25.
領地と王都を頻繁に往復することはなくなった。暖かくなってもタウンハウスに引きこもり、出かけるのは商談があるときくらいだ。
父の病状が悪化しており、予断を許さない状態である。領地でやっておくべき当面の作業は、冬の間に済ませた。なにより叔父と叔母の顔を見たくなかった。そのため、マティアスは領地に戻る選択をしなかった。
叔父は、すでにカントリーハウスへと送り出した。領地経営を再度任せたい旨を告げたときに、彼がタウンハウスでの勤務に不満を持っていたのを知った。マティアスとエレナに仕事を奪われていたように思っていたなど、まったく気付いていなかった。領地へと発つ朝、晴れ晴れとした彼の顔を眺めながら、鬱屈とした気持ちが湧いてきた。
エレナに宛てた叔母の手紙を見つけたのもその頃だ。遺品の整理を始めたときに、文箱をどうするかと執事に尋ねられ、中を改めた。私信と思われる数通の封筒が入っているだけだったが、その一通に差し出し人として叔母の名を見つけ、訝しく思った。カントリーハウスの家政婦長から女主人への手紙であれば、個人の文箱に入れるはずがないので、叔母から甥の妻に宛てた手紙ということになる。消印の日付は、マティアスが王都と領地を盛んに行き来していた頃だ。思い切って便箋を取り出す。
読んで、呆然とした。マティアスがすでにマルガレーテを妾に迎え、エレナとは離婚したがっている、という内容を上品に言い繕った文面だった。タウンハウスのハウスキーパーに、嘘の報告をさせた理由がわかった。
その後も、次々と事実を知った。
学院時代の友人二人に、裏切られていたのもその一つだ。
一人は、実はエレナに想いを寄せていて、マルガレーテを唆した。もう一人は、実家が困窮する一方だったことから、持参金で持ち直したハルフェン家を妬み、それに協力していた。
クララとマルガレーテは、当初は貴族家の当然の義務として、跡継ぎを設けることだけを考えていたらしい。だが、妾の子を自分の子として育てる立場になるのであれば、エレナが却って気の毒であると、クララは言いくるめられた。また、マルガレーテのほうは、妾では妻ほどの実権を持てないと野心に付け込まれた。
二人は、マティアスを離婚させるよう誘導していたのだった。
それを耳にしたのは、庶民向けの酒場だった。すでに出来上がっていた彼らは、口が軽くなっていたようで、別の同行者に自慢げに気炎を上げる。二人が「まあ結局、上手くいかなかったけどな」と軽い調子で話を結んだときには、商談相手と同席していなければ、殴りかかっていたかもしれない。背中越しに聞きながらも、取り乱しそうな心を必死に抑えていた。
さらに、叔父の横領に気付いた。
水路の修繕に必要な資材は、地元で調達できないものもある。護岸のための石材、モルタルに必要な石灰、金具を作る素材となる鉄は、ハルフェン領には充分な量がないのだ。そこで他地方から購入したのだが、その代金が水増しされていた。王都で叔父が担当していた業務であり、任せっきりにしていたので、これまで見落としていた。たまたま業者が値段の改定を知らせに来なければ、気付かないままだったかもしれない。
もう誰も信用できない。そう思った。親族も、友人も、屋敷ですれ違う使用人たちでさえ、笑顔の裏でどのような思惑があるのかわからない。他人の顔を見るたびに疑念が湧き上がり、視線が合うだけでも苦痛を感じる。
やがてマティアスは、ほとんど外出しなくなった。商談も、これまでは自ら先方に赴いていたのをやめて、代理人に行かせる。屋敷にいる間は書斎に引きこもり、執事に指示を出すだけに徹した。こうして、他者との関わりを断ってしまった。
「すべて知ればいい」
「知って後悔するといい」
あのとき投げつけられた言葉を思い返す。真実を知って絶望し、こうして苦しむことこそ、彼の望みだったはずだ。
ふっと乾いた笑いが漏れた。彼が願った通りになったわけである。誰もいない薄暗い書斎で、マティアスは一人自嘲した。
心の中が真っ黒に塗りつぶされているような気分だった。窓外に、淡い木漏れ日の落ちる庭が目に映る。鮮やかな新緑。風に揺れる花々。きらきらと輝く庭池の水面。かつては美しいと思ったそれらが、今はどこか色褪せて見えた。




