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幻世  作者: 光闇居士


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第8章:錠剤(カプセル)の強奪

挿絵(By みてみん)

バニラの香りが導く、歪んだ未来。

 職人の幻指と、エージェントたちの情愛。

 三つの魂が一つに重なり、歴史の因果律を書き換えるための壮絶な旅路が、いよいよ始まったのだ。


【しおの】


不格好なバニラクッキーの欠片が、舌の上でほろりと崩れた。

 足立区のセーフハウスのキッチン。窓の外を叩く冷たい雨音とは裏腹に、その小さな空間だけは、シエが纏う白いエプロンと彼女の無防備な笑顔によって、圧倒的な温もりで満たされていた。

 カジは、甘いバニラの香りが鼻腔を抜けていくのを感じながら、目の前で嬉しそうに微笑むシエの髪を優しく撫でた。エージェントとしての血生臭い日常、そしていつ終わるとも知れない時空の歪みの中で、この甘く穏やかな時間は奇跡のように脆く、そして狂おしいほどに愛おしかった。

 結衣という名の牢獄で罪悪感に苛まれるサトルとは対照的に、カジとシエは作られた「幻世」の片隅で、確かに本物の熱を育んでいた。


だが、その仮初の平穏は、常に唐突に破られる。


――ピピピピピピピッ!


リビングに設置された監視モニター群から、鼓膜を劈くような甲高い警戒アラートが鳴り響いた。

 シエの顔からふわりとした少女のような微笑みが消え、瞬時にして極寒の刃を思わせるエージェントの表情へと切り替わる。彼女はエプロンを引きちぎるように脱ぎ捨てると、音もなくコンソールへと滑り込んだ。カジもまた、口の中の甘さを冷たいコーヒーで胃に流し込み、彼女の隣に並ぶ。


「……サトルの周辺に異常な電波干渉。暗号化された通信パケットを傍受したわ」

 シエの指がキーボードの上で目にも留まらぬ速さで踊り、無数の文字列がモニターを滝のように流れていく。

「発信源は?」

「解析中……出たわ。東京湾岸、芝浦の旧第十二ロジスティクス倉庫。……カジ、この生体データを見て」

 モニターに表示されたのは、監視対象であるサトルのデータと酷似した、しかし別の個体のバイタルサインだった。

「……サトルの、弟か」

 カジの目が細められた。すべてはここから始まったのだ。サトルというしがない町工場の男の元に、時空を歪める「金型」を送りつけてきた張本人。弟はあの日から行方不明になっていたはずだった。

「通信のメタデータを復元したわ。……未来からの干渉ね。弟は、彼ら未来の特務機関に身柄を拘束され、洗脳か何かのプロトコルで操られている。目的は、サトルを湾岸の倉庫に誘き出し、金型もろとも彼を『消去』すること」

 シエの声が低く沈む。

「あの『あや』という女がサトルに接触したのと同じように、未来の組織はサトルを生かしておくリスクを恐れているのね。……どうする、カジ」


カジは、モニターに映し出された敵の暗号通信の断片をじっと睨みつけていた。

 その中の一つの文字列が、カジの理知的な脳髄に強烈な閃きをもたらした。

「……シエ。この『T-CATALYST_V』という記述。これは、あの日俺が未来人へ砕いてしまった「機関」が複製したカプセルの成分データと完全に一致している」

「時空触媒……バニラカプセルね」

「そうです。俺たちが過去へ落ちたあの夜のデータと、この通信記録を照らし合わせて、確信しました。未来へ跳躍するためには、金型の座標計算だけでは不可能です。人体を時空の強烈な歪みから保護し、次元の周波数に同調させるための絶対的な触媒――つまり、『バニラカプセル』が必須なんだ。あやは彼女自身がその触媒だったが、一般の人間が時空を越えるためには、この錠剤が不可欠になる」

