13.
窓という窓が開け放たれているため、スイカズラの甘い香りが、夜風に乗って漂ってきた。
一際強く、風が吹き込む。あちらこちらでティーナプキンを飛ばしたり、燭台のロウソクの火を揺らしたりと、少しいたずらな風だ。だが、涼を運び込んでくれるので、誰もさほど気にしていなかった。日が落ちてもなお、空気は生ぬるい。
弱小子爵家とはいえ、本家のカントリーハウスであるから、そこそこの大きさはある。居間もそれなりの広さだが、その空間が一杯になるほど、大勢の親族が集まっていた。
普段の居間は節約のために薄暗いのだが、今日ばかりは燭台をいくつも並べているので、かなり明るい。なにしろ従弟の一人が、その日、結婚式を挙げたのだ。
式の間、主役は大人びた澄まし顔だった。それが披露宴になると、花嫁にデレデレな様子を見せて、皆にからかわれていたのを思い出す。その昔は、取っ組み合いの兄弟喧嘩で窓を割るような子供だったというのに、今では立派な紳士だ。
その従弟は、披露宴後には新婚旅行に出かけた。残った親族は大半がそのままカントリーハウスに滞在する。そうして夕食を終え、居間に移動したところだ。
父の名代として、マティアスは客をもてなす側に回っていた。体調が戻らない父は、タウンハウスに留まっている。
招待客に囲まれては世間話に付き合い、酒杯が空にならないよう酒を注いで回り、カードゲームに参加して、それこそあちらこちらに顔を出しながら目を配っていた。特に問題なく終わらせることができそうで、ようやく安堵する。大きな行事は初めてだったが、どうにか乗り切れたのだ。
やがてエレナが、客をキャンドル・テーブルへと案内した。皆がそちらに移動し、次々にロウソクを受け取っては、寝室に向かう。その見送りのために、彼女は廊下に出た。
部屋には、ほんの数名だけが残っていた。二階に上がる必要のない、近くの別棟に住む者ばかりだ。
マティアスはグラスのワインを一口飲んだ。グラスはずっと持ってはいたものの、今の今まで口を付けてもいなかった。数時間ぶりの飲み物に喉が潤い、ふうと大きな息をついた。
「マティアス、少しいいかしら。お話があるの」
いつのまにか隣にマルガレーテが立っていた。
「ああ、構わないよ。なにかな」
答えながら、従妹を近くのソファへと促す。二人は並んで腰を下ろした。
「あのね……あなたに言うべきか迷ったのだけれど……」
マルガレーテは軽く周囲を窺うようにしてから、声を落とした。いつになく、表情が硬い。
彼女は一拍置いてから、その後を続けた。
「エレナさんのことなの」
「え? なにかあった?」
「ねえ、マティアスは、エレナさんが王都へ行くたびに、何をしているか知っているの?」
唐突な問いに、マティアスは軽く首を傾げた。
「ああ、仕入先との商談や、新しい織物の検品だよ。商取引でエレナが担当している店が王都にあるからね」
「仕事のことじゃないわ。慈善活動のことよ。孤児院や救貧院へ行っているでしょ? そのときのこと」
「え? それなら子供と遊んだり、炊き出しを手伝ったりしていると聞いてるよ」
迷いなく答えると、マルガレーテは小さくかぶりを振った。
「そうではなくてね。……その、エレナさん、若い男の人と会っているのよ」
「施設の関係者かな」
聞き流すつもりで軽く返すと、マルガレーテの顔つきはどこか険しい。
「いいえ、ただの関係者には見えなかったわ。なんて言えばいいのかしら、ずいぶんと親しげに話していたの」
「長年通っていれば、気安く話すようにもなるだろう?」
なおも取り合わずにいると、マルガレーテの声に苛立ちが滲んだ。
「そうではないのよ。周囲を気にするように……なんていうのかしら……まるで密会でもしているようだったわ」
「なにを言うんだ。失礼だろ」
「でも私、先月、この目で見たのよ」
「…………」
「それに私だけじゃないわ。知り合いが言ってたの。エレナさんは、慈善活動と称して出かける度に、男と会っているって。その人は何度も見てるって。だから、確かめに行ったの」
確信めいた口ぶりに、マティアスは眉根を寄せた。反論しかけたところへ、傍らにいた叔父が割り込んでくる。
「マルガレーテの言う通りかもしれんぞ」
「叔父上まで……」
思わず呆れ声が漏れた。だが叔父は構わず続ける。
「前の婚約だってそうだ。不貞のせいで破棄されたじゃないか。元々、男癖が悪いんだろう」
その一言に、マティアスは頭に血が上るのがわかった。
「叔父上、滅多なことを言わないでください。あの婚約解消は、先方もエレナも互いに納得した上で決めたことです。不貞などではありません」
「そういうことにはなっているがな。結局、家から追い出されて、持参金をエサにお前に嫁がされたじゃないか」
どこまでも決めつけるような物言いに、どうにも腹が立つ。マティアスは堪えきれなくなった。
「追い出されたわけではありません。エレナはご両親や妹夫婦と、頻繁に手紙をやり取りしていますし、王都に行けば実家にも顔を出しています。追い出されたのだとしたら、そんなはずがないでしょう」
できる限り抑えようとしたが抑えきれず、大声になった。
「これ以上、根も葉もない言いがかりで、妻を侮辱するのはやめてください」
マティアスは、自分の手が微かに震えているのに気付いた。人前でこれほど声を荒げたのは、久しぶりだ。
叔父は不満げに口元を歪め、ブランデーを呷った。マルガレーテはどこかふて腐れたような表情のまま、「もう寝るわ」と言い置いて部屋を出て行った。
近くにいた数人が気まずそうに顔を見合わせ、ピアノを弾いていた別の従妹が手を止めた。だが、マティアスはそちらに気遣うような余裕はなかった。




