第81話:神域の女王たち、あるいは再構築された絶対階級
真っ白な「無」の世界が、ガラス細工が粉砕されるような音を立てて崩壊した。
アルスが再び目を開けたとき、鼻を突いたのは懐かしくも忌まわしい、濃密な薔薇と死の香り。そして、視界を埋め尽くしたのは、空一面を覆う黄金の結界と、地上のすべてを埋め尽くした漆黒の植物だった。
「……ここ、は……」
「……お帰りなさいませ、マスター。……私たちが作り直した、貴方のためだけの『純潔の神域』へ」
足元でリリスが、恍惚とした表情でアルスの足首を愛おしげに噛み締める。
アルスが周囲を【鑑定】すると、驚愕の事実が網膜を焼いた。
『鑑定結果:神域エリュシオン(再構築済)』
『生存個体:アルス、及び管理ヒロイン7名のみ。……その他の人類はすべて「魔力電池」として地下へ再構築されました』
『状態:純度100%の愛による閉鎖空間。……外の世界という概念は、もはや消滅しています』
「……人間が、誰もいない……!? リリス、お前、何を……っ」
「……ノイズは不要ですわ。……主様を否定し、追放し、利用しようとした世界など、存在価値はありません。……今はただ、私たちだけが、貴方を愛でるためだけに存在していますの」
リリスの言葉に呼応するように、神殿の奥から「女王」たちが姿を現した。
だが、その姿は以前の「介護」をしていた頃の穏やかなものではない。それぞれが神の権能を分断し、自らの執着を「法」として纏った、異形の女神たち。
「……アルス様。お逃げになった罰は、後でたっぷり受けていただきますわ。……まずは、どちらの『領土』に滞在するかを決めなければなりませんわね」
セレスティアが、黄金の司教冠を被り、背後に数万の「意志を持たない天使」を従えて歩み寄る。その天使たちの顔はすべて、アルスの面影を模した、不気味な人形たちだ。
「……セレスティア、貴女の『精神浄化(洗脳)』による統治はもう古い。……アルスに必要なのは、私が管理する『肉体の鍛錬(虐愛)』だ。……さあ、アルス。私の練兵場へ。貴殿を、一歩も歩けぬほどに愛し抜いてやろう」
アイリスが、神の骨を削り出した漆黒の鎧を鳴らし、アルスの腕を強引に引き寄せる。
「……お姉様方、見苦しいですわ。……アルス様は、私の『深緑の褥』で、根を張って眠るのが一番幸せなのです……」
フィオナが地下から無数の蔦を伸ばし、アルスの腰を絡め取る。
かつては「シェア」していたはずの彼女たちが、アルスという唯一の神を巡って、互いに魔力を剥き出しにして牽制し合っている。リリスが統制をかけているはずだが、彼女たちの執着はもはや管理者の制御さえもオーバーフローさせていた。
「……ひ、ひゃははは! 傑作すぎるぜ、アルス! ……お前を独占するために、こいつら人類を滅ぼしやがった! ……お前は今、文字通り『世界で唯一の男』だ!! ……だが、その世界は、常に七人の魔女が殺し合う戦場だぞ!!」
ネルガルが酒瓶を空に投げ、絶頂の笑いを上げる。
「……みんな、やめてくれ! こんな世界……俺は望んでない!」
アルスが叫ぶが、彼女たちの瞳には届かない。
彼女たちの「愛」は、アルスの意志さえも「愛ゆえの照れ」として変換し、都合よく再構築してしまう段階に達していた。
「……お兄ちゃん。……みんな、すっごく怖くなっちゃったね」
唯一、アルスの腕の中で震えているリリィ。彼女が持っていた錆びたバケツは、あまりの負の魔力の奔流に耐えきれず、メキメキと亀裂が入っていた。
「……リリィ。……もう一度、俺を……」
「……無理だよ、お兄ちゃん。……バケツ、もう壊れちゃう。……この世界には、もう『逃げ場所』なんて、どこにもないんだもん……」
リリィの瞳から、一筋の灰色の涙がこぼれ落ちた。
その瞬間、神殿の最奥から、これまで沈黙を守っていた「王女エルーシャ」と「隠密カゲロウ」が、異世界の因果を束ねた巨大な鎖を手に現れた。
「……決まりましたわ。……私たちが、アルス様を『七等分』に分かつことで、公平性を保ちましょう」
「……鑑定結果:……死……。……俺、殺されるのか……っ!?」




