第31話:春の終わり、また新しい風が吹く窓口で(最終話)
◇◆◇◆◇
【視点:リリアン・ヴェール】
5月末。
窓の外の桜は、いつの間にか力強い緑を湛えた葉桜へと姿を変えていた。
春の嵐が去り、初夏の風がギルドの窓口を吹き抜けていく。
私は定時きっかりに日報を書き終えると、アクアマリンのピアスを整え、街の中央へと向かった。
中央図書館。その一画にある、ユージンの私室。
ここにはギルドの喧騒も、血生臭い依頼書も、不当な要求を突きつける役人もいない。
ただ、紙とインクの芳醇な香りと、彼が淹れてくれた温かなお茶の湯気だけが満ちている。
「……ユージン。主任代行を受けるにあたり、あなたに伝えておかなければならないことがあります」
私は彼から手渡された『地図アーカイブ』のカードキーを握りしめ、視線を落とした。
アクアマリンの瞳が、茶器に映る自分の顔を捉える。
「私たちの出会いは、偶然ではありませんでした。数年前、S級冒険者だった私が最後に受けた依頼は、あなたを護衛し、監視すること。……私は、任務としてあなたに接近したのです。あなたの側にいることが、最も効率的な『防衛策』だったから」
心臓が、窓口で暴徒を鎮圧する時よりも激しく鼓動を打つ。
嘘偽りのない関係を望むなら、この「始まりの不実」を清算しなければならない。
「……プロとして、あるまじき失態です。護衛対象に対して、私情を抱き、あまつさえこのように側に居続けるなど」
沈黙が怖かった。
だが、返ってきたのは、ページをめくるような穏やかな衣擦れの音だった。
◇◆◇◆◇
【視点:ユージン・ラクロワ】
リリアンは、まるで軍事法廷で判決を待つ被告人のような顔をして、膝の上で拳を握りしめていた。
彼女は時折、ひどく不器用になる。
世界を相手に立ち回る知略を持ちながら、自分自身の幸せという「数式」だけは、いつも解き方を見失ってしまう。
「知っていたよ、リリアン。……最初からね」
私は彼女の隣に座り、その震える手をそっと包み込んだ。
「君の身のこなし。僕が危険な書物を開こうとするたびに、音もなく背後に立つ気配。そして何より、僕の好みの茶葉を、出会って三日目ですべて把握していたこと。……ただの読書家にしては、あまりに『プロフェッショナル』すぎたからね」
「……気づいて、いたのですか」
「ああ。でも、僕が好きになったのは、護衛の任務をこなすS級冒険者でも、完璧な事務処理をこなす受付嬢でもないんだ」
私は彼女の顔を覗き込んだ。
亜麻色の夜会巻きから一房だけこぼれた髪が、彼女の困惑を象徴するように揺れている。
「地図の話をすると子供みたいに目を輝かせるところ。時々お茶を飲みながら『ボロスさんの食事が非効率に高カロリーだ』って、ぷんぷん怒りながら話してくれるところ。……そして、今、こうして真面目に『任務だった』なんて告白して、泣きそうな顔をしている君だ」
私は、わざと少しだけ意地悪く、顔を近づけた。
「リリアン。君は僕のどこを監視していたのか知らないけれど、僕は君の、そういう『プロになりきれない可愛いところ』を、ずっと愛してきたんだよ」
「……なっ! か、可愛い……!? 私に対して、そのような非合理な形容は不適切です!」
リリアンの顔が、一瞬で耳の付け根まで真っ赤に染まった。
普段、何百人の荒くれ冒険者を一睨みで黙らせる「永久凍土」の受付嬢が、今はまるで茹で上がった甲殻類のように狼狽している。
「ユ、ユージン! からかわないでください。私は今、非常に深刻な話を……。だいたい、私のどこが、その……非効率に赤くなるような……っ」
彼女はアクアマリンのピアスを弄ろうとしたが、指が空を切り、さらに顔を赤くして俯いた。
