第91話:逆転の監獄、あるいは女神たちの同盟――「泥水を啜ってでも、貴方を」
かつて世界を黄金の光で満たした「正妻」セレスティアは、今、最果ての貧民街にある廃屋の裏で、腐りかけたパンの耳を握りしめていた。
指先は泥と垢で汚れ、眩いばかりの純白だったドレスは今やボロ布と化している。魔力を完全に奪われ、ただの「か弱い少女」となった彼女を、街の浮浪者たちが卑猥な視線で舐め回す。
「……あはっ、あははは……。冷たい……お腹が、空いて……喉が、焼けるようですわ……」
セレスティアの唇から漏れたのは、絶望ではなく、身の毛もよだつような恍惚の溜息だった。
アルスによって突き落とされたこの不遇。この痛み。それこそが、彼が自分を「一人の女」として、対等に傷つけてくれた証だと、彼女の壊れた精神は解釈していた。
「……待っていてください、アルス様。……貴方が教えてくれたこの『飢え』を、今度は何百倍にして、貴方の心に刻み込んで差し上げますわ」
その時、廃屋の影から、ずっしりと重い足音が響いた。
現れたのは、ボロボロの囚人服を纏い、首に重い断罪の枷を嵌められた女――アイリスだった。
彼女は刑務所を力ずくで(文字通り、魔力なしの腕力だけで門を破壊して)脱獄し、アルスの残した因果の匂いを追ってここまで辿り着いたのだ。
「……セレスティアか。……無様な姿だな。かつての神聖さは、どこへ捨てた?」
「……アイリス様こそ。……その首輪、とてもお似合いですわよ。……まるで、アルス様に捨てられた『野良犬』のようですわ」
二人の間に、かつてのような魔力の火花は散らない。だが、視線が交差した瞬間、物理的な殺気よりも鋭い「執着」が空間を凍りつかせた。
「……貴様を殺しに来たのではない。……アルスを、あの傲慢な『鑑定王』の座から引きずり下ろす相談だ。……奴は今、唯一の魔力保持者として世界を統治している。……生半可な奇襲では届かぬ」
アイリスが地面に、折れた小枝で地図を描き始めた。
彼女たちは気づいていた。アルスが自分たちを追放したのは、単なる復讐ではない。彼女たちが再び立ち上がり、自分を「狩りに来る」ことを、深層心理で望んでいるのだと。
「……協力しましょう、アイリス様。……私には、魔力がなくても使える『魂の交渉(洗脳術)』の基礎が残っています。……貴女のその強靭な肉体と、私の声があれば……この貧民街から、アルス様を殺すための『不遇者軍団』を作り上げることができますわ」
「……あぁ。……奴を捕らえた後は、七等分にする必要などない。……一生、代わる代わる、死ぬまで世話をしてやればいいのだ。……今度は、逃げ出す足など残さぬようにな」
かつての宿敵同士が、泥まみれの手を握り合った。
それは、世界で最も醜く、そして最も純粋な「愛による同盟」。
一方、王都の最上階。
アルスは、世界中の富と魔力が集まる玉座に座り、眼下に広がる平穏な街並みを眺めていた。
「……お兄ちゃん。……いいの? ……あのお姉ちゃんたち、今、すっごく悪いこと考えてるよ?」
リリィがバケツを抱えながら、心配そうにアルスの顔を覗き込む。
アルスの【深淵鑑定】は、刻一刻と成長する「不遇な女たち」の執念を捉えていた。
『鑑定結果:復讐者同盟』
『状態:……急激な進化。……魔力を持たないがゆえに、彼女たちは「毒」「謀略」「心理戦」という、かつてのアルスが得意とした戦術を完全に習得中』
『予測:……10日以内に、王都への侵入が開始されます』
「……いいんだ、リリィ。……あいつらが泥水を啜って、俺を殺したいほど憎んで、それでも俺がいなきゃ生きていけないと悟る……。……その瞬間こそが、本当の『再構築』の完了なんだ」
アルスは、冷たいワインを飲み干した。
だが、その手は微かに震えていた。
支配者として君臨する孤独。
追放される側だった時は気づかなかった、追放する側の「恐怖」。
その時、王宮の影から、ボロボロの姿をしたアーサーが、ニヤニヤと笑いながら現れた。彼はアルスに追放されたはずだが、なぜか「王宮の掃除夫」として、最短ルートで戻ってきていた。
「……よぉ、アルス。……あいつら、もうすぐそこまで来てるぜ。……お前が作った『不遇な世界』が、お前を食い殺しに来る気分はどうだ?」
「……アーサー。お前、なぜ戻ってきた」
「……決まってんだろ。……お前が、あいつらに『鑑定』される瞬間を、一番特等席で見るためだよ!!」
第4部、最終局面へ。
「王アルス vs 泥まみれの女神軍団」。
愛と復讐の天秤が、再び大きく揺れ動く。
第92話(王都陥落、あるいは愛の反乱): セレスティア率いる不遇者軍団が、王都の地下水道から侵入。魔力を無効化する「不遇の煙」を使い、アルスの権能を一時的に封じる。「……お帰りなさい、私たちの『可愛そうな』アルス様。……さあ、泥の味を、思い出しましょう?」




