Story 2:亮介の決意
それはゼミの時間だった。
「クリスマスどっか行く?」
先輩たちがふいに話し出した。
「普通にデートかな」
「俺、彼女と旅行」
「羨ましいわ〜。俺なんて、まず彼女探さないと……」
パソコンに向かい、自分の作業に集中するフリをして、先輩たちの会話に耳を傾けていた。
「亮介は?」
突然、話が飛んできた。
「えっ、俺っすか」
「お前、彼女くらいいるんだろ?」
そう言ってニヤつく先輩たち。
「いないですよ……」
「えっ、そうなの?」
「なんか意外だわ」
事実だ。
今、付き合っている人はいない。
「そうっすか?」
笑ってごまかしながら、俺は、先輩たちに気付かれないように、視線を一人の女性に向けた。
桐生汐里。
俺の同級生。
一年の頃から気付けば目で追っていた。
めっちゃ美人だったし、凛とした佇まいも、誰にも見えていない世界を見ているような謎めいた雰囲気も、全てがカッコ良かった。
でも、そのせいで周りの奴らからは近寄りがたい存在として扱われていた。
俺はそんなの気にせずに、声をかけ続けていたけど。
学食で見つけたら隣に座って一緒に昼飯食べたり、一緒に講義を受けてノートを貸し借りしたり、新しく学んだ理論や技術について語り合ったり。
まあ、ほとんど俺がついて回っていただけなんだが。
それでも、今では「汐里」「亮介」と呼び合う仲にはなっていた。
ただ、恋愛として気になっているのかは、正直自分でも分からなかった。
「桐生は彼氏とかいないの?」
先輩は、あろうことか汐里にも話を振った。
汐里に彼氏?
聞いてないぞ。
いや、一年生の時、何個か上の誰かと付き合ったという噂が流れた時はあった。
でも、すぐ別れたと聞いた。
俺は、汐里の返事を聞くのが、少し怖かった。
「先輩」
「おう」
「その発言はセクハラになるリスクを含んでいますが、続けますか?」
「えっ……」
部屋の空気が一瞬で凍りついた。
「ごめん。そんなつもりじゃ……」
「分かっています。ゼミ生同士、親睦を深めるための会話。という意図だったのですよね」
「お、おう。それそれ」
「ただ、次からは不用意に女性に対して異性関係を尋ねることはお勧めしません。ですが……」
「ですが?」
「私に彼氏はいません」
「いないんかい!」
先輩たちが一斉にツッコんだ。
俺は笑いを堪えるのに必死だった。
そうか。
汐里に彼氏はいない。
どこか、ほっとした自分がいた。
「先輩」
「な、なんだよ」
「私からもひとつ質問してもいいでしょうか」
「お、おう」
「クリスマスのデートでは、どんなところへ行かれる予定なんでしょうか?」
「えっ、俺?」
彼女とデートをすると言っていた先輩に、白羽の矢が立った。
「はい」
「えっと、そうだなぁ。日中は街中ブラついて、ちょっとオシャレなレストランでディナーして、夜はイルミネーション見るとかかなぁ」
「ディナーですか……」
「なになに?彼氏はいないけど、デートスポットは気になる感じ?」
先輩は勇敢にも、汐里の身辺調査を始めた。
「まあ、そんなところです」
えっ。
彼氏はいないけど、デートの当てはあるってことか?
好きな男でもいるのか?
