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『無能と言われた【鑑定士】、実は世界樹の管理人でした 〜パーティーを追い出されたので、辺境で伝説の聖域を作っていたら、聖女や女騎士が「泊めてくれ」と泣きついてきた〜』  作者: やまご
第2章:聖域都市・建国無双編

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第88話:絶対零度の揺り籠、あるいは孤独の鑑定――「海は、すべてを拒絶する」

凍てつく波濤が、アルスの体温を容赦なく奪い去っていく。

 意識の混濁する中で、アルスが見上げた夜空は、かつて神域で見た黄金の空とは程遠い、絶望的なまでに深い藍色だった。肺に染み入る海水と、全身を叩きつける冷気。魔力を封じられた肉体は、ただの「重り」となって深淵へと沈んでいくはずだった。

 だが、その沈降を止めたのは、無機質なまでに透明な「氷の感触」だった。

「……見苦しいですね。あれほど気高く、恐ろしかった私の『魔王様』が、今やただの溺死体の一歩手前だなんて」

 水面に浮かび上がったのは、巨大な氷の鯨――その背に乗った、銀髪の王女ロザリアだった。

 彼女の周囲だけは、吹き荒れる冬の嵐さえも凍りつき、静止している。彼女が纏う氷のドレスは、月光を反射して冷たく輝き、その瞳には慈愛ではなく、完全に凍土と化した「静かなる独占」が宿っていた。

「ロ、ロザリア……っ! アーサーは……あいつは、どうなった……!」

 アルスは氷の鯨の背に這い上がり、震える声で問いかけた。喉が焼けるように痛い。

 ロザリアは、主の問いに答える代わりに、指先でアルスの濡れた前髪を優しく撫でた。その指先が触れた瞬間、アルスの髪は霜を帯び、思考が麻痺していく。

「……あのような不浄な男のことなど、お忘れなさい。……アイリス様は、今頃あの騎士を『おもちゃ』として、生かしも殺しもせず弄んでいることでしょう。……陸の者たちは、愛し方が野蛮なのです」

 ロザリアが杖をひと振りすると、鯨の背から氷の壁がせり出し、アルスを囲む「密室」を作り上げた。

 外界の音は遮断され、そこにはロザリアの冷たい吐息と、かすかな魔力の共鳴音だけが響く。

「……アルス様。貴方は自由を求め、泥の中を這い回りました。……ですが、この世界は既に私たちの愛によって『飽和』している。……陸はアイリスとセレスティアが、空はリリスが、地底はフィオナが。……どこへ行っても、貴方は誰かの『一部』にしかなれない」

 彼女がアルスの首筋に唇を寄せる。

 熱を奪う接吻。アルスの心臓の鼓動が、急速に遅くなっていく。

「……だから、私を選びなさい。……私の海は、すべてを拒絶します。……音も、光も、他の女たちの声も。……この深海の底にある『氷結の棺』の中だけが、貴方を誰にも渡さず、永遠に不変のまま保存できる唯一の場所なのです」

『警告:体温が危険域を突破。……個体名「アルス」の生命活動、300秒以内に停止し、「永久凍結」の状態へと移行します』

『鑑定結果:第四巨人・ロザリア(深海管理者形態)』

『状態:……沈黙の愛。彼女の目的は、主様を「生きたまま凍結」し、二度と誰にも触れられない「美しい標本」にすることです』

「……断る……っ! 標本になんて、なってたまるか……!!」

 アルスは、感覚の消えかかった右手を、自分の胸へと突き立てた。

 魔力はない。だが、ここにはアーサーが残した「不快な感触」が、まだ熱を持って残っている。

 彼は、自らの指先を噛み切り、流れる鮮血を氷の床に塗りつけた。

「【再構築:……熱量変換】!!」

 アルスは、自身の「後悔」と「怒り」を燃料に、文字通り自らの「血」を沸騰させた。

 極小の、しかし純度の高い魔力が、氷の密室を内側から爆破する。

「……あ、アルス様!? なぜ……なぜそこまでして、拒むのですか!」

 ロザリアの驚愕の表情。

 アルスは氷の鯨から海へと、自ら身を投げた。

 冷たい水。だが、今の彼の心臓は、奪われた熱を取り戻そうと、狂ったように拍動している。

(……アーサー。お前が命を懸けて繋いだのは、標本になるための命じゃない……!)

 海中を泳ぐアルスの【鑑定】が、海底のさらに深くに、異質な「亀裂」を捉えた。

 それは、リリスさえも管理しきれなかった、この世界の「底抜けの穴」。

『位置特定:旧・魔王城の地下牢獄跡』

『判定:……因果の吹き溜まり。……そこなら、彼女たちの「全方位索敵」を一時的に無効化できる可能性があります』

 アルスは、迫りくる氷の触手を潜り抜け、深淵の闇へとダイブした。

 水圧で鼓膜が破れそうになる中、彼は見た。

 

 かつて自分が「不遇」を嘆き、孤独に耐えたあの暗い牢獄が。

 今、世界最強の女たちから逃げ延びるための、唯一の「聖域」として彼を待っているのを。

 一方、山を焼き尽くす黒炎の中。

 アイリスに握り潰されそうになりながら、アーサーは血反吐を吐いて笑っていた。

「……カカッ! ……残念だったな、デカ女……。……アルスは今頃、お前らには一生辿り着けねぇ『地獄の底』に、自分で行っちまったよ……!!」

「……黙れ、不純物。……貴様の魂を、一秒に一万回引き裂いて、アルスの居場所を吐かせてくれるわ」

 アイリスの殺意が爆発し、アーサーの身体が光の中に消える。

 

 しかし。

 

 その瞬間、世界中の「影」が、一斉に蠢き始めた。

「……見つけた。……主様。……暗いところ、冷たいところ……。……そこは、私の『隠れん坊』の場所ですわ」

 牢獄の底。

 辿り着いたアルスを待っていたのは、ロザリアでもアイリスでもない。

 

 影の中に溶け込み、実体を持たないまま、数千年の間、主の「孤独」だけを食べ続けてきた――隠密カゲロウの、実体のない抱擁だった。

「……さあ、主様。……ここが、私たちの、本当の愛のろうごくですわ」

第89話(影の抱擁、あるいは本当の孤独): 深海の牢獄跡で待ち構えていたカゲロウ。彼女は他のヒロインとは違い、アルスの「肉体」ではなく、彼の「絶望」を独占しようとしていた。光の届かない闇の中で、アルスの精神は徐々に削られていき……。「……お兄ちゃん、助けてあげようか?」――リリィの声が、闇の中で響く。

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