!?
「あ、あのね、その、えっと、あの、わ、私まだ! 愛とか、恋とか、よくわかってなくて!?」
「くッ」
「な、なんで笑うの!?」
「ごめん。スゲー、可愛いなぁと思って」
「……ッ!?」
狼狽える華を見つめながら、航太が愛おしいそうに微笑む。
緩む顔を必死に隠しながら、可愛いと目を細める航太の表情は、女子たちに注意していた時の雰囲気と全く違っていて、華の頬は、さらに赤くなる。
(ど…どうしよう、すごく恥ずかしい…っ)
声も出せないくらい胸が熱くて、体が、おかしくなったみたいに。
すると──
「神木」
「え?」
「俺、頑張るから」
そして、その囁きは、甘い響にになって、華の元へ届いた。
とても優しい声。
うんん、声だけじゃない。
その瞳も、そこ表情も
何もかもが、優しくて──
(榊くんって……こんなふうに笑う人なんだ……っ)
知らない表情に、トクントクンと胸の鼓動が駆け上がる。
とても嬉しそうに、それでいて幸せそうに笑う榊くんの顔が、とても素敵で
──もっと、見てみたいな。
と、華は心の中で密かに思ったのだった。
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自分の未来なんて、まだ想像がつかない。
どんな、大人になって
どんな人生を歩むのか?
でも、想像ができないのは
当たり前のことなのかもしれない。
だって未来は
ほんの些細なきっかけで
大きく大きく、変わっていく。
頭上に広がる、空のように
くるくると回る、風車のように
別れや出会いを繰り返しながら
想像もつかない方へ──…
でも、だからこそ
人生は面白いのかもしれない。
わからないからこそ、不安にもなるけど
わからないからこそ
未来には、夢や希望
そして──
たくさんの『可能性』が、広がっているのだから。
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