泥と水準器と、大人の秘密基地
「よし、ここだ!」
渡辺さんの畑の隅、青々と茂ったナス畑のすぐ隣が、農具小屋の建設予定地だった。
当然だが、現場はふかふかの黒土だ。そのままブロックや木材を置けば、雨が降った瞬間に沈み込み、小屋全体が傾いてしまう。
「佐藤くん、まずは『水盛り・遣り方』だ!」
鈴木が取り出したのは、木の杭と水糸、そして透明なホースだった。
畑の四隅にコンコンとハンマーで木の杭を打ち込んでいく。カツン、カツンと乾いた音が畑に響くだけで、佐藤の胸は猛烈にワクワクしていた。
「ホースに水を入れてな、両端の水面を合わせると、どれだけ離れてても完璧な『水平』が出るんだよ。昔の大工はみんなこうやって正確な水平を出したんだ」
「へぇぇ……! 水の性質を使うんですね!」
次に登場したのは、ズシリと重い木製の「タコ(土突き)」と呼ばれる道具だった。丸太に取っ手がついたような泥臭い道具だ。
「土固め(タコ突き)だ! ここをしっかり固めないと基礎が沈むぞ!」
「よーし! 俺にやらせてください!」
佐藤はタコを持ち上げ、地面に向かってドスン! ドスン! と打ち下ろした。
ドスン、ドスンと大地を叩く手応えが、腕から背中へとズンと響く。額から汗が吹き出すが、少しずつ土がカチカチに引き締まっていくのがたまらなく気持ちいい。
不器用な自分でも、体全体を使ってまっすぐに土を叩くことならできる。
「いいぞ佐藤くん! 筋がいい!」渡辺さんが笑う。
しっかり固めた土の上に、砂利を敷き、いよいよ基礎となる重量ブロックを配置していく。
図面で計算した通りの位置に、寸分の狂いもなくブロックを置き、上に水準器を載せる。
緑色の液体の真ん中に、ポコンと気泡が浮かび上がる。
ぴったり、真ん中。
「……出た! 水平だ!!」
佐藤が声を上げると、周りで見守っていたおじさんたちから「うおーっ!」と大歓声が上がった。
「すごいです! 図面通り完璧です!」
「だろ〜!? 基礎がバチッと決まると最高に気持ちいいんだよ!」
鈴木が少年みたいに目を輝かせてはしゃいでいる。
呉服屋の小林さんも、文具屋の高橋さんも、泥で手を真っ黒にしながら「子供の頃の秘密基地作りを思い出すねぇ」と顔を見合わせて笑っていた。
基礎が完璧に完成したことで、大人たちの火に完全に油が注がれた。
「……ねえ鈴木さん」文具屋の高橋さんがメガネの奥の目を輝かせて言った。
「基礎がこれだけしっかりしたなら、屋根に『ひさし』を少し長めに伸ばしませんか? 大雨の時、中で雨宿りできるように」
「いいねぇ高橋さん! じゃあ横に棚も作ろう! 渡辺さんの鍬やスコップがピッタリ収まるカスタム棚だ!」
「ほう! なら俺、横の壁にフックつけて帽子や合羽掛けられるようにしたいぞ!」渡辺さんも身を乗り出す。
「ふふ、それなら外壁のペンキは二重塗りじゃなくて、おしゃれなツートンカラーに塗り分けましょうか」小林さんまでノリノリだ。
「よし! 当初の発注よりバージョンアップだ!! とことん凝った最高の小屋にしてやるぞー!!」
「「「おーっ!!」」」
最初は「簡単な物置き」のはずだった。
けれど、自分の手で土を固め、杭を打ち、完璧な基礎が出来上がった瞬間、全員の中の「モノづくり魂」が爆発してしまったのだ。
AIが自動で数秒で設計し、3Dプリンターで吐き出す無機質な建物には絶対にない熱量。
手作業だからこそ、「もっと良くしたい」「もっと頑丈にしたい」という欲望が溢れ出てくる。
太陽の下、泥だらけの男たちは、誰一人としてスマホの画面を見ることなく、ただ夢中で図面に新しいアイデアを書き足していた。




