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18.

 祭司の奏上も、人々の囁きも、どこか遠くの出来事のように感じられた。マティアスはただ、墓標の前でぼんやりと突っ立っているばかりだ。


 葬儀の間はほとんど口を利かなかった。叔父と叔母が話しかけても、従妹弟《いとこ》から慰めの言葉を掛けられたときも、反応しない。


 弔問客にははかろうじて応じた。だが、それも決まり切った儀礼上の言葉が口からまろび出るだけだ。


 皮肉なことだな、とマティアスは思う。


 他者への受け答えは叔母に習った。父と離れて領地で育った彼を教育し、躾けたのはクララだ。立ち居振る舞い、言葉遣い、対人関係など、貴族として必要な常識を教えてくれたのだ。それが条件反射のように言動に出る。


 だが、虚偽の報告をするよう家政婦長《ハウスキーパー》に指示したのは、クララだった。妊娠についてなにも知らされなかったのも、クララが意図してのことだ。


 それがわかったとき、エレナは手先が不器用だったと思い出した。学生のころに、刺繍と絵画の腕前を揶揄って、マティアスは彼女の提出課題をいつも芸術作品と呼んだものだ。その度に彼女は膨れ面になって、「卒業したら二度とやらないからいいのよ」と答えていた。今更ながらに、報告を聞き流した自分を責める。


 さらには叔母の指示を、叔父も黙認していたと知った。思い返せば、この叔父は最初からエレナを歓迎してはいなかった。結婚が決まったときにも、「うちが財政難でさえなければな」と何度となく言っていたものだ。だが、婚約破棄された令嬢を迎えるのが気に食わないだけだと思い、マティアスは受け流していた。自分の事なかれ主義が、叔父のこの対応を招いたのかもしれない。


 後悔に押し潰されそうになる。


 献花が済み、祭司が締めの言葉を述べた。人々が去って行く。霊園には数名の親族だけが残った。


 叔父と叔母がロシュタール家の人々と何か話しているのが目に入ったが、少し離れた場所でその様子をぼんやりと眺める。やがて伯爵が近くまで来て、追悼の言葉を述べた。マティアスは何か答えようと口を開いたが、結局は言葉にならず、ただ深く頭を下げた。


 伯爵家の四人が立ち去り、続いて親族も姿を消していく。皆が気に掛ける様子を見せたが、マティアスは無言のまま顔を背けた。


 一人、墓標を見つめ続けた。


 夏の名残の温い風が、手向けられたばかりの百合の花の香りを載せて過ぎる。頭上の木々が風に揺れたのか、さわさわと葉擦れが聞こえた。


 日が傾いたころ、ようやくマティアスは踵を返し、正門へ向かって歩き出した。砂利を踏む靴音が、妙に大きく響く。


 間もなく、小径を辿った先に正門が現れた。そのすぐ向こうに、制服姿の門番が見える。貴族用の霊園では、人の出入りを厳しく管理しているため、門前に誰かしらを配置するのが通例だ。たいていの場合は衛兵上がりの者が、武装して立っている。


 さらに近づくと、その門番が誰かと言い争っているのだとわかった。マティアスは、そのまま脇を通り抜けようとした。


 門番が制止する大声に、興奮気味の声が抗議する。なんとなしにそちらに視線を向けると、男がこちらを見た。目が合った。


 途端に男が黙り、目を瞠る。


 それは見知った顔だった。エレナと会っていた男だ。マティアスも相手の顔を見つめ返した。


 次の瞬間、男は門番の顎を掌底で突き上げた。門番は門柱に打ち付けられ、後頭部を打ったのか、よろめいて倒れこむ。その隙に、男が門を駆け込んでくる。


 マティアスは、とっさに反応できなかった。男の体当たりを受け、足を掬われて地面に勢いよく倒れ込む。気がつくと、身体の上に相手が跨がっていた。両肩を押さえつけられ、砂利が背中に食い込む。


「お前のせいだ」


 男の低く掠れた声が降りてきた。見下ろす相貌には怒りが浮かび、目は血走っている。


「許さない。エレナを……お前が……お前のせいで……」


 荒い息が顔にかかった。マティアスは相手の手首を掴んで引き剥がそうとしたが、押さえてくる力のほうが強い。


 いつのまにか男の右手には、短いナイフが握られていた。逆手に持ったその刃先が振り下ろされる。とっさにマティアスは首を捻った。


 左耳を掠めた刃先は、そのまま土に突き刺さった。そのはずみで飛び散った砂利の破片が頬を打つ。


 男がナイフを引き抜き、もう一度振りかざす。だが、それが下ろされる前に、ぴたりと動きを止めた。


 マティアスは生ぬるい液体を浴びた。


 やがて男の身体がぐらりと傾き、マティアスの胸の上に崩れ落ちてきた。その向こうに、長剣を振り下ろした姿の門番を見た。


 男の唇が動く。擦れた声がマティアスの耳に届いた。


「……すべて……知ればいい。……エレナの……思いを。……なぜこんなことに…………ったか」


 喘鳴混じりに、途切れ途切れの声が続く。それでも敵意は消えず、強くマティアスを睨みつけた。


「……知って……後悔するといい」


 そう言ったきり、男は黙った。胸の上の身体がずしりと重くなる。


 応援で駆けつけたであろう足音や呼び声が、近づいてくるのに気付いた。誰かに助けられて、マティアスは立ち上がった。だが、呆然と足元を見下ろすばかりだ。


 男は、赤に染まった砂利の上に、ただ横たわっている。


 ふと、黒髪の脇に転がっている何かが目に入った。西日を受けてわずかに光るそれは、見覚えのある万年筆だった。

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