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僕が逃げた利器と得た安住  作者: 藤一


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カタチから入る男と、プロの作業着

土曜日の農作業が決まった日の夕方、佐藤は猛烈な焦りに襲われていた。

(服がない……!)

自室のクローゼットを開けて愕然とする。

並んでいるのは、東京のITオフィスで着ていたシュッとしたスラックスや、AIアシスタントが「今日の気温とトレンド」に合わせて選んでくれたスマートな服ばかりだ。農作業に使えるような服も、長靴も、軍手すら一双もない。

根が真面目で、形から入りたがるのが佐藤の性分だった。

「渡辺さんに迷惑はかけられない。しっかりとした装備を揃えて臨まなければ!」

居ても立っても居られなくなった佐藤は、スマートフォンで検索し、町外れにある大きな黄色の看板——『ワークマン』へと車を走らせた。

店内には、作業服や安全靴、見たことのない専門工具がぎっしりと並んでいた。目移りした佐藤は、店内をウロウロしながら、最新のファン付きベストや、プロ仕様の膝当て付きパンツをカゴに放り込もうとしていた。

「お客さん、初めてかい?」

後ろから声をかけられた。

振り返ると、ワークマンのロゴが入ったエプロンを着た、四十代半ばほどの小柄な店員が立っていた。日焼けした顔に、鋭いが優しい目元。店員は佐藤のカゴの中身と、佐藤の真白で綺麗な手元をチラリと見て、すぐに察したように苦笑した。

「ああ……カタチから入るタイプだね」

「えっ……あ、はい。今度、知り合いの畑仕事を手伝うことになりまして。しっかり揃えないと失礼かと思って……」

佐藤が縮こまりながら答えると、店員はカゴの中から高額なファン付きベストとプロ用膝当てをひょいひょいと取り出し、棚に戻してしまった。

「そんな大層なもん、素人がいきなり着たら動きづらくて熱中症になるよ。農家のお手伝い程度なら、必要なのはこれだけだ」

そう言って店員が棚から素早くピックアップしたのは、拍子抜けするほどシンプルなアイテムだった。

1. ポリエステル製の乾きやすい長袖Tシャツ(1,000円)

2. ストレッチの効いた無地の作業パンツ(1,900円)

3. 泥が入りにくい深めのゴム長靴(1,500円)

4. 背抜きタイプのフィット軍手・3双パック(299円)

「えっ……これだけでいいんですか? もっとこう、防水のジャケットとか、専門のシューズとかは……」

佐藤が不安そうに尋ねると、店員は腰に手を当てて威風堂々と胸を張った。

「いらないいらない。高価な防水ジャケットなんて買っても、土汚れがついたら勿体なくて思い切り動けないだろ? 畑仕事で大事なのは『汚れても平気』で『動きやすくて』『洗えばすぐ乾く』こと。このパンツは膝が突っ張らないし、この軍手は手のひらにだけゴムがついてるから、雑草を掴んでも滑らないし蒸れない。これが一番『現場』で使えるベストな選択だよ」

店員の説明には、一切の迷いがなかった。

高いものを売りつけようとする商売っ気は微塵もない。かといって、適当にあしらっているわけでもない。客の用途を聞き、現場の過酷さを知り尽くしたプロとして、「本当に必要な最小限の価値」を提示しているのだ。

「……すごいですね。なんでも知ってるんですね」

佐藤が感心して呟くと、店員は少し照れくさそうに笑い、自分のエプロンをキュッと結び直した。

「まあね。うちに来る職人さんや農家さんから、毎日『あれが良い』『これは使い物にならない』って生の声を聞いてるからさ。AIがネットで『おすすめ作業服ランキング』を出したって、実際の泥の重さや汗の蒸れやすさまでは分からんだろ? お客さんが現場で『これ買って良かった』って思ってもらえる提案をするのが、俺の仕事だからね」

俺の仕事——その言葉に誇りと情熱が宿っていた。

AIの画面をスワイプして「売れ筋」を購入するのとは訳が違う。

目の前のプロが、自分の経験と客の状況を考えて選んでくれた、たった4点の商品。

「……ありがとうございます。これ、買っていきます」

レジで支払った合計金額は、東京で買っていた服一着分よりも遥かに安かった。

けれど、会計を済ませて受け取った大きな袋は、どんなブランドショップの紙袋よりも誇らしく、重みを感じた。

「お兄さん、日曜日は晴れるみたいだからさ! しっかり汗かいて来なよ!」

背中に向けられた店員の威勢の良い声に、佐藤は「はい!」と元気に手を振り返した。


準備は整った。

お気に入りの「プロが選んでくれた泥臭い装備」を手に、佐藤はいよいよ太陽の下へと踏み出していく。


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