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《冒険者ギルドのお仕事ファンタジー》鉄の受付嬢リリアンのプロの流儀 ~冒険は、窓口から始まります~  作者: ざつ
第三部:五月・満開の季節、そして新しい風

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第23話:恋人ユージンの「プロの恋人としての流儀」

◇◆◇◆◇


【視点:ユージン・ラクロワ】


 中央図書館での勤務を終え、私はリリアンのアパート「青い鳥荘」へと足を運んでいた。


 合鍵で扉を開けると、室内には沈黙と、かすかにインクの匂いが漂っている。

 壁一面を埋め尽くすアンティーク地図は、彼女がここをどれほど大切にしているかの証左だ。


 カチリ、と時計の秒針が刻む音だけが聞こえる。

 ほどなくして、重い足音が廊下に響いた。


「……ただいま戻りました」


 現れたリリアンは、一見すればいつもの完璧な受付嬢だった。

 背筋は伸び、制服に皺一つない。

 だが、左耳のアクアマリンのピアスが、わずかに震えている。


「おかえり、リリアン。今日は随分と遅かったね。……顔色が少し、青白いよ」


「……ええ。少し、質の悪い『計算違い』が起きましたので。事務的な処理に、想定以上のリソースを割かれました」


 彼女は淡々と告げ、力なくソファーに体を預けた。


 私は彼女の言葉を額面通りには受け取らない。

 アンリから聞いているギルドの噂、および時折彼女が漏らす、あまりに「洗練されすぎた」所作。

 

 思えば、数年前に私が中央図書館の禁書庫管理を任された直後、彼女は唐突に私の前に現れた。

 最初はただの「熱心な読書家」だと思っていたが、今ならわかる。

 あの時、彼女は私を護衛する任務に就いていたのだ。


 私は何も聞かず、台所へ向かった。


「……ユージン、何をしているのですか?」


「お茶を淹れているんだ。君の好きなお菓子も、市場で買っておいたよ」


 私は彼女の隣に座り、温かなカップを差し出した。

 湯気が、彼女の強張った表情をわずかに溶かしていく。


「……ユージン。私は今日、規約の守り手として、ある冷徹な『決断』を下しました。守秘義務がありますから、詳しい内容は言えません。……ですが、誰かの未来を奪う判を押すこともまた、この窓口に座る私の、逃れられない責務なのです」


 彼女が、私を見つめる。

 その瞳の奥には、冷徹な執行官としての孤独が揺れていた。


「リリアン。私は君がどんな仕事をして、どんな過去を背負っているのか、詳しくは知らない。……けれど、今の君が、ただの『リリアン』としてここに戻ってきたことはわかるよ」


 私は彼女の手を、そっと包み込んだ。


「ギルドでの君がどんなに鋭い刃であっても、ここには君を切るものも、君が切るべきものも存在しない。ここは君の『日常』だ。……だから、今はただの地図好きの女性に戻っておくれ」


 リリアンは一瞬、目を見開いた。

 それから、ふっと憑き物が落ちたように微笑む。


「……ずるい人ですね。あなたは。……そう、そうですね。今夜は仕事の話はおしまいです。……ねえ、ユージン。先日手に入れた、北方の測量図の写し……あれの等高線のズレが、やっぱり気になって……」


 彼女は子供のように瞳を輝かせ、夢中になって地図の話を始めた。

 

 私はそれを聞きながら、ただ穏やかに相槌を打つ。

 彼女が「鉄の女」として張り詰めていた神経を、ゆっくりと解き放っていく時間を守る。

 それこそが、一級書記官である私にしかできない、彼女への「プロの恋人」としての流儀だった。


◇◆◇◆◇


【視点:リリアン・ヴェール】


 ユージンが淹れてくれたお茶は、驚くほど私の喉を優しく通った。


 鞄の中から、一通の手紙を取り出す。

 今日、地方の分会に戻った研修生のフィーナから届いたものだ。

 

『リリアンさんへ! 教わった通りに書類を整えたら、支部長に「見違えたな」って褒められました! アクアマリンのピアス、宝物です。いつかリリアンさんみたいなプロになります!』

 

 拙い文字で書かれた感謝の言葉に、ささくれ立っていた心が少しだけ温まる。

 彼女のような「芽吹き」を守るためなら、私は何度でも鉄の仮面を被ろう。


「……あ。……失礼、ユージン。私、少し行儀が悪かったかしら」


 気づけば、私はソファーの上で膝を抱え、ユージンの肩に頭を預けていた。

 ギルド職員がこの姿を見れば、卒倒するに違いない。


「……ねえ、ユージン」


「なんだい?」


「あなたは、私が何者か、……本当は気づいているのでしょう?」


 私の問いに、彼はしばらく沈黙した。

 窓の外、夜の街の灯りがカーテンの隙間から差し込んでいる。


「……さあ、どうだろうね。君がたまに、寝言で『戦線の維持』や『補給線の確保』なんて、学術的で物騒な言葉を呟いていることや……市場の雑踏で、まるで見えない伏兵を避けるように歩く身のこなしを見ていると、ね」


「……寝言、ですか。それは……不覚でした」


 私は顔を赤らめた。

 彼は気づいている。私がただの受付嬢などではないこと、そしてその背後に血生臭い「戦場」の記憶があることを。

 

 数年前、S級冒険者としての私が受けた最後の任務は、王国の英知が集う中央図書館の若き管理官――ユージン・ラクロワの極秘護衛だった。

 

 護衛対象と恋に落ちるなど、プロとしてあるまじき失態だ。

 けれど、彼の穏やかな瞳に触れるうちに、私は「武器」ではなく「人」として生きる喜びを知ってしまった。

 

 ギルドの受付嬢というポジションを選んだのは、偶然ではない。


 ここは街の情報の集散地。彼に忍び寄る不穏な動きをいち早く察知し、それでいて彼に悟られない距離で守り続けるための、最も効率的な戦略地点なのだから。


 この「秘密」と「日常」を共有する者は、ギルド内でも数人しかいない。  事情を知るクラウディア主任、影からさらに私たちを警護してくれるナネット、そして「地図同盟」の相棒であるアンリ。  それ以外の者に、彼の存在は決して明かさない。


 私の過去が呼び寄せるかもしれない火の粉に、この穏やかな「日常」を巻き込むわけにはいかないからだ。

 彼の存在を秘匿し、情報のカーテンで包み込むことは、私にできる最大の防衛戦。


「ユージン。……もう少しだけ、こうしていてもいいかしら」


「もちろん。……気が済むまで、ここにいればいい」


 私は彼の腕の中で、静かに目を閉じた。

 明日になれば、私は再びアクアマリンのピアスを整え、「鉄の女」としてカウンターに座るだろう。

 

 けれど、この温もりが記憶に刻まれている限り、私はどんな嵐の中でも、折れることなく微笑み続けることができる。


【リリアンのプロな流儀】

「完璧なプロであるためには、完璧に『無防備』になれる場所が一つだけ必要だ。鎧を脱ぎ、盾を置き、ただの自分に戻る一瞬の休息。それこそが、次の戦場へ向かうための、最強の武器になるのである」


(第23話:完)


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