鉄のカーテンが完全に崩壊した瞬間だった。
「リリアン。君がこれからも僕を『護衛』してくれるというなら、僕は喜んで君の管理下に置かれよう。……でも、それはギルドの任務としてじゃない」
「……受理、いたします」
消え入りそうな声。
けれど、その返事と共に私の肩に預けられた頭の温もりは、どんな誓いの言葉よりも確かなものだった。
◇◆◇◆◇
【視点:リリアン・ヴェール】
翌朝。
私はいつも通り、1ミリの狂いもなく夜会巻きを整え、ギルドに出勤した。
だが、窓口に座った瞬間、背後から無機質な声が響いた。
「リリアン様。本日の心拍数および血流量が、平常時より15パーセント上昇しています。……何か、清掃が必要なほどの『事象』が起きましたか?」
ナネットが、モップを手に私の顔をジッと覗き込んでいる。
「な、ナネット。何を言っているのですか。私はいたって平常――」
「リリアンさーん! おはようございます! あれ、今日のリリアンさん、なんだか声が柔らかい気がします! 何かいいことあったんですか!?」
エリスが駆け寄ってきて、キラキラした瞳で私を見つめる。
さらに、カウンターの向こう側では看板娘のミアとサーシャが、ニヤニヤと品定めするような視線を送っていた。
「ねえサーシャ、見た? 今日のリリアンさん、アクアマリンのピアスがいつもより誇らしげに揺れてるわよ」
「本当ねミア。これは『定時後』に、マニュアル化できない素敵なハプニングがあったに違いないわ!」
「ミア! サーシャ! 業務に関係のない私語は慎みなさい! ほら、ボロスさんの仕込みを手伝って!」
私が思わず声を荒らげると、二人は「あはは! 照れてるー!」と笑いながら厨房へ逃げていった。
顔が熱くなるのを必死で抑え、私はアクアマリンのピアスに触れた。
二階からは、お気に入りのワインを没収されたクリフォード様の、弱々しい嘆き節が相変わらず聞こえてくる。
(……昨夜のことは、完全に記憶のアーカイブの奥底へ封印したはずなのに。プロとして、これほど周囲に悟られるなど……)
カラン、と扉の鈴が鳴る。
入ってきたのは、膝を震わせ、今にも泣き出しそうな表情をした1人の新米冒険者だった。
装備は不揃い、地図は逆さま。かつての私と同じ、あるいは私が守ろうとしてきた「日常」の入り口に立つ若者。
私は立ち上がり、これ以上ないほど美しく、そして冷徹な――けれど、その奥に溢れんばかりの情愛を込めた微笑みを浮かべた。
「――ようこそ、冒険者ギルドへ」
私のペンが、再び新しい物語を綴り始める。
世界がどれほど残酷であっても。窓口という名の戦場に立つ私が、彼らの冒険の、最初の盾になる。
「あなたの装備、その靴紐の結び方では30分で足首を折りますわよ。……プロのアドバイスを聞く準備は、できていますか?」
季節は巡り、また新しい風が吹く。
私のペン先が、次に綴る誰かの冒険を、今日もここで待っている。
【リリアンのプロな流儀】
「季節は巡り、物語は終わらない。私のペン先が、次に綴る誰かの冒険を待っているのだから。プロとしてここに立ち続けること。それこそが、私が見つけた、最高に贅沢で愛おしい人生の冒険なのだから」
(完)
あとがき
最後までお付き合いありがとうございました。
このお話は、冒険者ギルドという限られた舞台で、それぞれの視点から物語を進めるというやり方を取ってみました。
一見地味な裏方の世界ですが、冒険者たちを支えるプロフェッショナルたちの視点から異世界ファンタジーを見つめたら、というコンセプトから生まれたゆったりとしたファンタジーを描きたかったのです。
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