第30話:リリアン・ヴェールの「プロの流儀」
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【視点:リリアン・ヴェール】
5月末。ギルドは年度末の総決算と、冒険者たちのライセンス更新、さらに大量の素材納品が重なり、1年で最も「戦場」に近い様相を呈していた。
私は主任代行として、通常の窓口業務をこなしつつ、全スタッフの進捗状況を秒単位で管理していた。
「――リリアンさん、これ、見てください。地下の整理中に出てきたのですが……」
アンリさんが、震える手で1枚の黄ばんだ羊皮紙を差し出してきた。
それは、300年以上前に交わされた「ギルド敷地に関する特例権利書」の原本だった。
「……アンリさん。これに記されている法文は、現行の土地公有法と矛盾しています。つまり、解釈次第では、このギルドの敷地は『王室の直轄地』として没収される可能性があるということですね」
「そ、そうです。そして最悪なことに、王都の法務局から会計監査の役人が、すでに広場まで来ているという情報が……」
私は左耳のアクアマリンのピアスを強く撫でた。
クリフォード様が胃を押さえて机の下に隠れようとし、クラウディア主任が優雅に、しかし冷徹な微笑みを浮かべて紅茶を淹れ直す。
私はバインダーを閉じ、背筋を伸ばした。
「エリス、ベルナール。過去10年分の固定資産税の納税証明書と、前任の土地管理人との書簡をすべて用意しなさい。……3分以内です」
ほどなくして、ギルドの扉が乱暴に開かれた。
現れたのは、鼻持ちならない表情をした王都の役人と、武装した数人の兵士だった。
「このギルドの土地利用権には重大な疑義がある。即座に業務を停止し、明け渡しの準備を――」
「失礼ですが、お名前と所属を。それから、その強制執行に関する勅令の謄本を提示してください」
私はカウンターを飛び出し、彼らの前に立った。
私の脳内にある『冒険者カタログ』と『王国法典』のデータベースが、瞬時に彼らの「弱点」を導き出していた。
「……なんだ、小娘。受付嬢に話すことなどない。責任者を――」
「私は主任代行のリリアン・ヴェール。本件に関するすべての交渉権を委任されています。……さて、あなたが手にしているその督促状。日付が昨年度のままですが? 行政手続法第14条によれば、有効期限の切れた書面による強制執行は、公権力の濫用とみなされます。……加えて、この権利書の裏面にある特殊条項、第8項をご存知ですか?」
私はアンリが見つけた権利書を掲げた。
「ここには『ギルドが公益に資する活動を継続する限り、土地の無償提供を永続する』とあります。昨夜の嵐で私たちが500人の命を救った実績は、すでに王都の広報官に報告済みです。……つまり、今このギルドを閉鎖させることは、王室の慈悲を否定することに繋がりますが。……よろしいですね?」
私の声は、ホール全体に響き渡った。
役人の顔が、みるみると青ざめていく。
「……な、なんだその知識は……。ただの受付嬢が、なぜ法務にこれほど精通している……!」
「私はプロの受付嬢です。窓口を守るためには、魔物の弱点よりも、法律の矛盾を突く方が効率的だと知っているだけですよ」
私は完璧な事務的な微笑みを浮かべ、出口を指し示した。
「お帰りはあちらです。……ああ、出口にナネットというメイドがおります。彼女が『掃除』を始める前に、立ち去られることをお勧めしますわ」
◇◆◇◆◇
【視点:全スタッフ】
役人たちが尻尾を巻いて逃げ出し、扉が閉まった瞬間。
ギルドホールに、震えるような沈黙のあと、地鳴りのような歓声が巻き起こった。
「うおおおおお! リリアンさん! 最高だぜ!」
「あの鼻持ちならない役人を、ペン一本で追い返しちまった!」
カウンターの前では、ベテラン冒険者のガリックが拳を突き上げ、新人のトビーは涙を流して「やっぱり……リリアンさんは僕たちの女神だ!」と叫んでいる。
「ガハハ! 飯の準備はできてるぜ! 勝利の特製ジンギスカンだ!」
厨房からボロス料理長が丸太のような腕を振り回し、エリスは感極まってリリアンに抱きつこうとして、「エリスさん、業務中です」と冷たくあしらわれていた。
その光景を、執務室の影から見ていたクリフォード・マルソーが、眼鏡のブリッジを押し上げながら小声で呟く。
「……ねえ、クラウディア。気のせいかな。今のリリアン君、僕より100倍くらい『ギルドマスター』っぽくなかったかい?」
「あら。気のせいではなくて事実よ、クリフォード。あなたも彼女を見習って、少しは胃薬の量を減らしたらどうかしら」
クラウディア主任が優雅に紅茶を啜りながら答える。ホールでは冒険者たちが「もうリリアンさんがマスターでいいんじゃねえか?」と冗談めかして笑い、それに賛同する声が次々と上がっていた。
リリアンは一度だけアクアマリンのピアスに触れ、いつもの「永久凍土」の表情で事務用時計を見た。
「総員、業務に戻りなさい。まだ本日の更新作業が40パーセント残っています。……それから。本日の役人対応に伴う精神的補填として、スタッフ全員に特別手当を支給します。……財源は、クリフォード様の『今月の高級ワイン購入費』から補填しておきます。……以上、解散!!」
刹那。
二階のマスター室から、石造りの建物を震わせんばかりの絶叫が響き渡った。
「リ、リリアンくーーーん!! 僕が半年待ってようやく手に入れたヴィンテージ・シャトーがぁぁぁ!! 経理のベルナール君! 判を押さないでくれ! 待って、せめて一本だけは残してぇぇぇ!!」
階段を駆け下りようとするクリフォード様の声を、ベルナールが無表情で帳簿を閉じる音が無慈悲に遮る。
ホールは一転して爆笑の渦に包まれた。
「ガハハ! よし、ワインの代わりに俺の特製ジンギスカンを奢ってやるよ、マスター!」
「リリアンさん、最高! 一生ついていきます!」
ホールの熱狂は、彼女の冷徹な「横領(?)宣告」によってさらに加速した。
誰かの犠牲の上に成り立つ平和。
それもまた、この『春風の窓口』の日常の風景なのだ。
【リリアンのプロな流儀】
「プロの仕事に、喝采は不要だ。特別な英雄譚など必要ない。ただ、いつも通りの『いってらっしゃい』で1日を終え、この場所を明日へ繋ぐことができれば、それが受付嬢にとって最大の勝利なのである」
(第30話:完)
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