頭の中のデータベースと、要らない検索
週末の賑やかな泥臭さから一転、月曜日の山口製作所。
事務室で電卓をパチパチと叩いていた佐藤のもとに、社長が少し困ったような顔でやってきた。
「佐藤くん、ちょっといいかい?」
「はい、社長。どうしました?」
「いやさ、この前導入してくれたAIツールだけど……どうも製造現場のみんなが全然使ってないみたいなんだよ。『便利だから使ってくれ』って言っておいたんだけど、アクセス履歴がほとんどゼロでね。佐藤くんから一度、現場に様子を聞いてみてくれないか?」
「わかりました。聞いてきますね」
佐藤はノートを手に、機械の駆動音と切削油の匂いが漂う工場へと向かった。
フライス盤の前で金属のバリ取りをしていたベテラン職人の田中さんに声をかける。
「田中さん、お疲れ様です。あの、会社で導入したAIの検索ツール、使い勝手はどうですか?」
田中さんは手を止め、作業メガネを少しずらしながら苦笑いを浮かべた。
「ああ、佐藤くん。せっかく入れてくれたのに申し訳ないんだけどさ……正直、使う用事がないんだよな」
「えっ? 使う用事がない……ですか? 過去の見積書とか、製品の仕様書を探す時とか便利ですよ」
佐藤がそう尋ねると、田中さんは作業台の横にある年季の入った棚と、自分の頭をぽんぽんと指さした。
「うちの紙のファイルやデータは、もう何十年も同じルールで整理整頓してあるだろ? どこに何があるか体で覚えてるから、探すのに困ったことがないんだよ。それに……」
田中さんはニヤリと笑った。
「『5年前に作った〇〇さんの特殊ネジの寸法』なんてさ、わざわざPCで検索しなくても、俺か隣の佐藤先輩(※主人公とは別のベテラン)の頭の中に全部入ってるんだよ。『あー、あの時のアレな。外径が何ミリで、ピッチが幾つのやつだろ?』って、聞けば1秒で答えが出る。調べる手間すら要らんのよ」
「あ……」
佐藤はハッとした。
東京の大企業にいた頃を思い出す。
数千人の社員が行き交い、部署異動や退職が日常茶飯事だった巨大組織。前任者が残したファイルがどこにあるかも分からず、引き継ぎ不足で過去の資料を探すためだけに半日を潰すことがザラにあった。そんな環境だからこそ、「ファイル横断AI検索」は喉から手が出るほど欲しい魔法のツールだったのだ。
だが、ここは山口製作所だ。
メンバーの入れ替えはほとんどなく、何十年も同じ職人たちが顔を突き合わせて仕事をしている。長年の経験と人間関係によって、**「社内全員の頭の中がリアルタイムで同期されたデータベース」**になっているのだ。
デジタルデータをいくら整理しようが、AIに検索させようが、「頭に入っていて、隣の人に聞けばすぐわかる」というアナログの強みには絶対に勝てない。
事務室に戻った佐藤は、社長に事末を報告した。
「社長、現場のみんなが使わない理由が分かりました。うちの現場は、長年のチームワークと職人さんの記憶力が完璧すぎて、AIに探してもらう必要すらないんです。検索するより、隣の田中さんに聞いた方が早いですから」
社長は一瞬ポカンとした後、ガハハと大笑いした。
「なんだそれは! うちの職人どもはAIより優秀ってことか! ハハハ、そりゃあ検索ツールなんて要らんわけだ!」
「はい。都会の大企業みたいに人がコロコロ変わる場所ならAI検索は必須ですが、うちの会社にはそもそも当てはまらなかったみたいです」
佐藤も一緒に笑いながら、自分のデスクに戻った。
AIは確かに凄まじい技術だ。
けれど、「人が入れ替わらない」「長年の知識が共有されている」という田舎の小さな工場の泥臭い強みは、どれだけ最新のITツールを持ってきても崩せない。
「都会の最適化」をそのまま持ち込むことが、必ずしも正解ではない。
自分の手で電卓を叩き、現場の職人と会話する。
佐藤は、この町工場に根付く「人間のデータベース」の凄ましさに、密かな誇らしさを感じていた。




