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《冒険者ギルドのお仕事ファンタジー》鉄の受付嬢リリアンのプロの流儀 ~冒険は、窓口から始まります~  作者: ざつ
第三部:五月・満開の季節、そして新しい風

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第24話:ナネットのメイド服の下の傷跡

◇◆◇◆◇


【視点:ナネット】


 掃除は、世界の秩序を維持するための最小単位の戦闘です。


 五月の陽光が、ギルドホールの高窓から埃のダンスを照らし出しています。

 私は脚立に登り、シャンデリアの最上部に蓄積した数ミリの「淀み」を拭い去っていました。


「す、すごいですナネットさん……。あの高さで片手一本なんて、私には絶対無理です……」


 階下で、新人のエリスが震える手でほうきを握りながら、感嘆の声を漏らしています。

 彼女は真面目ですが、効率を求めすぎるあまりに動作が硬い。


「エリス様。感嘆している暇があったら、北西の角の蜘蛛の巣を殲滅しなさい。30秒の遅延は、埃の増殖を許す隙となります」


「ひっ、はい! すみません!」


 エリスが慌てて走り去るのと入れ違いに、解体所から鼻の下をごしごしと擦りながらトビーがやってきました。


「ナネットさん、そっち終わったら解体所の奥も頼みますよ! ハンスさんが『血の匂いがこびりついて取れねえ』ってボヤいてて……。あ、リリアンさん! 今日も一段とお綺麗で……わわっ!」


 トビーは受付カウンターから出てきたリリアン様に見とれ、掃除バケツに足を引っ掛けて派手に転倒しました。


 私は無言で脚立の上から彼を一瞥します。

 ふとした拍子に、力を入れた右腕のメイド服の袖が肘の上まで滑り落ちました。


 剥き出しになった私の腕には、白く、ひきつれたような無数の傷跡が刻まれています。

 それは、かつて私が人間ではなく「兵器」として、泥と血の中で這い回っていた頃の消えない記録。


「――ナネット。その高さの清掃は、15分以内で完了させなさい」


 凛とした声が響きました。

 見上げなくてもわかります。私の主であり、かつての師でもあるリリアン様です。


 私は無言で袖を引き下げ、脚立を降りました。


「リリアン様。清掃完了。……次の戦域は、トビー様が汚した床の再洗浄です」


「待ちなさい、ナネット。あなたは一日の稼働時間が、規定の閾値を越えています。……少し、話しましょう」


 リリアン様に促され、私は人気のないバックヤードへと移動しました。


◇◆◇◆◇


【視点:リリアン・ヴェール】


 バックヤードの資料室。

 高窓から差し込む光が、ナネットの無機質な表情を照らしています。


 彼女の腕に刻まれた傷。

 あれの一部を刻ませたのは、かつて戦場で「指揮官」として彼女に非情な命令を下した私自身でもあります。


 彼女は、私の最も忠実な弟子であり、そして誰よりも長く背中を預けてきた戦友。


「ナネット。あなたはなぜ、そこまで徹底して『彼』の周囲を掃除するの? ギルドの警備範囲外であるはずの、ユージンの私生活まで」


 ナネットは、背筋を伸ばして答えました。


「ユージン様は、リリアン様がようやく手に入れた『平穏』そのものだからです。彼は私たちがかつて踏みにじってきた『ありふれた幸福』を体現する存在です」


 彼女の瞳に、わずかな熱が宿ります。


「彼に傷一つでもつけば、リリアン様の日常という名の防衛線は崩壊します。……私は、二度とあの血の匂いがする場所へ、あなたを戻したくないのです」


 彼女の言葉は、かつての罪を背負う私への、不器用な献身でした。

 

「……ナネット。あなたの忠義には、常に感謝しているわ。けれど、プロの管理能力とは、道具の摩耗まで考慮に入れることよ」


 私がメモを差し出そうとしたその時、扉が静かに開き、宿舎管理人のマルサさんがお盆を持って入ってきました。


「おやおや、二人で随分と難しい顔をして。ナネット、あんたの脈が少し速いね。リリアンにまた絞られてるのかい?」


「マルサ様。これは……自己メンテナンスの範疇です」


「ふふ、いいからお飲み。ルネさんから届いたばかりの山菜に合う、特別なハーブティーだよ。血の巡りが良くなる。……あんたたちみたいな『頑張りすぎな子』には、これが必要さ」


 マルサさんは、ナネットの傷跡が見えていた腕に、優しく、しかし確かな温もりで触れました。

 引退した伝説の毒使い。その手は、毒よりも深く、傷ついた魂の癒やし方を知っています。


 私は改めて、一通のメモをナネットに手渡しました。


「来週のシフト、あなたの午後を半日分、強制的に空けました。クラウディア主任に、最近入った『新緑のハーブティー』の茶葉を預けてあります。二人で事務局のテラスでお茶でもしてきなさい。……これは命令です」


 ナネットは一瞬だけ目を見開きました。


「……了解しました。リリアン様。メンテナンスを完了し、より鋭い『モップ』として帰還します」


 彼女は深く一礼し、マルサさんの淹れたお茶を一口飲んでから、再び戦場――もといホールへと戻っていきました。


 過去は消えません。犯した罪も、刻まれた傷も、一生私たちを苛むでしょう。

 けれど、今ここで流す汗が、明日の誰かの笑顔を繋いでいる。


 私はペンを執り、次の受付票へと視線を落としました。

 外ではエリスの慌ただしい足音と、トビーの威勢のいい声が響いています。

 

 この「平和な事務処理」という名の戦いを、明日もまた、この仲間たちと続けていくために。


【リリアンのプロな流儀】

「過去は消えない。だが、今日流す汗は、昨日の血を洗い流すことができる。プロとして生きることは、己の傷跡さえも、明日を守るための礎に変える覚悟を持つことである」


(第24話:完)


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