8月31日のナップサック
祭りが終わり、どこか街全体が静けさを取り戻した日の夕方。
佐藤は散歩がてら、近所にある市民プールの前を通りかかった。
錆びかけたフェンスには「今年の営業は終了しました」という張り紙が寂しげに揺れている。水が抜かれつつある青いプール底を見つめながら、スマートフォンで日付を確認した。
「……そっか、今日は8月31日か」
夏休みの最終日。
子どもの頃、この日の夕方になると胸がギュッと締め付けられるような寂しさに襲われたものだ。溜まりに溜まったドリルや絵日記を前に、「今から徹夜でやり切るか、諦めて先生に怒られるか」を本気で葛藤していた思い出が鮮みがえり、佐藤は苦笑いした。
なんとなく人恋しくなり、足は自然と鈴木の純喫茶へと向かっていた。
カランコロンとドアをくぐると、奥のテーブル席で呉服屋の小林さんが大きな裁縫セットと生地を広げていた。
「おや、佐藤くん。いらっしゃい」
「小林さん、何を作ってるんですか? ミシンまで持ち込んで……」
カウンターからブレンドコーヒーを運んできた鈴木が、あきれ顔で代わりに答えた。
「小林さんの孫の、夏休みの宿題だよ。『自由研究でナップサックを作らなきゃいけないのに、全然手をつけてない!』って泣きつかれたらしくてな。8月31日の夕方に駆け込んでくるあたり、血は争えないねぇ」
「ハハハ、言い訳のしようもないよ」小林さんが針を動かしながら目尻を下げた。「学校の指定は『布を縫い合わせてひもを通すだけのシンプルなナップサック』なんだけどね。でも、ただ説明書通りに作るのも退屈じゃないか?」
佐藤は小林さんの手元を覗き込んだ。流石は呉服屋、手つきが滑らかで縫い目が恐ろしいほど美しい。
「せっかくの手作りですし、宿題の枠を超えてこだわり出しちゃいますか?」佐藤がニヤリと笑った。
「いいねぇ佐藤くん! 乗ってきたね!」小林さんの職人魂に火がついた。「じゃあ、まずは前面に小物を分けられる多機能ポケットを二つ追加しよう!」
「それなら小林さん!」鈴木が作業用のハサミを手に身を乗り出した。「上から口を縛るだけじゃ使いにくくだろ? 最近のanelloのリュックみたいに、背面の脇にファスナーをつけて、横からガバッと中のものが取り出せるように改造しようぜ!」
「おおっ、横ファスナー! それは便利だ!」
「あと、内側に小さな鏡を入れられるクリアポケットも付けましょう! 女の子なら、身だしなみをチェックできた方が絶対嬉しいですよ!」
「決まりだ! 撥水加工の裏地もつけちゃおう!」
ただの「小学生の宿題のナップサック」だったはずのものが、大人3人の勝手なアイデアとプロの裁縫技術によって、どんどんハイテクでオーバースペックな「最強のリュック」へと変貌を遂げていく。
チャコペンで線を引き、生地を断裁し、ミシンがカタカタと心地よい音を立てる。
1本ずつひもを通し、補強のステッチを入れ、ついに完成した頃には外はすっかり暗くなっていた。
テーブルの上に鎮座したのは、外見は可愛らしい布製ナップサックだが、横ファスナー・多機能ポケット・内蔵ミラー・防水裏地を備えた、大人の浪漫の結晶だった。
「……これ、先生が見たら絶対『自分で作ってないだろ』って怪しまれますね」
佐藤の呟きに、小林さんと鈴木が顔を見合わせて大爆笑した。
「まあいいじゃないか! 『おじいちゃんとその友達のこだわりです』って提出させればさ!」
窓の外からは、いつの間にか蝉の声が消え、静かな秋の虫の声が聞こえ始めていた。
子ども時代のような「宿題に追われる焦り」はもうない。けれど、大人になってからみんなで夜遅くまで没頭する手作業は、あの頃の夏休み以上にワクワクする時間だった。
冷めたコーヒーを飲み干し、佐藤はどこか満たされた気持ちで、少し冷たくなった秋の夜風の中を歩いて帰った。