 カジは振り返り、シエの黒曜石の瞳を真っ直ぐに見た。

「芝浦の倉庫にいる未来の工作員たちは、そのカプセルを大量に所持しているはずです。サトルを守るためだけじゃない。俺たちがいつか、あやを救うために未来へ向かうのなら……絶対に、ここでそのカプセルを奪取しなければならない」


シエは無言で頷き、自らのタクティカルスーツのジッパーを喉元まで引き上げた。

「Nに報告するわ。ただし、カプセルの件と未来への跳躍の意図は伏せる。あくまで『ターゲット(サトル)への明確な脅威を排除する』という名目のみで」

「ええ。あの冷酷な男に、俺たちの本心を悟られるわけにはいかない」


シエが通信回線を開く。数秒のノイズの後、鼓膜を凍りつかせるような上司・Nの低い声が響いた。

『……梓。状況は』

「ターゲットの弟を利用した、未知の武装集団の襲撃計画を傍受。発信源は芝浦の旧倉庫。ターゲットの安全確保のため、これより拠点を強襲し、脅威を完全に排除します」

『……許可する。生かして返すな』

 短い承認と共に、通信が切れる。

 背筋の凍るような声を切り捨てると、カジは愛用のタクティカル・ライフルを手に取り、シエに視線を向けた。

「行きましょう、シエ。俺たちの『幻世』を守るために」

「ええ。……背中は、私が守るわ」


***


東京湾から吹き付ける冷たい潮風が、深夜の芝浦に鉛色の雨を叩きつけていた。

 巨大な錆びたクレーンが墓標のように立ち並ぶ、旧第十二ロジスティクス倉庫。その広大な敷地は、一見すると完全な暗闇に包まれているように見えたが、カジとシエの暗視ゴーグルには、周囲に張り巡らされた不可視のレーザー網と、未来の光学迷彩を纏った哨戒ドローンの熱源がくっきりと浮かび上がっていた。


「敵の数は六。内二人は、あの夜新宿で交戦した『重力破砕扇』と『位相分断糸』の使い手と同等以上の装備を持っているわ」

 コンテナの影に身を潜めながら、シエがハンドサインで状況を伝える。

「弟のバイタルは、倉庫の中央。カプセルの保管コンテナもその近くのハズです。……まずは、外回りのドローンと見張りをサイレントで落とす」


カジはライフルのサプレッサーを確認し、静かに引き金を引いた。

 プシュッ、という微かな排莢音と共に、上空を旋回していたドローンが火花を散らして海へと墜落する。それを合図に、シエが闇の中を豹のように駆け抜けた。

 彼女の手には、超硬合金のコンバットナイフが逆手に握られている。入り口付近で警戒していた見張りの背後に音もなく忍び寄り、その頸動脈と神経節を同時に切断する。血飛沫が上がる前に遺体をゆっくりと地面に横たえ、シエはカジに向かって小さく頷いた。


二人は錆びついた鉄扉をハッキングでこじ開け、倉庫の内部へと侵入した。

 そこは、カビと鉄錆の匂いが充満する巨大な空洞だった。中央には、いくつものモニターと機材が持ち込まれた即席のコマンドポストが構築されており、その中心のパイプ椅子に、サトルの弟が力なく縛り付けられている。瞳孔は開き、自我を奪われた状態で、ただの「餌」としてそこに置かれていた。

