まっすぐなネジと、手渡しの記憶
翌週の「喫茶マニュアルテック同好会」の活動は、鈴木がどこからか拾ってきたガタつく古い木製の丸椅子を修理することだった。
「いいか佐藤くん、ドライバーってのはただ回せばいいんじゃない。上から『押す力』が7で、『回す力』が3だ。これを怠るとネジの頭がバカになる」
「お、押すのが7……?」
佐藤は汗をかきながら、慣れない手つきでドライバーを握りしめていた。
東京では指一本動かさずに仕事を済ませていた男だ。鉄の棒を握りしめて木材に力を込めるだけで、指の関節が痛くなり、腕がぷるぷると震える。
カチャ、カチャ、と不器用な金属音が静かな喫茶店に響く。
「……お、邪魔しますよ」
静かな声とともに、カウベルが控えめに鳴った。
振り返ると、店に入ってきたのは痩せ型でメガネをかけた、いかにも生真面目そうな五十代後半の男だった。使い古された革の鞄を大事そうに抱えている。
「あ、高橋さん! 来たね!」
鈴木が声をかける。高橋と呼ばれた男は、会釈をしながらゆっくりと佐藤の元へ歩み寄ってきた。そして、佐藤がまさに締め終えたばかりの椅子のネジを、じっと覗き込んだ。
佐藤は思わず体を固くした。
(歪んでるだろうか……不器用だって笑われるかな……)
高橋はメガネの奥の目を細め、静かに呟いた。
「……うん。すごく綺麗だ」
「え?」
「木目に対して、一切斜めになっていない。まっすぐ、垂直にネジが入っています。初心者は焦って斜めに押し込んじゃうことが多いんですが……佐藤さんは丁寧だ。素晴らしいですよ」
高橋は心底感心したように、佐藤の目を見て優しく微笑んだ。
「……っ」
佐藤の胸の奥が、カッと熱くなった。
顔が急速に熱を帯びていくのが分かる。猛烈に照れくさかった。
(この感情……ずっと、忘れてたな)
東京にいた頃も、AIアシスタントからは毎日褒められていた。
『佐藤様、本日もエラーゼロです。素晴らしい集中力ですね』
『タスク完了です。あなたの作業効率は上位10%に位置しています』
けれど、それらはすべてアルゴリズムが弾き出した「記号」に過ぎなかった。
今、目の前の高橋という男がくれたのは、佐藤の指の震えや、ぎこちない手つき、その格闘の時間をちゃんと「見て」発せられた、意味のある言葉だった。それがこんなにも誇らしく、照れくさいものだとは知らなかった。
「高橋さんはね、昔この駅前で『高橋文具店』ってのをやってたんだよ」
鈴木が缶コーヒーを飲みながら教えてくれた。
高橋は控えめに苦笑いを浮かべる。
「もう何年も前に閉めちゃいましたけどね。Amazonやら大型モールやらができて、うちみたいな個人店は太刀打ちできなくなりましたから。……まあ、便利ですからね。私だってネットで買い物しますし、時代ですよ」
そう語る高橋の口調に、時代への恨みや棘はなかった。
いまは地元の小中学校にノートや絵の具をおろす問屋のような仕事をしながら、静かに生計を立てているという。
「でもね……時々、恋しくなるんです」
高橋は自分の手元をそっと見つめた。
「ランドセルを背負った子供たちが、100円玉を握りしめて店に来るでしょう。『どれがいいかな』って一緒に悩んでね、消しゴムひとつを手渡した時のあの空気感。お互いの顔を見て『ありがとう』って言う、あの数秒間のやり取りが……どうにも懐かしくてね」
便利さを否定したいわけじゃない。
ただ、画面の向こうで完了してしまう効率的な世界の中で、人間と人間が「手渡し」で何かをやり取りする温もりだけが、そっと消えていってしまった。
「……だから、ここに来て皆さんが不器用に手を動かしているのを見ると、なんだか心が落ち着くんです」
「だろ〜? だからここは『マニュアルテック』なんだよ!」
鈴木が得意気にはためかせる横で、高橋は「相変わらずダサい名前ですね」とクスクス笑った。
佐藤は照れくささを隠すように、二本目のネジを手にとった。
金属の冷たさと、重み。
「高橋さん……次のネジも、見ててもらえますか」
「ええ、喜んで。じっくり見させてもらいますよ」
カチャ、とドライバーが回る。
まっすぐに、手応えを確かめながら。
佐藤の東北での「安住」は、少しずつ、けれど確かに形を作り始めていた。




