第66話:焼土の包囲網――「番犬」の咆哮と、泥濘の根
「リリィ、伏せろ!」
アルスが叫ぶと同時に、廃村を囲む森が、爆発的な熱量と共に一瞬で赤黒い炎に包まれた。それは自然の火ではない。アイリスが放つ、前世の魔王の残滓を帯びた「絶望の業火」だ。
「熱いっ! なにこれ、急にお山が燃えだしたよ!?」
リリィがバケツを落とし、アルスの服の裾をぎゅっと掴む。彼女の瞳には純粋な恐怖――かつての妻たちが失ってしまった、真っ当な「人間としての怯え」があった。
「……あははっ! 見つけた、見つけたぞアルス! その汚いガラクタ娘と一緒に、焼き鳥にしてくれるわ!!」
炎の壁を真っ二つに割り、アイリスが姿を現した。
かつての騎士の面影を微塵も残さぬ、狂気に染まった笑顔。彼女の大剣からは、触れるものすべてを炭化させる漆黒の炎が蛇のようにのたうち回っている。
「アイリス! 彼女は関係ない! 街に戻るんだ、君は……君は誇り高き騎士だったはずだろ!」
「……誇り? そんなもの、貴殿に『再構築』された夜に捨てた! 私は貴殿の番犬だ! 逃げる獲物を噛み殺し、その肉を我が胃袋に収めるのが、私の存在意義なのだ!!」
アイリスが地を蹴る。
ドォォォォォォォン!!
一瞬で距離を詰められた。アルスは咄嗟にリリィを抱え上げ、傍らにあった腐った納屋の中へ飛び込んだ。
「ひぅっ……お兄ちゃん、あの人怖いよ! 目が、目が笑ってないよぉっ!」
「大丈夫だ、リリィ。……絶対に、君だけは守る」
アルスは自分に言い聞かせるように呟いた。
だが、絶望は空からだけではなかった。
ズズズ……。
納屋の床、腐った板を突き破り、無数の「深緑の触手(根)」がアルスの足首に絡みついた。
「……逃げ、られませんわ……。アルス様……。土の下は、全部……私の……テリトリーですもの……」
床下から、ドロドロに溶けたような瞳のフィオナが顔を出す。彼女の蔦は、リリィの細い喉元にまで伸び、その生気を吸い取ろうとトゲを逆立てた。
「……っ、フィオナ! やめろ!!」
「……この子、邪魔……。アルス様の隣には……私が、根を張るの……。……お姉様も、この子も……全部、肥やしにして……」
上からはアイリスの業火、下からはフィオナの吸精根。
アルスは悟った。
今の「最弱の自分」では、彼女たちに説得など通用しない。
――もう、アレを使うしかないのか。
『警告:封印解除まで残り5秒。……使用すれば、再び「魔王」の因果に囚われます』
「……リリィ、捕まってろ。……ちょっとだけ、空を飛ぶぞ」
アルスはリリィを背負い、自身の心臓に宿る「漆黒の核」に直接指を突っ込むような感覚で、禁断の【再構築】を発動させた。
「【因果反転・重力再構築】!!」
ドォォォォォォォォン!!
廃村一帯の重力が一瞬で「上向き」へと反転した。
アイリスの業火も、フィオナの蔦も、重力に逆らえず天へと吸い上げられていく。
「なっ……!? 貴殿、まだその力を……っ!」
「……ぁ、あぁ……っ! アルス様の、魔力が……降ってくるぅぅっ!!」
二人の絶叫を背に、アルスは重力の波に乗り、リリィを抱えたまま遥か上空へと「落下」した。