 そして、その傍らには、銀色に鈍く光るジュラルミンケース。

 間違いない。あれが時空跳躍の触媒、バニラカプセルだ。


カジがケースに向けて駆け出そうとした、その瞬間だった。

 背後の搬入口から、無機質で規則正しい軍靴の音が響き渡った。

 振り返ると、そこには特務機関『N』から送り込まれた十名の精鋭部隊が、最新鋭のサブマシンガンを構え、無言でカジたちの退路を断つように扇状に展開していたのだ。


「……Nは、俺たちを信用していなかったようですね」

 カジが苦々しく呟くと、シエは暗視ゴーグルの奥の瞳を冷たく光らせた。

「いいえ。彼はただ、効率を優先しただけよ。カプセルの存在に気づいているかは分からないけれど、私たちを含めてこの場の『異常』をすべて掃除するつもりね」


身内からの唐突な裏切り。だが、その精鋭部隊の投入は、決定的な誤算と地獄の幕開けを招くことになる。


倉庫の暗闇の上空、キャットウォークの空間を切り裂くように、黄金色のノイズが走った。

「……現代の原始的なエージェントどもが、群れをなしてやってきたわね。酷く不快な音だわ」

 鈴を転がすような、しかし感情の一切こもっていない女の声。

 未来から来た刺客――『重力破砕扇』を持つ巨漢と、『位相分断糸』を操る女が、空間の歪みから音もなく舞い降りたのだ。


「撃てッ!」

 Nが送り込んだ精鋭部隊の隊長が叫び、十名が一斉に引き金を引いた。

 だが、巨漢が背負っていた巨大な黒い扇をひと振りしただけで、空間そのものが「すり鉢状」に歪み、放たれた数百発の弾丸はすべて飴細工のように捻じ曲げられてコンクリートの床に吸い込まれた。

 そこからの十数秒間は、戦闘と呼べる代物ではなく、一方的な「処理」だった。

 女が指先を優雅に弾いた瞬間、先頭の三人の首が同時に飛んだ。断面は鏡のように滑らかで、血が噴き出す暇さえなかった。

 巨漢が再び重力波を放つと、コンクリートが砕け、逃げ惑う兵士たちの肉体が内側から破裂する。逃げようとした者の足元にはすでに位相分断糸が張り巡らされており、一歩動くたびに肉が薄切りにされていく。

「ア、ガァッ……!」

 断末魔さえ響かない。Nが送り込んだ十名のプロフェッショナルは、カジとシエの目の前で、為す術もなく「血肉の残骸」へと変えられた。未来の特務機関の力は、現代のそれとは、住んでいる次元が絶望的なまでに違いすぎたのだ。


「……化け物め」

 カジがライフルの銃口を向ける。

 だが、その時。倉庫の崩れかけたシャッターの隙間から、もう一つの足音が、激しい雨音を割って近づいてきた。

 泥と雨に塗れた作業着。血走った狂気的な目。手には、錆びた鉄パイプが握られている。


「サトル……! なぜお前がここにいる!」

 カジが驚愕の声を上げた。結衣の張り巡らした「良妻の牢獄」で、身動きが取れなくなっていたはずの彼が。


サトルの視線は、縛り付けられた「弟」にさえ向けられていなかった。彼の鼻は、空中に漂う微かな、しかし狂おしいバニラの香りを必死に追ってヒクついている。

「……結衣の家で、こいつが突然、熱を持って暴れ出したんだ」

 サトルは、右手に硬く握りしめた彼の職人技から複製した偽「金型」を掲げた。

「俺の失った左手の指が……幻肢痛が、悲鳴を上げた。空気がバニラの匂いでむせ返るようで、頭がおかしくなりそうだった。弟なんて、どうでもいい。これが共鳴する先に……あやがいる。あやに繋がる手がかりがあるなら、俺は地獄の底からでも這い出してやる!」


サトルは、弟を助けに来たのではなかった。彼は「あや」という存在の不在に耐えきれず、完璧な結衣の愛情すらも振り切り、自らの人生を崩壊させてでも真実を求めて、この共鳴の源である芝浦まで辿り着いたのだ。


