第76話 隣の芝生と求めてないこと
わたしも、菊華ちゃんみたいにお兄様にくっついてもいいでしょうか――。
躊躇いながらそう告げてきた白百合に。
……今更ながら『本当は甘えたかったのにだいぶ我慢させてきてしまったんだろうなあ』と、ちくりと胸が痛んだ。
「いいよ。おいで」
そう、にこっと笑いながら俺が白百合の願いを受け入れると、ほっとしたような様子を見せた白百合が「あの、じゃあ……」と言って、なぜか緊張したような様子を見せながらおそるおそるこちらに近づいてきて、俺の座る長椅子の隣にそろりと腰掛ける。
そのまま、白百合がじりじりとこちらに寄ってきたかと思うと、最終的に『ぽふっ』と俺に寄りかかってきて。
……け、謙虚――――――!
多分、俺がこれまでに言ってきた、『男女は節度を持って距離を保つべし』とか、『華族令嬢たるもの、貞淑な淑女たれ』みたいなことを気にしているんだろうけど。
ちらりと白百合を見ると「えへ……」と、それでも嬉しそうにほんのりとはにかむ笑顔に心を打たれた。
白百合……!
お兄様は、妹のいたいけさに、切なすぎて胸が苦しいよ……。
そう思いながら、こちらに寄りかかってくる白百合の手を握ると。
「お兄様……。わたし、ちゃんとできてますか……?」
小さすぎてかすれてしまうほどの、消え入りそうな声で白百合がそう尋ねてきて。
「……白百合は、出来過ぎなくらいちゃんと出来てるよ」
嘘偽りなく思ったことを、そのまま口にした。
「頑張りすぎで心配になるくらい頑張ってる。むしろ、今日みたいに甘えてくれることがなさすぎて心配なくらい」
「……そうですか」
少しは、お兄様のお役に立ててるならよかったです……、と言いながら、くしゃっと笑う。
「……わたし、ずっと不安だったんです」
「不安?」
「菊華ちゃんのためにと言いながら、時に厳しいことを言ったり教えたりしていることが、菊華ちゃんにとって本当にいいことなのか。あんなにのびのびしている子を、わたしがいろいろ言うことで押さえつけてるんじゃないかと思って」
白百合は俯いたまま、握った手にぎゅっと力を入れて、自信なさげにそうつぶやく。
「……ずっと、羨ましくて」
「…………」
「わたしも、菊華ちゃんみたいになれたらなって思いながら。でもどうしてもそうはできなくて。自分が、面白くない、つまらない人間に思えてしまうんです」
「……白百合まで菊華みたいになられたら、それはそれで困るかな……」
白百合まで菊華みたいになってしまったら、ブレーキの効かない暴走車2台を俺ひとりでどう手綱を握ればいいのだろう……。
白百合とふたりで菊華をちゃんと見ていられるからこそ、今の状況があるというのに。
「それに、他のみんなは別に、白百合にそんなこと求めていないと思うよ」
「そうでしょうか……」
「そうだよ。菊華には菊華の、白百合には白百合の得意なことがあるんだから。お互いに、得意なものが違うから助け合えるんだよ」
ひとりでなにもかもなんてできるわけないし。
苦手なことは他人にお願いすることで縁が深まることだってある。
かつて、白百合と同じように傷つき悩んでいた俺にそう教えてくれたのは、前世の母だった。
――俺、別にみんなを笑わせたりとか、面白いこととか言えないし……。
当時の俺は、クラスの中で、みんなを笑わせ中心人物になるような男子生徒を遠目で見ながら「羨ましい」と思っていた。
気の利いたことも、他人を笑わせられる面白いことひとつ言えない俺は、つまらない人間なのだと。
そんなことで落ち込む俺に、当時の母がバッサリと言ったその一言は。
――は? あんたお笑い芸人にでもなりたいの? そうなんだったら面白いことが言えないと致命傷かもしれないけど。そうじゃないなら別に誰もあんたに面白いこと言えなんて求めてないわよ――。
と。
目から鱗が落ちるとはまさに、あの時のような気持ちを言うのだと思う。
――ああ、そうか。
俺は俺らしく生きていいんだ、って。
誰かを笑わせることが得意な人はそれを生かせば良いし、誰かを笑わせることが得意な人が他にいるなら、別に俺がその役目を担わなくても良い。
きっと、俺には俺に向いている役割があって、それを探せば良いし。
別に、なんだったら無理して探さなくても良いんだ。
「……そっか」
「そうだよ。もし白百合が、自分のいいところや得意なところがわからないって言うなら、僕がいくらでも教えてあげるし」
「……お兄様から見た、わたしのいいところって、なんですか?」
お、おっと……。
何の気なしに、妹を元気付けるために言った言葉が、即座に解答を求められる言葉として返ってきた。
しかもなにか、期待を持った眼差しで見つめられているし……。
う〜〜〜ん……。
「……いっぱいありすぎて即答できないんだけど」
「ふふっ、なんですかそれ」
「いや本当なんだって……」
まず可愛いところでしょ。
それから、頑張り屋さんなところと、健気なところと、面倒見がいいところと……。
うんうん唸りながら指折り数えていたら、隣で白百合がまたクスッと笑う気配がした。
「……わたし、お兄様がお兄様で、本当に良かったです」
そう言って白百合が、俺の腰に手を回して、ぎゅっと抱きついてきたかと思うと。
抱きついてきたと思ったのも束の間、またパッと身を離し、こちらを見上げながら先ほどよりもずっとすっきりとしたような表情になって、笑ってこう言った。
「ありがとうございますお兄様。わたし、明日からまた頑張りますね」
「……俺としてはむしろ、白百合は十分頑張ってるから、たまにこうして吐き出してくれた方が安心するけどね」
そう言ってふたりで笑い合って。
夜も遅くなってきたから僕も部屋に戻るけど、また何かあれば――、なくても、時々こうやって息抜きに話す時間は作ろうねと言って。
白百合の頭をわしゃわしゃと撫でて、部屋を後にしたのだった。




