しあわせの会
陽介の母、静枝が狂い始めたのはまだ存命だった陽介の曾祖母に誘われて「しあわせの会」と言う宗教団体に入った頃だった。
物心がついたばかりの陽介に、「教祖様の教えは素晴らしい。教祖様の仰る通りにすれば間違いない」と熱く語り、陽介は母によって気がついた時にはしあわせの会に入信していた。
しあわせの会の他の信者と交流し、教祖様から「神託」を授かっている時の静枝は団体の名前の通り幸せそうで、母が笑っているならそれでいいか、と幼いながらに考えた。
教祖様の教え通りに動かなければヒステリックになる母を宥める為に、陽介も教祖様や母の言う通りに行動して生活していた。
大学に進学した時に、たまたま隣りの席になったなつきと出会ってから、「このままでいいのか?」と疑問に感じる様になり、3年の交際期間を経てなつきを両親に紹介した時の母は大いに荒れた。
なつきと交際を始めた頃に曾祖母が亡くなった事、しあわせの会の教えで小中の同級生だった矢口理沙と結婚し、子供を設ける事が佐倉家の繁栄な繋がると言われていた事も、母が荒れた理由だろう。
「仕置き」を受けた陽介は、なつきが子供を産んだ時、その子供が女の子だったら直ぐにでも離婚し、理沙と再婚するのであれば結婚を許す、と言う教祖様と母の発言をボンヤリと聞いていた。
なつきとの結婚と同時期に、次は父に異変が現れた。
まるで盛りのついた獣の様な有様で、理沙に触れている父と、「上手く行けば、あの田舎娘よりも先に男の子が産まれるわね」と喜ぶ母の姿はそら恐ろしいものだったが、陽介はそれを止める気力も無かった。
なつきが産んだ娘は、とても愛おしかった。
「男の子が産まれたら、私が名前を付ける。女の子が産まれたら、陽介が名前を付けて」と言う出産前の約束通り、陽介の名前から一字取って「陽菜」と名前を付けた。
陽菜が産まれて間もなく、しあわせの会の教祖に癌が見付かり、既にあちこちに転移していて教祖の余命が幾許もなくなった事や、父が取引先に向かう道中に事故に遭い、介護が必要となった事など起きていたが、ボンヤリしていた陽介の耳には入ってはいなかった。
母からの「仕置き」を避ける為に実の娘を無視し、異母弟の大輔の世話をした。
教祖の死で信者達が長い喪にふくしていた事もあり、陽介となつきが離婚する事になったのは陽菜が6歳になった頃の事だった。
なつきは離婚をあっさりと了承し、関連する様々な手続きを完了させた後に義両親に連れられて、陽菜と共に凡そ10年暮らした家から去って行った。
そして、理沙と再婚して一月とわずかで陽介は目が醒める事になる。
理沙に頼まれて、クレンザーをホームセンターに買いに行って帰宅した時。理沙の返事は無く。家の中は不気味な程静かだった。
理沙は、元々なつきが使っていた部屋で、口から血を吐いて倒れていた。
その手には、いつかの社員旅行で気まぐれに購入した木目細工の箱―――いつの間にか陽介の部屋から消えていたものがあった。
『死んでからも、あいつに家族が振り回される事になるなんてね』
呆然とする陽介の耳に、何処かなつきの声に似た誰かの声が聞こえた。
『逃げられないようにお前に憑けられていたケモノは、ウチのお狗様が喰らった。これからどうするかは、教団の教えでも、母に頼るでも無く。自分で決めなさい』
陽介の頭にずっと掛かっていたモヤが、さぁっ、と晴れた様な、そんな気がした。
我に返った陽介は、手放してしまった我が子陽菜に再会したいと願って、なつきに頻繁に電話を描ける様になったのだった。