「……あいつ、完全に覚醒しているわね」

 シエが隣で低く唸った。

「カジ。あいつを死なせるわけにはいかない。あいつ自身が、時空を繋ぐ生きた『受信機』になっている。私たちがあやを助けるためには、あいつを連れて行くしかないわ」


奇妙な共闘が成立した。カジ、シエ、そして復讐心と愛執に狂ったサトルの三人が、未来の刺客たちと対峙する。


「旧時代の遺物が、何人束になろうと同じよ」

 未来の女が位相分断糸を全方位に放つ。

 巨漢の重力波が放射される。カジはサトルを突き飛ばし、自らはシエが展開した電磁障壁の中へ転がり込んだ。

「……カジ、座標を固定したわ! カプセルはあのジュラルミンケースの中よ!」

「了解だ、シエ!」


サトルは鉄パイプを握りしめ、幻の指が告げる「死角」へと突進した。彼の動きは職人としてのミリ単位の精密さと、すべてを失った獣の獰猛さが同居していた。未来のエージェントが操る不可視の位相分断糸を、彼は「見えない指」で弾き、あろうことか素手でその糸の根元を掴み取ろうとする。

「なんだ、この男は……! 触覚で空間の断層を捉えているというのか!?」

 未来人の女が、初めて驚愕に顔を歪めた。


激闘の中、サトルは絶叫した。

「あやはどこだ! 貴様ら、彼女をどうしたんだッ!!」

 その叫びに応じるように、倉庫の中央に置かれたジュラルミンケースが激しく共鳴を始めた。中にあるバニラカプセルが、サトルの情動と金型に反応し、眩い黄金色の光を放つ。


「今よ、カジ!」

 シエがカジの前に立ちふさがり、二丁拳銃で牽制の嵐を放つ。

 その時だった。

 未来の巨漢が、怒りに任せて重力破砕扇を「最大出力」で展開した。

 空間全体が波打ち、建物そのものが中心に向かって崩落を始める。回避不能な、全方位への重力圧殺。

「……しまっ……!」

 カジの反応が、ほんの〇・一秒だけ遅れた。


――その瞬間だった。

 カジを庇うように、シエの体が視界を遮った。

 

「カジ、伏せてッ!!」


ドゴォォォォォン!! という、大気を圧殺するような衝撃音。

 シエの肉体が、見えない巨大な鉄槌に叩かれたかのように、無惨に折れ曲がって宙を舞った。彼女の背中の装甲が弾け飛び、白い肌が真っ赤な血に染まる。

「……あ、が……っ……」

 シエの体が床に叩きつけられ、カジの足元に夥しい血の海が広がる。


サトルの慟哭。そして、シエの吐血。

 時間が、止まった。


カジの中で、これまで彼をエージェントとして形作っていた「論理ロジック」という名の部品が、完全に焼き切れた。


「……ああ、ああああああああっ!!!!」


カジの瞳から、理性の色が完全に消え失せた。

 彼は倒れたシエを一瞥し、次いで未来の工作員たちを見た。

 その視線に、もはや人間性はなかった。彼は落ちていたサブマシンガンを拾い上げることもせず、ただ、懐に隠していた「近接用超振動ブレード」を抜いた。


「……全員、殺してやる」


カジの動きは、もはや「速い」という言葉では形容できなかった。

 巨漢が再び扇を振るうより早く、カジは重力波の隙間を、まるで水滴が岩を抜けるようなあり得ない軌道ですり抜け、男の懐に潜り込んだ。

 ブレードが閃く。男の重厚なプロテクターごと、その右腕が肩から斬り飛ばされた。

「グ、アアアアアッ!?」

 カジは止まらない。男の顎を掴み、そのままコンクリートの壁に頭部を叩きつける。一度、二度、三度。頭蓋が砕け、脳漿が飛び散る音が響いても、カジの手は止まらなかった。

「死ね。死ね。死ね。死ねェッ!!」


「ヒッ……! 来ないで、この狂犬が!」

 女工作員が位相分断糸を全方位に放つ。カジの頬が裂け、肩から血が噴き出すが、彼は眉一つ動かさない。シエが流した血の痛みに比べれば、こんなものは微風にすら劣る。

 カジは血を流しながら、死神のような足取りで歩み寄り、恐怖に足がすくんだ女の首根っこを掴んだ。

「……お前らが、彼女の心を壊したのか。彼女から、愛を奪ったのか」

「な、何を……ぐふっ」

 カジは女の腹部にブレードを突き立て、そのまま上に力任せに引き裂いた。

 惨殺。それはスマートなエージェントの仕事ではない。ただの怨嗟の噴出だった。

 サトルは、その光景を呆然と見つめていた。自分が求めていた狂気が、目の前の若いエージェントの中で爆発している。サトルは、カジの背中に、かつて自分があやのために振るった「暴力」と同じ熱を見た。


