第18話:情報の「大掃除」とナネットの沈黙
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【視点:リリアン・ヴェール】
4月も終盤に差し掛かり、ギルド内には妙な「噂」が蔓延し始めていた。
発信源は言うまでもない。先日の母・ルネによる爆撃のような訪問だ。
「――ねえ、聞いた? リリアンさん、実は王都の勇者パーティで軍師をやってたって」「マジかよ、あのマスターや主任を顎で使ってるのも納得だな」
カウンターの向こうで交わされる冒険者たちの囁きを、私は羽ペンを走らせる音でかき消した。
(事象:個人情報の不適切な流布による、ギルド内力関係の変動。深刻度:レベルB。対策:……沈黙による風化の促進)
「――失礼。リリアン・ヴェール嬢とお見受けする。私は王都の通商連合から来た調査員のザックスだ」
私の前に立ったのは、高級な仕立ての服を着た、目の奥に狡猾な光を宿した男だった。先日の監査官とはまた違う、情報の「匂い」を嗅ぎつけるプロの気配がする。
「ご用件は何でしょうか。通商に関する問い合わせなら、2番窓口のベルナールへ」
「いや、君に用がある。君の『軍師』としての知見を、我が連合で高額で買いたいと思ってね。……それから、このギルドの『資産』についても、いくつか教えてもらいたいことがある」
男はニヤリと笑い、懐からずっしりと重い金貨の袋をカウンターの下で揺らした。
私はアクアマリンのピアスを静かに一撫でした。
「調査員様。当ギルド規約第72条、および王国内通商法に基づき、現職職員による情報の切り売りは厳禁です。また、あなたの現在の行為は『贈賄試図』と見なされます。……3秒以内にその袋を仕舞わなければ、私は警備担当を呼び、あなたのライセンスを永久凍結します」
「……ほう、手厳しい。だが、噂はすぐに消えない。君がどれほど隠そうとしても、汚れ(ひみつ)はどこからか漏れ出すものだ」
男は捨て台詞を吐いて、ホールを去っていった。
私は男の背中を見送りながら、脳内の『冒険者カタログ』に彼の顔を「出入り禁止予備軍」として登録した。
だが、私の懸念は情報の流出だけではない。あの男が「汚れ」と呼んだものが、このギルドにはあまりにも多いのだ。
◇◆◇◆◇
【視点:ナネット】
床を磨く。それが私の「本業」です。
石畳のわずかな汚れ、冒険者が持ち込んだ泥、そしてギルドの安寧を乱そうとする「塵」。
私はモップを手に、ホールの隅で先ほどの「自称調査員」の男を観察していました。
リリアン様は事務的に彼を追い払いましたが、あのようなタイプは、一度「甘い汁」の匂いを嗅ぐと、地下の archivesやマスターの部屋にまで這い寄ってくるものです。
男がギルドの門を出て、人通りの少ない路地裏に差し掛かった時。
私は「掃除」を開始しました。
「――誰だ!」
男が振り返るより早く、私は彼の影に潜り込み、首筋に銀色のモップの柄を添えました。
もちろん、ただのモップではありません。戦闘メイドとして私が磨き上げた、最高の「処刑器具」です。
「通商連合のザックス様。いえ、正しくは隣国の諜報部隊、工作員の32番様」
「な……っ、なぜそれを!」
「このギルドの床は、私の魂そのものです。そこに不浄な足跡を残す者は、すべて特定済みです。……リリアン様は『法』であなたを裁こうとしましたが、私は『掃除』で対応します」
私は男の懐から、先ほどの金貨と、彼が隠し持っていた記録用魔導具を没収しました。
男が反撃しようとした瞬間、私の背後から凄まじい「重圧」が路地を支配しました。
いつの間にか、屋根の上には腕を組んだクラウディア主任が立っており、さらに影の中からはクリフォードマスターの魔導式が静かに展開されていました。
「ナネット。ほどほどにしなさいね。リリアンの管轄外で騒ぎを起こすと、彼女に叱られてしまうわ」
主任の鈴を転がすような声。
男は、自分が挑もうとしていたのが、ただの「事務組織」ではなく、引退した英雄たちが巣食う「怪物の庭」であったことをようやく理解したようです。
「……失礼。ゴミの処分は、完了しました」
私は男の記憶をわずかに魔導演算で書き換え、そのまま路地裏に放置しました。
ギルドに戻ると、リリアン様は相変わらず眉間に皺を寄せ、山のような書類と戦っていました。
彼女が築き上げた、この「平和な事務処理」という名の日常。
それを守るためなら、私は何度でも床を磨き、汚れを消し去るでしょう。
「ナネットさん、そこの廊下にヒザクラの花びらが落ちているわ。15秒以内に掃除して」
「はい、リリアン様。仰せのままに」
私は満足げに微笑み、再びモップを手に取りました。
【リリアンのプロな流儀】
「秘密は隠すためのものではなく、守るべき日常の『礎』である。プロの管理能力とは、記録すべき情報を精査すると同時に、記録に残すべきではない『汚れ』を、音もなく拭い去る決断力のことである」
(第18話:完)
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