第68話 土と花
なんだか最近、いろいろありすぎて疲れたな……。
婚約者騒動、春の運動会、その他諸々……。
学業だけでなく、西園寺家の後継者としての授業時間も増えたことで自由に使える時間が格段に減った昨今、空いた時間であれこれとやっていたら流石にここ最近は毎日カツカツだった。
先々週は運動会。
先週の週末は宮姫と会って。
今週末は特に予定がなかったので、午前中は学業の自習をして、午後は西園寺家の家令に事業についての勉強会を開いてもらう約束をしていたのだけど、当日になって「蓮様、すみません。急な予定が入ってしまって……」と家令から言われ、勉強会がキャンセルになり、突然なんの予定もない午後が出来上がってしまった。
………………。
あれ?
いざ久しぶりに何もすることがなくなると、なにをすればいいかぱっと思い浮かばないんですけど?
あ〜……。
多分これ、相当疲れが溜まってるな……。
元気がある時だと、お菓子を作るとか読書をするとか、いろいろやることも思い浮かびそうなものだけれど、この日に限っては本当に何も思い浮かばなくて。
せっかくの休日だし、久しぶりに離れの縁側にでも行って、少しのんびりするか……と、離れに足を向けることにした。
昔、父に頼んでこども部屋にしてもらっていた離れの和室は、最近新しく改装されてすっかり綺麗に生まれ変わっていた。
洋館に面した庭とは違った和を思わせる中庭は、こじんまりとしていて涼しげで、縁側でぼーっと本でも読むにはちょうどいいかと思ったのだ。
そうして、適当な本を手にどっこいしょと縁側に腰を据えると、後ろからちょこちょことついてきていた白に「白。ちょっと」と言って、こちらにくるように手招きした。
『なんだにゃ?』
「元の姿に戻ってくれる?」
俺に寄ってきた白にそう言うと、すんなりいうことを聞いてくれた白が、『なんだ主。何か改まった話でもあるのか』と尋ねてきたので「いいからちょっと、そこに寝そべって」と指示を出す。
『うむ……』
「あ、そうそうそんな感じ。ありがと」
そう言って、縁側に寝そべった白にお礼を言うと、「さ……」と言いながらぽすりと白の腹に背中をもたれかけ、仰向けに寝ころがった。
……うわ。
もふもふ、気持ちいい……。
『おい主……。我は枕ではないのだが』
「まあまあ」
そう不満げに言ってくる白をいいじゃないかと言って撫でて黙らせ、手にしていた本をぺらりとめくる。
外は梅雨前のつかの間のからりとした晴天で、夏の匂いが微かに空気に混じっているように思えた。
そうして、久しぶりに勉強のための読書ではなく、ただの暇つぶしのために本をめくっていた俺は。気付けば白にもたれかかったまま、その柔らかな毛並みに包まれて、ゆるりと眠りの世界に落ちていたのだった。
◇
――夢を見た。
詳しい内容はあまりよく覚えていない。
ただ、何もかもがうまくいかなくて、焦燥感だけが募る思いをしていた気がする。
誰も彼もが俺を軽蔑していて、聞こえてくるのは乾いた嘆息の音。
――才能があるやつが、妬ましかった。
やつらは俺の何倍も要領がよく、少しの学習や鍛錬で要点を掴んではすいすいと上にあがっていく。
勉強は嫌いじゃなかった。
新しい知識を得ることも楽しかったし、努力することでできることが増えることも楽しかった、ただ。
――他人と比べられることが堪えられなかった。
褒めてもらうために勉強をするものではないと思うが、褒めてもらえるというのはひとつのモチベーションになり得る。
個として頑張っていることを評価してもらいたかったのに、求められるのは他者との評価で優れること。
心がささくれていった。
毎日、呼吸をするのも苦しくて。
自分よりも無能な人間を見るとホッとした。
でも、そんなことで安堵している自分がまた惨めで、なるべく視界に入れないように日々過ごしていた。
白百合も、蒼梧も――、菊華もいたと思う。
みんな、いまよりも成長した姿で――、でも俺には興味がなさそうで。
それがまた、己が取るに足らない人間なんだという鬱屈とした気持ちを刺激して、こころを波立たせるのだった。
ああ、そうか。これは――。
――そこでまた、視界が反転した。
◇
「――おにいたま」
誰かに呼ばれて、目が覚める。
見上げた先には、高く澄んだ青空が広がっており――。
……あれ、俺。
なんでこんなところで……。
仰向けに寝そべっている肘に力を入れ、体を起こそうとすると、自分が野原の中、花に埋もれて寝そべっていたことに気づく。
そうして、周りに目をやると。
「……菊華」
広大な野原で、こちらに背を向けてひとりぺしぺしと花を植えかえている菊華がいた。
あれ……。
でもちょっとまて?
なにか、違和感が……。
「なにしてるの? 菊華」
そう思いながら俺が菊華に呼びかけると、呼ばれた菊華がちらりとこちらを振り向き、ふへっと笑う。
――あ。
そうか。
感じた違和感の正体に気づいて、そのままじっと菊華を見つめた。
あそこで花を植えている菊華は、いまの菊華よりも少し幼いのだ。
多分、出会ったばかりの頃――、4、5歳くらいの姿に見えた。
「おにいたまがつちをよくちてくれたから、おはなをうえかえてるの」
「俺が?」
言われてあたりを見回すと、たくさんの花が小さな紙のような器に仮植えされたまま地面に並べて置かれ、菊華に大地に植え替えてもらえるのを待っているように見えた。
「ね? おはな、きれいきれいなったでしょ?」
菊華が、自分の目の前の地面に植え替えたばかりのチューリップを見て、満足そうに微笑む。
顔中に泥をつけたまま、嬉しそうに笑顔で「ふへへ」とこちらを仰ぎ見る菊華をみて。
この子はいったいここで、どれくらいの間ひとりで花を植え替え続けてきたのだろう――と。
ちいさな身体を縮こまらせ、きれいなお花でいっぱいにしようと一生懸命に植え替え続けるその背中に、なんともいえない思いが胸いっぱいに広がって。
頬から、何かがぽたりと落ちたと思った瞬間――、ふたたび世界が切り替わったのだった。




