東京の風と、田舎のAI事情
すっかりこちらの暮らしに馴染み、都会にいた頃の目まぐるしい日常を思い出すこともなくなっていた。
そんなある日、本社から巡回にやってきた社長と社長室で二人きりになり、久しぶりに「東京の空気」に触れることになった。
「佐藤くん、そっちの暮らしはどうだ?」
「お陰様で、すごく充実しています」
世間話を一通り終えたあと、社長はふぅと重い溜め息をつき、本題を切り出してきた。
「実はさ……先期から全社で試験導入してるあのAIツールのことなんだけどね」
佐藤は思わず苦笑いした。都会にいた頃、鳴り物入りで導入されたものの、現場ではいまいち使いこなせていなかったあのシステムだ。
「あれ、毎月少額とはいえライセンス料を払い続けてるだろ? でも現場じゃ誰も使ってないんだよ。使い道もイマイチ分からない。……かといって、うちの会社は業績も安定してるし、今のままで十分順調に経営できてるんだよなぁ」
社長は腕を組み、困り顔で天井を見上げた。
「テレビやニュースを見れば『AIを導入しない企業は時代に取り残される』とか『業務改革だ』なんて連日煽ってくるだろ? だから焦って入れてはみたものの……『変わらないとダメなのかな』と思いつつ、『でも変わらなくても何も困ってないんだよな』っていうのが本音なんだよ」
「はは……確かに、無理に変える必要もないのかもしれませんね」
「そうなんだよ! それにさ、下手に使って情報漏洩だのセキュリティ問題だのが起きるくらいなら、今のまま紙と手作業で完璧に回ってる方がよっぽど安全で平和なんじゃないか? って、最近は本気で思えてきてねぇ……」
時代の潮流に乗り遅れる恐怖と、何一つ困っていない目の前の現実。
ニュースの煽り文句と現場の平和な日常のギャップに、社長は本気で頭を悩ませていた。
かつての佐藤なら、「他社の活用事例」や「業務効率化の提案」を必死に考えて回答していたかもしれない。
だが、地域のDIYで手を動かし、商店街の仲間と汗を流す今の佐藤は、社長のポツリと漏らした本音に深く共感していた。
(世間がいくら『変化だ』『イノベーションだ』と騒いでも、自分たちの足元がしっかり固まっていて、みんなが幸せに働けているなら、無理に時代に振り回される必要なんてないのかもしれないな……)
「社長、僕も専門的な回答はできませんけど……今の山口製作所がしっかり回っていて、社員もみんなイキイキしてるなら、それも一つの『正解』なんじゃないですかね」
佐藤がそう答えると、社長は「ハハッ、身も蓋もないけど、お前さんにそう言われると妙に納得しちゃうな!」と少し吹っ切れたような笑顔を見せた。
先端技術の波に無理に追いつこうとしなくても、ここには確かで豊かな日常がある。
都会の喧騒と焦りをどこか遠くに感じながら、佐藤は自分の暮らすこの街の「変わらない良さ」を、改めて愛おしく思っていた。




