第64話:監禁ロッジへの招待――そして、第3の刺客
背中の石壁から伝わる冷気。それ以上に冷たい、アイリスの鉄の如き握力。
アルスの胸ぐらを掴んだ彼女の手は、微かに震えていた。怒りではない。数千年の渇きを経て、ようやく「獲物」を物理的に捉えたことへの、狂おしいまでの歓喜だ。
「……あ、アイリス……苦しい。……放してくれ……っ」
「放さぬ。……放せば、貴殿はまた『世界を再構築する』などと言い訳をして、私たちの前から消えるのだろう? ……今度は、この腕を切り落とされても離さんぞ」
アイリスの瞳が、至近距離でアルスを射抜く。その視線はもはや騎士のそれではなく、獲物を巣穴へ引きずり込もうとする肉食獣のそれだった。
「……あら、アイリス様。……独り占めは禁止のはずですわ。……さあ、アルス様。……街の外に、かつてのアルスガルドの記憶を元に作った『特別なロッジ』が用意してあります。……そこで、ゆっくりと『前世の反省会』をいたしましょう?」
セレスティアが、黄金の魔法糸をアルスの手足に絡め始める。それは一度結ばれれば、対象の魔力を吸い取り、動くほどに肉い食い込む「愛の戒め」。
(……最悪だ。……このままじゃ、第1話にして第2部ラストの『飼育箱』に逆戻りだ……っ!)
アルスは必死に、ネルガルから預かった【深淵の外套】の機能を起動させようとした。
だが、その瞬間――。
ズズ……ズズズ……。
酒場の床、湿った木材の隙間から、不気味な「緑の触手(蔦)」が音もなく這い出してきた。
「……見つけた……。アルス、様……。……私を置いて……行くなんて……酷い、ですわ……」
床を割り、大量の植物と共に現れたのは、ボロボロの修道服を纏った少女――フィオナだった。
彼女の瞳は完全に濁り、その髪は魔力の影響で、以前(前世)よりも禍々しい深緑色に変色している。
「……フィオナ!? 君まで、こんなに早く……っ」
「……お姉様方、狡いですわ……。二人だけで、アルス様を……。……アルス様の魔力は、私の根っこが、一番よく知っているのに……っ!!」
フィオナの蔦が、アルスを掴んでいたアイリスの腕を弾き飛ばし、代わりにアルスの全身をぐるぐると巻き上げた。その蔦からは、吸精効果を持つ微細なトゲが突き出し、アルスの「魔王の残滓」を直接啜り始める。
「ぁ、あぁ……っ! 熱い……アルス様の、魂の味がする……っ!!」
「……フィオナ! 貴女、横取りは許しませんわよ!!」
「……えぇい、鬱陶しい草め! 切り刻んでくれる!!」
セレスティアとアイリスが、同時にフィオナへ武器を向けた。
アルスを中央に挟んだまま、三人の元・妻たちによる、凄まじい魔力の衝突が始まった。
「……ひっ、あ、あぁぁぁっ!! 誰か、誰か助けてくれぇぇっ!!」
アルスは、蔦に締め上げられながら絶叫した。
逆行して「不遇な鑑定士」からやり直すはずが、現状は、前世よりも遥かに**「殺意と執着の純度が高い」**三人の怪物に囲まれるという、地獄のスタートダッシュを決めていた。
「……くくっ。……賑やかになってきたな、鑑定士」
天井の梁の上で、ネルガルが酒瓶を傾けながら、面白そうにその光景を眺めている。
「……おい、ネルガル! 笑ってないで何とかしろ!!」
「……いいぜ。……ただし、これを使うのは一度きりだ。……お前の封印を、一瞬だけ『強制解除』してやる。……その隙に、この街から消えろ」
ネルガルが指を鳴らした瞬間。
アルスの胸の奥で、何かがパリン、と砕け散る音がした。
『システム:……緊急事態。……【魔王権限】を限定解放します』
『特殊スキル:【概念爆破】……起動!!』
「……みんな、悪いけど……一度、吹き飛んでくれぇぇっ!!」
アルスの身体から、漆黒の衝撃波が全方位へと放たれた。




