5.
吐く息が瞬く間に白く染まり、中庭の池に薄く氷が張るようになった。太陽が顔を覗かせている時間は一年でもっとも短かい時期で、午後の講義が終わる頃には、空は藍色に沈み始める。
重厚な石造りの学舎は、美しさと引き換えに底冷えする。女生徒はたいてい、厚手のストールを制服の上から羽織っていた。
エレナも寒がりだった。暖炉の前で着ぶくれしていた姿を思い出し、マティアスはくすりと笑う。だがすぐに小さく息を吐いて、空を仰いだ。平常心を戻すまで少しかかった。
回廊を歩きだしたマティアスは、教員室に向かった。
明日の朝まで、エレナは資料室に閉じ込められた。いや、閉じ込められる。そして寒さに晒され、ひどい熱を出して数日間寝込むのだ。だからそうならないように、手を打つ必要があった。
教員室の扉を開けると、温かい空気に迎えられた。暖炉で薪がはぜる音がして、またも想い出に囚われそうになったが、折良く通りかかった教師に何か用があるのかと声を掛けられた。
マティアスは、資料室に明かりが付いていたと告げた。資料整理の日ではないため、念のために中を確認しようと思ったが、扉には鍵がかかっており、中に人がいる気配はない。そう説明する。
「予定が変わって、資料整理が行われたのでしょうか? それでしたら先生方も承知してらっしゃるということですからいいのですが……」
マティアスが憂い顔でもっともらしく言うと、その教師は眉間に皺を寄せた。
図書館に収蔵する前段階として、製本予定の資料を収めた部屋だ。整頓するために人の出入りがあれば、ガス灯の消し忘れもあり得る。季節柄、作業時にはストーブも必要とするはずだ。だがそれは、紙の資料が大量に保管されている場所に、火の気が残っているかもしれない、という意味になる。誰しも警戒する状況だ。
教師は即座に立ち上がり、壁に掛けられていた鍵束を手に取った。確認してくると言い残して、足早に教員室を出て行く。
マティアスは、少し遅れて後を追った。物陰に身を潜めて、遠目に資料室のほうを伺う。教師が鍵を開けて、エレナが無事に助け出される様子を眺めていた。それほど長い時間はかからなかったので、高熱を出すようなこともないだろう。
教師に連れられて、教員室へと立ち去っていくエレナを見送ってから、マティアスはその場を離れた。
翌朝は、開門時刻に登校した。夜と朝の境目とあって、学舎の外も内も薄暗い。手足の指先の感覚がなくなるほどの寒さだ。前回は見られるための行動だったが、今回は知られないように注意を払う必要があるので、仕方なかった。
一学年下の教室に入り込む。目的の席の前に立つと、用意してきた封書を鞄から取り出した。だが、悴んだ手は封書を取り落としてしまい、しゃがんで拾い上げる。
封筒は、職員が日常的に使用している無地のものにした。もちろん差出人の名前は書かず、糊付けしただけで封蝋はない。宛先は、席の主である侯爵令嬢の名前を、黒々と書いた。
中には、紙片が一枚だけ入っている。便箋ですらなく、校内での通達に使用する、さほど上質ではない紙だ。そこには、あえて角張った文字になるように意識した筆跡で、短い文章を綴った。
認めたのは、手紙というよりは、ただの報告書だった。インクのすり替えについて、女生徒が閉じ込められた件について、日時と場所、さらに手口を淡々と記した。それだけだ。非難の言葉や脅し文句は一切入れず、起きたであろう内容を、ただ書き連ねてある。
詳しく把握している者が存在する。そう伝えることが、牽制になる。
国内有数の高名な家名を誇る令嬢が、このような行動を取った理由は察せられた。感情が、取り分け恋愛感情が、時に制御できなくなる代物であるのは、今となっては充分すぎるほど承知している。マティアスにはエレナが平穏無事であるほうが重要だが、だからといってユリウスの目の前で令嬢を非難するべきではなかった。いや、非難するべきではない。
封書を、侯爵令嬢の机に置く。
それ以降、彼女たちがエレナに干渉することはなくなった。




