見えない恩恵と、停滞する空気
新しい一週間が始まり、月曜日に会社へ出社したものの、山口製作所を覆うどんよりとした空気は変わっていなかった。
相変わらず工場内ではカメラが職人たちの手元を静かに撮影し続け、事務室でもシステムがデータ入力を監視している。しかし、相変わらず現場の業務が楽になるような「効果的な恩恵」は一向に出ていなかった。
「佐藤さーん、この賢いAI様は、いつになったら僕たちの仕事を楽にしてくれるんですかねぇ?」
給湯室でコーヒーを淹れていると、同僚から半分あきらめたような皮肉が飛んできた。
「……うーん、絶賛学習中らしいから、もうちょっと時間がかかるんじゃないかな」
苦笑いで返すのが精一杯だった。
社員たちは顔認証カメラにもすっかり慣れ、朝の勤怠打刻も滞りなくこなすようになっていた。だが、このシステムで恩恵を受けているのは「入退室ログと勤怠データが自動で連動して楽になった」と言っている人事担当者くらいのものだ。
現場の人間からしてみれば、効果はゼロに等しい。
(そもそも田舎の町工場で顔認証なんて導入しなくてもセキュリティは保たれていたし、勤怠だって従来のタイムカードの情報を専用ソフトに入力するだけで十分回っていたんだよな……。やり方がハイテクに変わっただけで、会社全体の生産性が上がったかと言われると、ぶっちゃけ何も変わっていない)
便利になるどころか、日々の手間の増大とAIへの違和感ばかりが募り、社員たちの間にはどこか白けたような、ギスギスした雰囲気が漂い始めていた。かつて「大人の本気の文化祭」で会社全体がひとつになって活気にあふれていた頃の熱気が、嘘のように遠く感じられる。
「はぁ……なんか会社の雰囲気が良くないなぁ」
終業のチャイムが鳴り、重い足取りで会社を後にしながら、佐藤は一人ぽつりと呟いた。
「無料お試し」という甘い言葉に釣られて導入したAIシステムが、じわじわと会社の空気感を蝕んでいく。この噛み合わない歯車をどう戻すべきなのか、寒さを増してきた帰り道で、佐藤の溜め息が白く消えていった。




