24.
「実は、彼がエレナと一緒にいるところを、何度か見たことがあるんです。初めて見たのは、学院に通っていた頃でした。たしか三年生のときだったかと……」
フィオナがティーカップをオケージョナル・テーブルに戻した。わずかに首を傾げて、視線を上に向ける。
「そうですか……。あの頃は、匿ってくださった方が、時折あの子を連れてきてくれたので、そのときなのでしょうね」
当時のミヒャエルは、商家の下働きとして奉公するという体裁で匿われていた。事情を知る主人が、商談で王都に来る際には、同行させてくれたのだという。
先方まで出向いたことも幾度となくあったのだと、フィオナは続けた。年に一度か二度くらいではあったが、可能な限り会う機会を設けていた。もちろん手紙のやり取りは絶えずしていたそうだ。
話している間、フィオナの表情には懐かしむ様子と悲しげな様子が同居していた。姉たちが本当に弟を可愛がっていたことが窺える。マティアスは下唇を噛みしめた。居たたまれずに立ち上がり、慌てて言い繕う。
「お渡しするものがありました。少々お待ちください」
暖炉に寄ると、マントルピースの小さな布包みを手に取った。それをテーブルに載せる。
「エレナの手鏡です。お返しすべきかと思いまして……。代々女性が受け継いできた品と聞きました。エレナ亡き今、次はフィオナ様でしょう」
フィオナはハンカチを広げた。鏡を両手で掬い上げ、自身の胸元に当てる。
見守っていたユリウスが、ぽつりと「ああ、魔女の遺品か」と呟いた。
「それも、ご存じなんですね?」
さっと振り向いたマティアスに、ユリウスは穏やかな笑みを見せた。
「ええ。秘密というわけではありませんし、私たちは幼なじみですから、子供の頃から話は聞いていました」
「懐中時計を私が受け取ったことも?」
「ええ、知っています」
「でしたら……万年筆、のことも、ご存じなのでしょうか?」
「ミヒャエルが持っていた万年筆ですね?」
「……はい」
次にユリウスが口を開く前に、フィオナは「もう大丈夫」と夫に囁いた。手鏡を握りしめた両手を膝の上に落として、目の際に涙を浮かべながらも、うっすらと微笑む。
「万年筆は、ミヒャエルが見習いから正式に事務員として採用されたときに、お祝いとして贈ったんです。姉が提案して、父も私ももちろん賛成でした。皆で食事に出かけて、そのときに渡しました。あれが、四人揃った最後でしたね」
マティアスは、喉の奥に何かが支えたような息苦しさを感じた。堪えながら左手を無理矢理動かし、ウェストコートのポケットに突っ込む。懐中時計を引き出した。
そして、手の中のそれをフィオナの前にそっと置く。
「こちらもお返しいたします」
なんとか声を絞り出して告げると、だがフィオナは首を横に振った。
「これは受け取れません。姉があなたに差し上げた品です。あなたが持っていてくださるほうが、姉は喜ぶでしょう」
「…………」
マティアスは答えられなかった。義妹を見つめ返しながら、言葉を探すが見つからず、諦めて口を閉ざす。労しげに向けられる二人の視線が、ひどく痛い。
フィオナが「そろそろお暇いたします」と告げ、ゆっくりと立ち上がった。次いでユリウスも席を立つ。二人は静かに一礼して、客間を後にした。
執事に声を掛けられて我に返る。気づけば玄関に立っていた。別れの挨拶として自分がなにを言ったのか判然としないが、どうにかきちんと見送ったようだ。
自室に向かおうとのろのろと歩きながら、いつもの癖でポケットをさぐる。だが懐中時計の感触がない。すぐに客間に戻った。
部屋はしんと静まり返っている。ソファもアームチェアも、暖炉の前に配置されたままだ。ソファ脇のオケージョナル・テーブルを見下ろすと、茶器の手前に、懐中時計が置かれたままだった。
それを手に取る。
ひんやりとした金属の感触が伝わった。親指の腹で表面に刻まれた蔦の模様を撫でる。少ししてから蓋を開き、盤面を見つめ、また閉めた。
「本当は、これを持つ資格など、僕にはないのだがな」
独りごちたマティアスは、懐中時計をポケットへと落とした。




