第75話 ごめんなさいと仲直り
宮姫との(一応)デートの後、帰宅して部屋で着替えをしていると、俺の部屋のドアをコンコンとノックするものがあった。
「はい」
「お、お兄さま。菊華です……」
ドアを隔ててもわかる、少し緊張した声色。
昨日菊華に「お兄さまのえっち!」と言われてから、まともに話していなかったからね……。
別に、避けてるとか避けられているというより、単にタイミングがなかったからなのだけど。
「どうぞ。入っていいよ」
そう言って外からの菊華の声かけに対して入室を許可すると、おずおずとドアを開け、気まずそうな様子の菊華が室内に入ってきた。
「どうしたの?」
「あの……」
もじもじと、こちらに近付いてくることなく、閉めたドアの前で言い淀む菊華。
……遠くない?
常に割とゼロ距離で、気がつくとすぐにこちらにくっついてこようとする菊華にしては珍しい距離感。
……まあ、昨日のことを引きずっているんだろうなあと察しはするけど。
「菊華。そんなところにいないで、こっちに来れば?」
そうやって、なるべく菊華を怖がらせないよう、ことさらに微笑みを意識しながら妹を手招きする。
「…………」
躊躇しながらもこちらに近づいてきた菊華に目線を合わせようとすると、菊華の方が気まずそうに目線を外したまま「お兄様……ごめんなさい」と謝ってきた。
「……なにが?」
「お兄様に……、え、えっちって言って……」
と。
恥ずかしいのか気まずいのかわからないが、目線を合わせずに俺に向かって謝ってくる菊華は。
昨日も「俺、馬鹿だなあ……」と思ったけれど、昨日の反省が全く活かされないくらいに、もじもじしている姿が可愛かった。
あー……。
俺、チョロすぎだろ……!
でもめちゃくちゃ可愛いんですけど……!
そんな心のうちの叫びなどおくびにも出さず、「いいよ。兄様は気にしてないから」と菊華に向かってにっこりと微笑むと、菊華のほうも「……ほんと?」と言ってようやくこっちに目線を合わせてくれる。
「うん。僕の方こそごめんね。菊華が「見て欲しくない」って言ってたのに。無理強いしようとして」
「……お兄様は悪くないの。私が悪かったんだもん」
「そう? ……じゃあ、菊華と兄様で、仲直りしよっか」
俺から菊華にそう言うと、菊華が小さく「……うん」と言って。
それから、戸惑いながらも両手を広げてこっちに近寄ってきた。
あー……。
ああそうね……。
一瞬、何をしているのか理解できずに「……ん?」と思ったけれど、数秒遅れて菊華の行動の意図を理解して、その原因が自分であることも思い出した。
――仲直りの、ぎゅー。
間違いなく、それを菊華に教えたのは俺だ。
どういうことかと言うと。
いまでこそ、菊華と白百合は全く喧嘩をすることなど無くなったけれど、最初の頃はちょっとしたことで衝突することもしばしばあった。
その度に、ふたりの話を聞いては仲直りさせ「じゃあ、仲直りのぎゅーしようね」って言っていたのも俺だったね……。
喧嘩なんて久しくすることがなくなっていたから忘れていたけど、こういう些細なことがちゃんとこの子の中に息づいて残っているんだなと思うと、何ていうかそれはそれでちょっと、ぐっとくるものがあって。
思わず胸に込み上げてきたものをなんとか抑え込み、両手を伸ばしてきた菊華をぎゅっと抱きしめ返すと、耳元で「お兄様……、大好き」と泣きそうな声で囁かれた。
「うん。兄様も大好きだよ」
と、そう囁き返して。
――こうして、『お兄様のえっち』事件は終幕を迎えたのだったが。
◇
「白百合」
菊華と無事、仲直りを果たした後のことだ。
コンコン、と部屋をノックして、中にいるであろう功労者の妹に声をかける。
「……お兄様」
どうされたのですか、と尋ねてきた白百合に「ちょっといい?」と言って部屋に入れてもらう。
そうして、ドアをバタンと閉めた後。
「ありがとうね、白百合」
改まって告げた突然のお礼に、白百合がキョトンと首を傾げた。
「……わたくし、お兄様にお礼を言われるようなことしましたでしょうか……」
「菊華を僕のところに寄越したの、白百合でしょ?」
菊華は――、特に何も言っていなかったけれども。
さすがにこれだけ一緒にいる時間も長くなってくると、この子たちの行動はなんとなく読めるようになる。
「お姉様も一緒について来て、って言われなかった?」
「……言われましたけど、もうお姉さんなんだからひとりで行けますよねって言いました」
謝るきっかけを失ってぐじぐじしていた菊華の背中を押したのも白百合だろうし、甘やかすだけじゃなくちゃんと自立できるように時に厳しく言うことができるのも白百合だ。
「……白百合」
「はい」
この間、宮姫に「あんまり急いで成長しなくてもいいのに」という話をしたけれど。
白百合にこそ本当に、急いで成長しなくてもいいんだよと最近思う。
少しだけ早く生まれたからというだけで、菊華の【姉】をさせてはいるが、白百合だって菊華とひとつしか歳が違わないのだ。
本当はまだ、甘えたい気持ちもあるだろうに、それを律してちゃんとしようとする姿は、やっぱりどこかいじらしさを感じることがあって。
「僕に何かしてほしいことある?」
「お兄様に……、ですか?」
「そうだよ。考えてみると、いつもいろいろ白百合に助けてもらってばっかりで、全然お礼とか労うことができてなかったなと思って」
なんでもいいよ、と。
欲しいものとか、連れて行って欲しいところとか、作って欲しいお菓子があれば作るし、と言うと。
白百合は少し考え込み、やがて何か思いついたのかこちらを上目遣いでちらりと見ながら、切り出そうかどうしようか迷うような様子を見せた。
「なに?」
「いえ……、でも」
「遠慮しなくていいよ。とはいえ、僕にできる範疇のことであればだけど」
「…………」
言おうか言うまいか、珍しく歯切れの悪い白百合をじっと待っていると。
「…………すか」
「ん?」
「わ、わたしも……、菊華ちゃんみたいにお兄様にくっついてもいいでしょうか……」




