19.
強い日差しの中、時折吹く風は生ぬるい。そこかしこに夏の名残を感じた。
マティアスは馬車を降りると、共同墓地の中へと足を踏み入れる。
あの青年の葬儀がここで行われると知ったのは、まったくの偶然だった。警察での事情聴取があり、助けてくれた門番を擁護するために、マティアスは経緯を説明した。そのときに、警官が漏らしたのだ。すでに身内に引き取られたことや、葬儀の手配が整っていることまで、教えてもらった。貴族に阿ったのか、被害者への配慮という大義名分からかはわからないが、ずいぶんと愛想の良い警官だった。
マティアスには、親族を責める気持ちはまったくなかった。だから遠くから眺めるだけのつもりで訪れた。ただ胸中を整理するよすがにしたかったのだ。そのために葬儀を見届ける必要があるのかどうかもわからないまま、それでも来ないではいられなかった。
エレナを亡くして以来、マティアスはまともに眠れた夜がない。瞼を閉じるたび、最後に見たエレナの穏やかな笑みが浮かび、ここ数日は青年の怒りの顔が加わっている。耳には、二人の途切れ途切れの声が届く。
色とりどりの花々が揺れる小径を進んだ。道沿いを等間隔に立つ木々は、鮮やかな緑の葉を茂らせている。敷地は広く、見通しが良かった。几帳面に区分けされて、整然と墓石が並ぶ。どれも簡素な作りではあるが、手入れは行き届いていた。初めて踏み入ったそこは、マティアスが意外に思うほど整備された場所だった。
目印の楡の木を捜す。見つけた一際大きなその木は、緩やかな丘の中腹にそびえ立っていた。根元には若い神官と喪服姿の男女、そして真新しい土盛りが見える。近くには、葬儀屋と共に、使用人のお仕着せを着ている数人が控えていた。親族とやらは裕福なのだな、とマティアスは思った。
手近な木々の枝葉に隠れて、様子を窺った。葬儀は間もなく終わり、神官と葬儀屋が去って行く。だが親族の二人は、その場に留まった。
リネンのシャツが汗ですっかり濡れそぼったころ、もう帰ろうかと、木の陰を出た。小径に戻ったところで、ちらりと楡の方に目を遣る。男が女に話しかけ、その横顔を見せた。
マティアスは自身の目を疑った。思わず足を止める。その男性がロシュタール伯爵だとわかったからだ。
続けて、隣の女性が顔を隠していたベールを上げて、ハンカチを目元に当てた。涙を拭った手を下ろしたとき、彼女の顔が見え、それがフィオナであると気付いた。
意味がわからず、マティアスは呆然と立ち尽くした。視線に気付いたのか、伯爵が向き直り、目が合った。すぐにこちらが誰であるのか認めたようで、明らかに驚いた顔になる。
やがて伯爵が歩み寄ってきた。マティアスは、その場に縫い付けられたように動けなかった。
伯爵の顔には明らかな悲しみが浮かんでいた。その後ろに続くフィオナの顔は無表情だったが、目にはどことなく非難の色が浮かんでいるように感じられた。
「マティアス君」
伯爵の低く掠れた声に名を呼ばれる。マティアスははっと我に返り、反射的に頭を下げたが、発した言葉は無作法な問いかけになった。
「お二人が、なぜここにおいでなのでしょう? 私は、あの男の葬儀と聞き及びまして……いえ、その、いったいどういう……」
考えがまとまりきらず、しどろもどろになる。実際のところ、マティアスにはまったく状況が理解できなかった。挨拶の一言も言わなかった自分に気付いたが、すぐにどうでもよくなった。
伯爵は視線を落とした。それから背後を振り返って、じっと見つめる。この場所からでは見えないが、視線の先は穴底に横たえられた棺なのだろう。
しばらくの沈黙の後に、伯爵が口を開いた。
「あの子は、私の息子でね。ミヒャエルというんだ」
一瞬、意味がわからず、息子という単語に痛みを覚えた。それから、あの青年の名がミヒャエルで、伯爵の息子である、と言っているのだと理解する。ロシュタール伯爵家に男児はいなかったはずとぼんやりと思い、庶子なのだと思い至る。
「ミヒャエルが君を襲ったために、斬り殺されたのは聞いているよ。申し訳なかった。なぜそのような行動に出たのかはわからないが、エレナが亡くなったのを、受け入れられなかったのだろう。誰かのせいにしなければ、耐えられなかったのかもしれない」
話し方がどこか自嘲気味で、普段の泰然とした様子から懸け離れている。伯爵が急に老け込んでしまったように思われた。
同日に妻と息子を亡くした自分と、十日間で娘と息子を相次いで亡くした伯爵では、どちらがより大きな失意を味わったのだろう。そんな埒もない考えが浮かび、マティアスは唇を噛みしめた。伯爵は死に追いやるような真似はしていない。比べるべくもなかった。
「だからといって、君に斬りかかっていいという理由にはならんがな」
そう言って疲れ切ったような顔になる伯爵に、マティアスはなにも答えられなかった。ただ、エレナへの仕打ちをミヒャエルは知っていたのだ、と直感した。
伯爵は、それ以上は何も言わずに一礼してから、フィオナを伴って静かに立ち去った。
二人が遠ざかり、木立や葉に隠れて消えていくのを見送る。小径には、また生ぬるい風が吹いた。それが肌に纏わり付くように、マティアスには感じられた。




