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僕が逃げた利器と得た安住  作者: 藤一


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居酒屋の熱と、イキイキとした背中

「へえ、ネジまっすぐ締められたのか。そりゃ大したもんだ」

高橋とのやり取りがひと段落した頃、喫茶店のガラガラという扉の音とともに、二人の男が入ってきた。

声をかけてきたのは、日焼けした顔に浅黒い首筋、つなぎの作業着を着たガタイの良い男——元・農家の渡辺(わたなべ)さん(50代後半)だ。最新の自動アグリロボットに頼らず、今でも小さな畑で自分の手と鍬を使って野菜を作っているという。爪の間にうっすら残った黒い土が、どこか誇らしげに見えた。

その隣で、使い込まれた小洒落たハンチング帽をかぶり、背筋をぴんと伸ばしているのが、元・呉服店の小林(こばやし)さん(60代前半)だった。着物文化の衰退で店はたたんだものの、今は古着の着物を解いて小物に仕立て直す仕事をしているという。

「佐藤くんっていうのか。手先が不器用なんだって? 良いことじゃないか。不器用な奴ほど、道具のありがたみが分かるんだから」

小林さんは照れくさそうにする佐藤を見て、メガネの奥の目を柔らかく細めた。

「よし! 今日の活動(ネジ締め)はこれにて終了! せっかく全員揃ったんだ、佐藤くんの歓迎会も含めて飲みに行こう!」

主宰の鈴木がパンパンと手を叩くと、全員が「いいねえ」「喉が渇いた」と立ち上がった。

五人が向かったのは、駅裏にある古びた大衆居酒屋だった。

AIの配膳ロボットもなければ、卓上のタッチパネルもない。威勢の良い店主が手書きのメニューを壁に張り巡らせ、注文はすべて大声でやり取りするような、時代に取り残された店だ。

「カンパーイ!」

ジョッキがぶつかり合い、泡が跳ねる。

運ばれてくる刺身や焼き鳥をつつきながら、おじさんたちは少年のように目を輝かせて自分の「手仕事」について語り始めた。

「渡辺さんのところの今年のトマト、味が濃くて美味いんだよ」

「機械で管理されたハウス栽培の綺麗なトマトには形じゃ負けるがね、雨や風と喧嘩しながら土から手で育てるから、味がブレるんだ。それが美味いんだよ」

渡辺さんは豪快に笑いながらビールを煽る。

「小林さんの手がける着物リメイクのポーチだって、縫い目が温かいじゃないですか」

「機械で縫えば一瞬だがね、布のクセを見ながら一針一針手で通すのが良いんだ。糸の張り具合ひとつで表情が変わる」

小林さんも嬉しそうに語る。

佐藤は、ジョッキを握りしめたまま彼らの顔を交互に見つめていた。

(……いいな)

胸の奥から、静かな羨望が込み上げてくる。

東京にいた頃の自分は、AIの指示通りに画面をタップし、エラーがないかをチェックするだけだった。自分の仕事に愛着なんてなかったし、明日自分が消えてもAIが代わりにやってくれるような作業ばかりだった。

でも、目の前の二人——いや、このサークルのメンバー全員は違う。

時代に押し流され、効率化の波に弾き飛ばされたかもしれない。それでも彼らは、自分の手で触れ、汗をかき、形にしてきた「手仕事」を愛している。だからこんなにも、イキイキとしているのだ。

「……あの」

佐藤は思い切って口を開いた。おじさんたちの視線が佐藤に集まる。

「僕……次回の活動のとき、お二人のやっていることも、何か一緒にやらせてもらえませんか? 野菜の土をいじるとか、布を切るとか……なんでもいいんです」

一瞬の静寂の後、渡辺さんが豪快に佐藤の肩をバシッと叩いた。

「おう! もちろんだ! 土いじりはいいぞ、爪の中に土が入ると『生きとる』って感じがするからな!」

「ふふ、布の裁断も教えてあげますよ。焦らずゆっくりやれば、不器用だって綺麗な直線が引けますから」

小林さんも優しく頷いてくれた。

「よし決まりだ! 次回は『農作業と針仕事のマニュアルテック同好会』だな!」

ダサいサークル名に、高橋が「また盛り込みすぎですよ」と苦笑し、店内にどっと笑い声が広がった。

大衆居酒屋のガヤガヤとした雑音、タバコと醤油の匂い、ジョッキの重み。

AIが「不快感ゼロ」に調整した東京の完璧な世界にはなかった、雑多で、温かいノイズに包まれながら、佐藤は久しぶりに心の底から笑っていた。

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