第17話:母ルネの来襲と「高カロリー」な迎撃戦
◇◆◇◆◇
【視点:リリアン・ヴェール】
4月も下旬。新緑が眩しくなり、街を走る風には初夏の気配が混じり始めている。
だが、私にとっては、人生最大級の「未曾有の災害」が発生した日として記録されることになるだろう。
「――リリィ! 会いたかったわよ、私の可愛いリリィ!」
ギルドホールに響き渡ったその声に、私は持っていた羽ペンを床に落とした。
『冒険者カタログ』を検索するまでもない。私の脊髄が、その声の主を瞬時に特定した。
辺境のヴェール農園の主にして、私の母、ルネ・ヴェール。
彼女は、新人冒険者10人分はあろうかという巨大な背負い籠を担ぎ、弾けるような笑顔で第1窓口へと突進してきた。
「お、お母様!? なぜここに。……それにその格好は何ですか。ここは農園ではありません」
「あら、ジャガイモだけじゃ足りないと思って、採れたての山菜と自家製の『特製エナジー・バー』を持ってきたのよ! これ、王都の軍師様だった頃のリリィが大好きだったやつでしょ?」
母は私の抗議を1ミリも聞き入れず、カウンターに山のような茶色の棒をぶちまけた。
ボロス料理長が厨房から身を乗り出し、「おお、こりゃあ凄まじい熱量の匂いだ!」と目を輝かせている。エリスやサーシャまでもが、「リリアンさんのお母様、パワフルですね……」と頬を引きつらせていた。
(事象:実母による職場占拠および機密情報の流出。深刻度:計測不能。解決策:……即時、ギルド外への強制排除)
「お母様、今は勤務時間中です。挨拶なら定時後にアパートで受け付けます。さあ、こちらへ」
「あら、そんなに急かさないで。さっき正面玄関で、とっても素敵な眼鏡の青年と知り合ったのよ。彼、リリィと同じ『地図の匂い』がしたから、このエナジー・バーを10本ほどお裾分けしてきたわ」
私は、心臓が停止するのを自覚した。
眼鏡の青年。地図の匂い。この近辺でそんな特徴を持つ人物は、1人しかいない。
嫌な予感しかしない……。
◇◆◇◆◇
【視点:ユージン・ラクロワ】
中央図書館への出勤途中、ギルドの前で私は1人の女性に呼び止められた。
リリアンを20歳ほど大人にし、バイタリティを500パーセント増しにしたような、太陽のように明るい女性だ。
「あら、あなた! いい顔してるわね。これ、うちの娘が大好物の特製栄養バーよ。食べて食べて!」
「あ、ありがとうございます……。えっと、あなたは?」
「リリィ……ああ、リリアンの母よ。あの子、相変わらずこのギルドで『鉄の女』なんて格好つけてるのかしら。昔、勇者パーティの戦略会議の最中に、このバーをリスみたいに頬張って、口の周りを粉だらけにしていたのにねえ」
……リリィ。
その愛称と、あまりに意外な「かつての姿」に、私は眼鏡の奥で目を見開いた。
やはり噂は本当だったのか。リリアンが王都の中枢で軍師を務めていたという過去が、母親の口からあっさりと補完されていく。
「あの子ったら、昔から『完璧じゃない自分』を見せるのが苦手でね。隣の農家のゴロさん……えっと、いつも街まで野菜を届けに来てもらっているお爺ちゃんなんだけど、彼の息子の『ゴロちゃん』に初恋で振られたときも、泣かずに黙々と地図を描いてたくらいなんだから」
……ゴロさんの息子の、ゴロちゃん。
リリアンの過去に、そんな「初恋の相手」がいたとは。
私は少しだけ胸の奥がチリついたが、ルネさんの底抜けに明るい表情を見ていると、それさえも微笑ましい物語のように思えてきた。
「もしリリィの知り合いなら、たまには甘やかしてやってちょうだい」
ルネさんは私の手に大量のバーを押し付けると、嵐のようにギルドの中へ消えていった。
私は手の中の、ずっしりと重い「母の愛」を見つめた。
リリアン。君が必死に守り、隠し続けている境界線。
けれど、君を愛する人々は、その線なんてお構いなしに、君の素顔を愛おしく見守っているようだ。
◇◆◇◆◇
【視点:リリアン・ヴェール】
母をようやく裏口から追い出した時、私は10年分の寿命を使い果たした気分だった。
「リリアンさん、お母様から預かりました! 『初恋相手のゴロちゃんは今、隣の村で立派な牛飼いになってるって伝えてね』だそうです!」
サーシャが嬉々としてメモを取っている。
私は、左耳のアクアマリンのピアスを、ちぎれんばかりの勢いで触れた。
(……終わった。私のプロとしての威厳も、秘匿していた過去も、すべてが4月の陽光の下に晒されてしまった)
夕暮れ時。
定時退勤の鐘が鳴ると同時に、私は逃げるようにギルドを飛び出した。
いつもの待ち合わせ場所に、ユージンが立っていた。彼の口元には、なぜか茶色の粉がついている。
「……ユージン。何も聞かないでください」
「ああ、何も聞かないよ、リリアン。……ただ、これ。すごく美味しいね。君が『戦略』を練るのに必要だった理由が、よくわかるよ」
ユージンが、例のエナジー・バーを1本、私に差し出した。
私は絶望に肩を落とながらも、抗いきれない香ばしい匂いに屈し、それを受け取って小さく齧った。
口の中に広がる、暴力的なまでの甘さとナッツの風味。
それは、私がかつて泥沼の戦場で、明日をも知れぬ夜に噛み締めていた「生きるための味」そのものだった。
「……お母様に、会ったのですね」
「素敵な人だね。君の『鉄の仮面』の鍛え方が、少しだけわかった気がするよ」
ユージンは優しく私の頭を撫でた。
私の防御陣地は、実の母という最強の特効兵器によってあっさりと陥落した。
けれど、崩れた壁の向こう側で、ユージンが笑っているのなら。
たまにはこんな「情報の不慮の流出」も、プロの計算に含めておいてもいいのかもしれない。
うん、そうよね。
私は、そうやって自分を納得させるしかなかったんだ。
【リリアンのプロな流儀】
「完璧な防衛線を構築しても、唯一それを無力化できる存在がいる。それが『母親』という名の不可抗力である。プロとして抗えない事象に直面した際は、速やかに降伏し、その被害を最小限に留めるのが、精神の平穏を保つための最善策である」
(第17話:完)
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