第26話:鑑定士ジゲン、最後の「真贋」
◇◆◇◆◇
【視点:ジゲン・シュテルン】
鑑定室は、嘘が通用しない場所じゃ。
魔物の素材も、古代の遺物も、ここに来ればその「真実」を曝け出すことになる。
ワシは鼻眼鏡を外し、丁寧にレンズを磨いた。目の前には、さきほど若手の冒険者が命からがら持ち帰ったという、1枚の古い羊皮紙が置かれている。
「……ほう。これは、ただの地図ではないな」
羊皮紙からは、どす黒い魔力の残滓が漂っている。通称「呪われた地図」。
だが、ワシが驚いたのはその呪いではない。そこに描かれた海岸線、山脈の隆起、そして名もなき集落の配置――。
鑑定士として70年以上の月日を過ごしてきたワシの記憶が、1つの座標を指し示した。
それは、辺境にある「ヴェール農園」の周辺。ギルドの受付に座る、あの娘の故郷だ。
コンコン、と控えめだが正確なリズムでドアが叩かれた。
「ジゲンさん。例の『特殊物件』の登録準備が整いました。鑑定結果をいただけますか」
入ってきたリリアンは、相変わらず乱れひとつない夜会巻きに、一点の曇りもないアクアマリンの瞳をしていた。彼女は事務用ボードを手に、この「呪物」をただの在庫品として処理しようとしている。
「リリアン。この地図をよく見たか?」
「ええ。記録によれば、第3紀後半の様式を模した偽造品、あるいは情報の欠落が激しい失敗作と推測されます。呪いの解除費用と資産価値を天秤にかければ、即座に封印処理を施すのが合理的です」
淀みない報告。完璧な事務処理。
だが、彼女がアクアマリンのピアスに触れる回数が、いつもより1回多い。
「……リリアン。お主、この地図の左下にある、小さな『しるし』に気づいておらんわけではなかろう?」
ワシが指差したのは、等高線の端に小さく描かれた、鳥の羽のような紋章。
リリアンの指先が、わずかに、しかし確実に止まった。
「お主はいつも、プロの仮面を被って世界を数字で管理しようとする。だがな、鑑定の本質は『真贋』を見極めることだけではない。対象が放つ『熱』を感じ取ることじゃ」
「……ジゲンさん。私は、ギルドの職員です。私情を挟む余裕はありません」
「黙れ、小娘。たまにはプロの顔を捨てて、自分のために驚け。……この地図を描いたのは、お主の父親ではないのか?」
リリアンの瞳が、大きく揺れた。
それは、鉄の女が初めて見せた、1人の「娘」としての動揺だった。
◇◆◇◆◇
【視点:リリアン・ヴェール】
ジゲンさんの言葉が、私の「鉄のカーテン」を容易く貫いた。
羊皮紙の上に描かれた、不格好なまでに細密な地図。
その筆致、線の引き方、そして隅に隠された小さな羽の紋章。
記憶の底に沈んでいた、土とインクの匂いが蘇る。
「……父は、冒険者ではありませんでした」
気づけば、私は事務用ボードを机に置き、呪われた地図に手を伸ばしていた。
「ただの、夢想家でした。辺境の村で農作業の合間に、見たこともない世界の地図を描いては、『いつかここに行くんだ』と笑っていた。……母はそれを『野菜の足しにもならない』と怒っていましたが、私は、その地図の向こう側に広がる無限の自由が、たまらなく好きだったのです」
父が若くして病で亡くなった時、私の手元に残ったのは、描きかけの1枚の地図だけだった。
私は、父が夢見た「真実」を確かめたかった。
だからこそ、情報の海である王都へ向かい、軍師として、そして冒険者として、世界の隅々を歩き回った。地図が示す場所が「真実」であることを証明するために。
けれど、いつしか私は、地図を「管理する道具」としてしか見なくなっていた。
命を守るための座標。利益を生むためのデータ。
いつの間にか、父が持っていたあの「熱狂」を、冷徹な事務処理の中に閉じ込めてしまったのだ。
「リリアン。知識を『守る』ことは尊いが、それだけでは死んだ記録と変わらん」
ジゲンさんが、穏やかな声で私の肩に手を置いた。
「この地図には呪いがかかっておる。だが、それは悪意ではない。……『この先を見たい』という、描き手の執念が魔力と結びついただけのものじゃ。お主が、この地図の『続き』を心から望めば、呪いは消える」
私は目を閉じ、深く呼吸をした。
受付嬢としての誇り。軍師としての計算。それらを一度、心の奥底へ仕舞い込む。
代わりに、幼い頃に父の膝の上で地図を眺めていた時の、あの高鳴る鼓動を呼び覚ます。
(……見たい。この線の先にある、まだ誰も知らない風景を)
目を開けた瞬間。
羊皮紙を覆っていた黒い霧が、陽光に解かされるように消え去った。
そこには、ヴェール村のさらに奥、険しい連峰の向こう側に広がる、美しい未踏の渓谷が描き出されていた。
「……ジゲンさん。これは、鑑定対象ではありません」
私はアクアマリンのピアスを整え、いつもの「鉄の微笑み」を浮かべた。
だが、その瞳には、かつてないほど強い光が宿っていた。
「これは、私の『未完の依頼』です。いつか、自分の足でこの続きを描き足しにいくための」
「ふむ。それでこそ、わしが認めたリリアンじゃ」
ジゲンさんは満足げに鼻眼鏡を直し、再びレンズを磨き始めた。
鑑定室を出ると、廊下にはアンリが心配そうに立っていた。地下の大図書庫から、呪いの波動を感じ取って駆けつけたのだろう。2階からは、クラウディア主任が優雅に紅茶を啜りながら、こちらを見守っているのが見えた。
「リリアンさん、大丈夫ですか? 地図の鑑定、手伝いましょうか?」
「いいえ、アンリさん。……でも、後で地下へ伺います。この地図の座標、最新の測量データと照合したいのです」
「……! ええ、喜んで!」
私は窓口へと戻る。
明日を守るためにペンを執り、数字を管理する日々は変わらない。
けれど、私の心の中には、父から受け継いだあの「冒険心」という名の地図が、再び色鮮やかに広がり始めていた。
【リリアンのプロな流儀】
「真実を見抜く目は、冷徹なだけでは足りない。対象への『熱狂』があって初めて、その奥底にある光が見える。プロとして守り抜くべき知識の根底には、常に少年少女のような好奇心が眠っているべきなのだ」
(第26話:完)
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