第25話:エリスの告白? ベルナールの無関心
◇◆◇◆◇
【視点:エリス・クロフォード】
5月の祭典。街は色鮮やかな旗で飾られ、ギルドもまた、浮き足立った冒険者たちで賑わっている。
だが、私の心の中は、どの冒険よりも過酷な戦場と化していた。
手元には、昨夜3回も焼き直した手作りのクッキー。
そして、それを持つ私の手は、冬の寒冷地任務でもないのに小刻みに震えている。
「……ねえ、エリス。本当にいいの? 相手、あのベルナールさんだよ?」
背後から、看板娘のミアさんが心配そうに声をかけてくる。
隣ではサーシャさんが、メモ帳を片手に「観察対象」を見つめるような目で私を見ていた。
「35歳の独身貴族……というより、数字と結婚した冷血男。エリスは22歳でしょ? もっとこう、爽やかなイケメン剣士とか、将来有望な魔法使いとか、他に選択肢はいくらでもあると思うんだけど」
「……ミアさんの言う通りだわ。ベルナールさんのどこがいいの? あの顔色が悪くて、三白眼で、そろばんの音しか愛してないような人の」
2人の突っ込みは正論だった。
けれど、1度芽吹いてしまった感情は、ギルドの規約でも抑え込むことはできない。
「……ベルナールさんは、数字に嘘をつかない人なんです。窓口のミスを指摘する時のあの冷たい声も、実はギルドの予算を守るための誠実さの裏返しで……」
「……ダメだわ。この子、完全にフィルターがかかってる……。まぁ、せいぜい頑張りなさいな。これでも応援してはいるから」
ミアさんが額を押さえる。
私は意を決して、リリアンさんの元へ向かった。
リリアンさんは、受付の空き時間に私の相談を「事務的に」聞いてくれた。
「贈答品の作法ですね。エリスさん、プロの受付嬢として、相手の『時間コスト』を奪わないタイミングと、中身の『資産価値』の適正化は基本です。……いいですか、渡すのは業務終了5分前。中身は1口で消費可能かつ、計算作業を妨げない糖分含有量のもの。そして包装は、片手で解体可能な簡素なものにしなさい」
「は、はい! リリアンさん! ありがとうございます!」
私はリリアンさんの「プロの助言」を胸に、17時の鐘が鳴る直前、経理デスクへと突っ込んだ。
「べ、ベルナールさん! これ、受け取ってください! 祭典の、その、日頃の感謝です!」
ベルナールさんはそろばんを弾く手を止め、三白眼で私と、差し出された小箱を交互に見た。
私の心臓が、耳元で爆音を奏でる。
彼は無言で箱を受け取ると、中身を見るよりも先に、私が一生懸命結んだリボンに指をかけた。
「……エリスさん」
「は、はいっ!」
「このリボン、3重結びになっていますね。解くのに1.5秒のロスが生じます。加えて、包装紙の折り目が1ミリ単位でズレている。……非効率です。贈答とは本来、相手の利便性を最大化させるべき行為のはずですが?」
「…………えっ?」
告白の返事でも、味の感想でもない。
返ってきたのは、包装の「効率性」に対する辛辣なダメ出しだった。
◇◆◇◆◇
【視点:サーシャ・ヴォルコフ】
「――ああああ、やっぱりそうなるわよね!」
酒場の柱の陰で、私とミア、そしてなぜか巻き添えで呼ばれたトビー君の3人は、その惨劇を目撃していた。
「ひどい……。エリスちゃん、泣きそうな顔してるじゃない。あんなの、プロの受付嬢以前に、ただの鬼よ! 誰かあのそろばん男を解体所に叩き込んで!」
ミアが憤慨する横で、私は猛烈な勢いでペンを走らせる。
「違うわ、ミア! 見なさい、あのベルナールさんの硬直した指先を! これは高度な『ツンデレ』による防衛本能よ! 彼は今、22歳の乙女の純情という名の強大な魔力に当てられて、必死で数字の世界に逃げ込もうとしているのよ!」
「サーシャさん、妄想が激しすぎるっす……。俺には、ベルナールさんがただ空気を読めてないだけに見えるっすよ」
トビー君が呆れ顔で言うが、物語の真実は常に裏側にあるものだ。
結局、エリスは「すみません! 次回はもっと効率化します!」という謎の謝罪を残して、逃げるように走り去っていった。
その日の夜。
ギルドが閉鎖され、スタッフ数人だけが残業している静かな時間。
私とミアは、売上の集計を口実に、こっそりと経理デスクの様子を伺っていた。
ベルナールさんは独り、デスクの隅で、エリスが渡した小箱を広げていた。
精密な秤を取り出し、クッキーの重量を1枚ずつ量っている。
「……1枚、5.2グラム。厚みの誤差、0.5ミリ以内。……素人にしては、驚異的な標準化の精度だ」
彼はそう呟くと、大切そうに1枚を口に運んだ。
その時、地下の図書室から上がってきたリリアンさんが、音もなく彼の背後に立った。
「……ベルナールさん。残業中に『官能評価』ですか?」
「ひっ……!?」
ベルナールさんが、あんなに情けない声を出すのを初めて聞いた。
彼は慌てて秤を書類で隠そうとして、逆にクッキーの箱をひっくり返しそうになる。
「……リ、リリアン。これは違う。私はただ、部下から提出されたサンプルの『規格整合性』を確認していただけであって、断じて私的な間食を……」
「口の端に粉がついていますよ。それに、規格を確認するのに、なぜそんなに耳が赤いのですか?」
リリアンさんの冷徹な指摘に、ベルナールさんは「これは……部屋の魔力濃度が高く、血流が促進されているだけだ!」と、誰が見ても苦しい取り繕いを見せた。
「そうですか。その『サンプル』、非常に優秀なようですから、廃棄せずに完食することをお勧めします。糖分は脳の演算速度を12パーセント向上させますからね」
リリアンさんは一度だけアクアマリンのピアスに触れ、わずかに口角を上げて去っていった。
残されたベルナールさんは、しばらく呆然とした後、誰もいないことを確認して(私たちがいるけど!)またクッキーを1枚、今度はさらに愛おしそうに口に放り込んだ。
「……ミア、見た?」
「見たわ。……あのベルナールさんが、あんなに動揺して、しかも言い訳までして。……ねえ、これってもしかして……」
「ええ。脈、ありありよ!」
私は確信した。恋愛。それはどんな軍師の戦略も、どんな経理の計算式も通用しない、世界で最も非効率で、愛すべきバグ。
エリスに教えてあげなきゃ。あなたのクッキー、経理部の『重要規格』に認定されたわよ、って。
【リリアンのプロな流儀】
「恋愛は、最も非効率で予測不能な『依頼』である。どれほど完璧なマニュアルを揃えても、相手の心という未踏の地を攻略する方法は見つからない。……だが、その計算外のズレこそが、人生という名の地図を美しく彩るのである」
(第25話:完)
ぜひご感想をお寄せください。
また評価とブックマークもしていただけると嬉しいです!!




