22.
首を傾げたフィオナは、しばらく迷う素振りを見せた。マティアスは黙って返事を待つしかない。
フィオナが隣の椅子を見る。微笑み返すユリウスに勇気づけられたのか、小さく頷いた。やがてこちらに向き直り、居住まいを正す。
「私も、すべてを知っているわけではありません。両親の言い争いや、使用人が漏らした言葉から、察した内容をお話しすることになります。それでよろしいですか?」
「はい、もちろんそれで結構です」
一瞬だけ視線を落としたフィオナだったが、すぐに顔を上げた。きゅっと口元を引き結んでから、おもむろに話し始める。
「それでは、まずは両親が結婚した際の経緯から、お話しするのがよろしいかと思います。姉からは何か聞いてらっしゃいますか?」
「伯爵が婿入りしたとは聞きました」
「ええ、その通りです。ですが、これは母が父に一目惚れしたために、伯爵家から申し出た縁談でした。この結婚を父は望んでおらず、強く嫌がっていたと聞きます。当時、父には想い合っていた女性がおりましたから」
そこまでは、マティアスも知っている。おそらくは、伯爵家の無理押しで婿入り話が進んだのであろうとも、予想していた。
「その女性というのが、彼の母親だということですね?」
「ええ。父は、卒業後は実家を出て、彼女と結婚するつもりだったようです。ですが父に対する母の執着は、度が過ぎるものでした」
フィオナは自嘲気味にフッと吐息を漏らした。その表情には、嫌悪や反発と共に呆れと諦めが滲み、娘として受け入れがたい葛藤が垣間見えた。
その後の経緯は、マティアスが考えていた筋書きを上回るものだった。
夫人は、その恋人が平民であると知るやいなや、身柄を拘束して別邸に幽閉したのだそうだ。表向きは侍女として雇い入れたのだが、実質的には体の良い人質だ。
折しも子爵家では、扱っている事業が傾きかけていた。取引相手から相次いで提携の打ち切りを突きつけられたのが原因だ。そこへ伯爵家から仲介の申し出があり、それを受け入れたことで、家は持ち直した。
そのときの両親の駆け引きなど、知る由もない。だが、学院卒業後まもなく婿入りした事実から、母が脅迫したのだと見当は付いた。そう言い切ったフィオナは、どこか苦しげに見えた。
やがてエレナとフィオナが相次いで誕生すると、夫人の態度も軟化したらしい。伯爵は月に一度、別邸を訪れることが許されるようになる。結婚後も、夫人はミヒャエルの母を留めさせたままだった。
その月に一度の訪問を、父が心待ちにしていたのは、まだ幼い自分たちにもよくわかった。娘二人を充分に慈しんでくれていたが、そのときだけはどこかが違うと感じたという。
成長するにつれて、その意味を理解するようになった。とはいえ二人の解釈は、父が別邸に妾を住まわせている、というものだった。女児しか生まれなかった貴族家では、しばしばそうする。現に同級生には、そのような背景で養子として迎え入れられた者が何人か存在する。ある意味、常識だった。
ミヒャエルの存在をはっきりと知ったのは、彼が六歳になった冬だ。母親が病死したために、本邸に引き取られてきたのである。
伯爵家では、これまでは親戚の母子に使用させている体裁をとっていた。だが、母親のいない子供を放っておくのは、いくら世話係を付けようとも、外聞が悪い。ちょうど数年前の法改正で、子供を虐待したり放置した場合は国が介入できるようになったところだ。
突然現れたミヒャエルの存在に、エレナとフィオナは驚いたものの、二人は共に弟をすぐに気に入る。当初こそ複雑な心境はあったが、彼の愛らしい外見と素直な性格に、すぐに絆された。父は接し方に格差を付けるような真似はせず、三人は仲良く育っていった。
しかし、伯爵夫人は違った。あくまでもミヒャエルを無視し続ける。
その心情を想像できなくはなかったが、態度が大人げないと思ってしまった。貴族家ではありえる状況だと事情を理解していたからこそ、二人は勘違いしたといえる。自分の母親とミヒャエルの関係性を、深く考えなかった。
そのせいで、エレナとフィオナは致命的な発言をしてしまうことになる。
エレナが学院への入学を翌年に控えた頃だった。タウンハウスでのパーティーの際に、総領娘と持ち上げた親族に、後を継ぐのはミヒャエルだと言ってしまったのだ。さらにフィオナも、伯爵家には男子がいるのだから、と同意する。
それを耳にした伯爵夫人が、大声を上げた。
「絶対にありえないわ! あの女の子供が我が家の跡継ぎになるなど、決して許しません!」
手にしていたグラスを床に叩きつけた母の姿に、言葉を失った。呆然と立ち尽くす二人に、夫人はさらに続ける。
「ロシュタール家は私の血統です。あんな下賤の者には何の権利もありませんよ」
拒絶の激しさに怯えを感じたほどだった、とフィオナが言う。元々、母が苛烈な性格であるのは承知していたが、ここまで剥き出しの敵意を目にしたのは後にも先にもなかった。
その場にミヒャエルがいなかったことには、ホッと胸を撫で下ろした。だが後日、エレナとフィオナは、軽率なことを言ってしまったと、ひどく後悔する羽目となった。
「ミヒャエルが……毒殺、されそうになったんです」
フィオナは低い声でそう呟いた。
マティアスは目を見開いて、唖然とした。