「そのレストランはどんなお店なんですか?」
「青葉中央駅近くのイタリアンレストランだよ。俺の先輩がバイトしてたところでさ。割とリーズナブルだけど、めっちゃ雰囲気がいいんだよね」
「……なるほど。そのお店の情報詳しく教えてください」
「いいけど」
先輩はほんの少し笑いながら、でも、真面目に情報調査する汐里に、丁寧に答えていた。
───
ゼミの時間が終わり、先輩たちはみんな帰っていった。
他のゼミ生も、ひとりふたりと順番に部屋を出ていく。
残ったのは、俺と汐里。
「なあ」
「なにかしら?」
「クリスマス、誰かとデートすんの?」
汐里はキーボードを打つ手を止めた。
そして、俺の方を見る。
「それを、あなたに言う必要があるかしら?」
「いや、ないけど。だって、気になるし。好きな男でもいるのかなって」
「そんな人いないわ」
「……あなたも先輩たちも、私に興味がある訳じゃないでしょう」
汐里はそう言うと、ふぅとため息をひとつついて、キーボードを再び打ち始めた。
「興味はあるよ」
「……」
カタカタカタ。
キーボードを打つ音が響く。
「そう」
汐里はそう一言だけ言った。
汐里に彼氏ができるかもしれない。
そう思うと、急に焦る気持ちが湧き起こる。
今まで、汐里には誰も手を出さないと思い込んでいた。
一緒に昼飯を食べるのも、講義を受けるのも、ノートの貸し借りをするのも、将来のことを語り合うのも。
全部、俺だけだと思っていた。
汐里の隣にいるのは、この俺だと。
次の瞬間、頭で考えるよりも先に言葉が出ていた。
「汐里、俺たち付き合わないか?」
汐里の手が止まる。
ほんの少し、沈黙が流れる。
そして、汐里は静かに言った。
「……断るわ」
……。
やってしまった。
俺は完全に行動を間違えた。
言わなくていいことを言ってしまった。
俺が内心焦りまくって黙っていると、汐里は続けて話し出した。
「亮介」
「なんだよ」
「私、あなたのこととても信頼しているわ」
信頼?
俺のことを?
「私の研究や、私が考えていることを、理解しようとしてくれるでしょう」
「……ああ、それは当たり前。お前、すごいじゃん。普通に憧れてる」
当たり前だ。
俺がいくら追いかけても、きっと追いつけない。
それでも、同じ景色を見たいと思った。
「ふふ。ありがとう」
汐里は、くすっと笑った。
「亮介は、研究の中身だけを見たり、周囲の評価を真に受けない。ちゃんとあなた自身の目で判断してくれる。そのことが……」
汐里が、俺のことをまっすぐ見る。
「私は嬉しいし、本当に信頼してるの」
嬉しかった。
そんなふうに、見てくれていたのか。
嬉しさのあまり、ついカッコつけて言ってしまう。
「俺はさ、汐里の見ている世界を一緒に見たいんだよ」
汐里が一瞬止まる。
「俺らとは、全然違う世界が見えてるんだろう?」
気のせいか、口元が少し緩んだようにみえた。
カッコつけたのが、なんだか急に恥ずかしくなって俺は話題を変えた。
「で、誰なんだよ。汐里が好きな男って」
「だから、そんな人はいないわ」
「でも、さっき先輩にデートのこと相談してたじゃないか」
「あれは、澪と行こうと思っただけよ」
「澪って、いつも一緒にいる澪ちゃんか?」
「そう」
「……」
なんだ、男がいるわけじゃなかった。
それなら、汐里の隣にいる男は俺だけ……
「なんだよ〜、澪ちゃんのことだったのか」
安心して気が抜ける。
「だから、言ったでしょう。好きな男なんていないって」
「亮介」
「おう」
「私はあなたの書くプログラムが好き」
俺はどきっとした。
俺自身のことじゃない。
俺の書くプログラムのことを言っているだけだ。
でも、まるで俺自身を好きと言われているようだった。
鼓動の音が、うるさいくらいに高鳴っていた。
「整っていて、目的地までまっすぐで、でも個性的なあなたらしくて、とても美しいと思うわ」
……照れる。
俺の書くプログラムから、俺自身までも見抜かれているような、そんな感覚だった。
「私、これからもあなたと一緒に切磋琢磨していきたいと思っているわ」
「そう思える相手は、亮介だけよ」
嬉しかった。
同じ道を志す者として、汐里に認めてもらえている。
そして、それは自分だけだと。
それだけで、十分だった。
けれど、念のために聞いておこう。
「……付き合うのは?」
「それは、ないわね。ごめんなさい」
汐里の返事を聞いて、俺は笑った。
清々しいほどに、振られてしまった。
でも、これでいい。
そう思った。
俺は、研究者として技術者として、汐里の横に立ち続けよう。
汐里と肩を並べられる唯一の男であろう。
そこだけは譲らない。
――他の誰にも。
───
後日談。
たまたま、憧れた人が女だったから。
恋愛と勘違いしたのかな。
まあ、そういうことにしておこう。
佐伯亮介




