剥がす快感と、深夜のデスクワーク
金曜日の夜8時。鈴木が「準備中」の札を入口にかけ、鍵を締めると同時に、深夜の極秘ミッションがスタートした。
「よし! 入念なチェックのおかげで工具の不足もなし! 始めるぞー!」
まずは既存の古い壁紙の撤去からだ。カッターで切れ目を入れ、端をつまんで引っ張ると、「ビリビリッ……!」と心地よい音を立てて壁紙が大きく剥がれ落ちた。
「うわっ、これめちゃくちゃ気持ちいい……!」
佐藤は思わず声を上げた。
普段の生活で「部屋の壁紙を剥がす」なんて体験はまずあり得ない。豪快にペリペリと剥がれていく感触に、全員が童心に帰ったように夢中になり、あっという間に素地の壁が剥き出しになった。
続いて、佐藤の正確な採寸通りに新しい壁紙を裁断し、ワークショップで習った手順で貼り始めていく。
渡辺さんが広い面を大胆に伸ばし、小林さんが角やコンセントの周りを繊細に切り落とし、佐藤と高橋さんが柄合わせを確認する。驚くほど順調に作業が進み、シックな濃い茶色の80sアメリカンレンガ柄が、壁一面を覆っていった。
深夜1時を回った頃。作業の合間に、鈴木が淹れてくれた濃いめのコーヒーで喉を潤しながら、ふと渡辺さんが尋ねてきた。
「そういえばさ、佐藤くん。都会にいた頃って、こういう夜なべみたいなことって無かったのかい?」
「都会ですか……?」
佐藤はコーヒーカップを見つめながら、遠い目をした。
「まったく無かったですね……。毎日、満員電車に揺られて会社に行って、ただ黙々とデスクに座ってパソコンに向かって。夜遅く帰って寝るだけの繰り返しでした。会社で『イベント』と言えば、年に1回の気まずい忘年会くらいでしたよ」
話しているうちに、佐藤の心の中に都会時代のグレーな景色が蘇ってきた。便利で洗練されていたけれど、自分の手で何かを作り出したり、仲間と汗を流したりする生々しい手応えは、どこにもなかった。
なんだか店内の空気が少ししんみりとし始めたのを察し、佐藤はポンと自分の手を叩いて笑顔を作った。
「……ま! だからこそ今、こうやって壁紙剥がして徹夜してるのが最高に楽しいんですけどね!」
「ガハハ! 言うようになったじゃないか佐藤くん!」渡辺さんが豪快に笑い、しんみりした空気を吹き飛ばした。
「よしっ! 過去のしんみりした話はナシだ! 手を動かしながら、次の『机と椅子』の計画を話そうぜ!」
「そうだね」高橋さんが身を乗り出す。「今の木製の机と椅子も味があるけど、このかっこいいレンガ柄の壁紙に合わせるなら、天板をオイルステインで深みのあるアンティーク調に塗り直すか……」
「いっそのこと、脚の部分だけ鉄パイプに変えてアイアン調にするのも渋いんじゃないか?」小林さんが目を輝かせる。
「おいおい、また俺の店の家具を勝手に改造しようとしてるな?」
鈴木が苦笑いしながらも、壁紙が新しくなって見違えるように変わっていく自分の店を愛おしそうに見つめていた。
夜中の静かな喫茶店に、カッターの音と、おじさんたちの尽きない野望の声が心地よく響き続けていた。