「……ハァ、ハァ……」

 最後の一人を肉塊に変えた後、カジは崩れるようにシエの元へ駆け寄った。

「シエ……シエッ!! 頼む、目を開けてくれ!!」

 血まみれの膝を突き、倒れ伏すシエの体を抱き起こす。震える手で彼女の頬を叩く。傷口から流れる血が、カジの手を赤く染めていく。


「……泣かないでよ、カジ……。不細工な顔……」

 シエが、薄く目を開け、血に染まった唇で微かに微笑んでいた。

「シエ……! 喋るな、今、止血を……!」

「大丈夫よ。……強化骨格が、重力波の直撃を逸らしてくれた。内臓は、ギリギリ無事。……痛いけど、死なないわ」

 シエは震える血まみれの手を伸ばし、泣き顔のカジの頬を優しく撫でた。

「……あなたが、私を取り乱してくれた。……すごく、嬉しかったわ……。私が、あなたの全部なんだって……わかったから」


その言葉に、カジの目から大粒の涙が溢れ出した。

 彼はシエの手を両手で握りしめ、その額に自分の額を押し当てて、子供のように声を上げて泣いた。

「……バカヤロウ……! 二度と、俺の前で死ぬような真似をするな……っ! あんたがいなくなったら、俺の世界は、終わるんだ……!」


血まみれの二人の傍らで、サトルは静かにジュラルミンケースを掴み取った。

 その中にある黄金色のカプセル。そして、手に残る偽「金型」、もうはや偽というよりは自分の職人技で作り上げた「金型」そのものが激しい振動。

「……これが、あやに繋がる切符なんだな」


サトルは歩み寄り、血と涙に塗れたカジの顔をまじまじと見つめた。狂気の奥底で泣きじゃくるその若い顔に、サトルは見覚えがあった。

「お前……あの時の。台場の港倉庫で、俺と結衣を助けた特務機関の……」

 点と点が繋がる。あの足立区の印刷工場で、あやが姿を消し、すべてが絶望に包まれた後、黒ずくめの男――Nがサトルに冷酷に言い放った言葉。『お前は我々が日々監視する』。

 まさか、結衣という牢獄に囚われていた自分を、隣のビルからずっと影で見守り続けていたのが、この男だったとは。そして今、かつて自分があやのために振るったのと同じ「愛のための狂気」を、このエージェントもまた、腕の中の女のために爆発させている。


サトルは、カジの血まみれの肩を強く掴んだ。そこには、立場を超えた、同じ地獄を歩む男としての奇妙な連帯感があった。

「小僧……いや、カジと言ったな。彼女を、あやを助けに行くんだろ。……俺を連れて行け。俺の左手が、道の先を教えているんだ。あやのいない現代で、結衣と偽物の幸せを貪るくらいなら、俺は未来の地獄を選ぶ」


カジは涙を拭い、サトルの目を見た。

 そこには、過去を捨て、愛する女を奪還するためだけに生きる、一人の男の凄絶な覚悟があった。

「……ええ。行きましょう。……地獄の底まで、付き合ってもらいますよ」


シエを抱きかかえ、黄金色のカプセルを奪取したカジとサトルは、崩壊を始めた倉庫から脱出した。

 芝浦の夜を照らすパトカーの赤色灯が近づいてくる。だが、彼らの視線はすでに、この「現在」にはなかった。

 バニラの香りが導く、歪んだ未来。

 職人の幻指と、エージェントたちの情愛。

 三つの魂が一つに重なり、歴史の因果律を書き換えるための壮絶な旅路が、いよいよ始まったのだ。

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