第62話:挟み撃ちの再構築――「番犬」と「聖女」の狂った連携
細い路地の突き当たり。アルスは逃げ場を失い、冷たい石壁に背を預けた。
左からは、銀のナイフを慈しむように撫でながら歩み寄るセレスティア。右からは、巨大な猪を地面に放り捨て、血に汚れた拳を鳴らすアイリス。
「……アルス。見つけたぞ。……貴殿、どこへ行こうとしていた。……私を置いて、またあの中途半端な『世界再構築』で私を捨てようとしたのか?」
アイリスの瞳には、かつての騎士としての忠義など一欠片もない。そこにあるのは、魔王アルスの傍らで数千年を「番犬」として過ごした、猛獣のような支配欲と執着だ。
「アイリス……君まで、記憶を……っ」
「……あぁ。……夢を見たのだ。貴殿に首輪を繋がれ、夜通し愛でられ、そして最後は……虚無の中に溶かされる、最高に淫らな夢をな。……それが『未来』だと言うなら、今すぐ現実にしてもらう」
アイリスが一歩踏み出す。その瞬間、足元の石畳が彼女の放つ「魔王の残滓」の魔力によって、メキメキと黒く変質し始めた。
「……あら、アイリス様。……アルス様を乱暴に扱うのは、感心しませんわ。……このお方は、私が作った『清らかな箱庭』で、永遠に癒されるべきなのですから」
セレスティアが静かに割り込む。二人の女の視線が空中でぶつかり合い、バチバチと黒い火花が散った。……前世での「正妻争い」の火種が、逆行したこの世界でも一瞬で再点火される。
(……やばい。……こいつら、今の俺じゃ止められない……っ!)
アルスは必死に【鑑定】を走らせた。
今の自分にできるのは、周囲の「ガラクタ」を再構築して、一瞬の隙を作ることだけだ。
『鑑定結果:路地の隅に落ちた「錆びた鉄パイプ」と「泥水」』
『再構築案:【即席の煙幕弾】。……効果時間は3秒。……逃走成功率は0.02%』
「……やるしかない……っ! 【再構築】!!」
アルスが指を鳴らす。
ドォォォォォォォン!!
錆びた鉄が弾け、泥水が爆発的な蒸気となって路地を埋め尽くした。
一瞬の視界不良。アルスは全力で、二人の隙間を縫って大通りへと走り出した。
「……あら。……逃げ足だけは、前世よりも速くなりましたわね」
霧の中から、セレスティアの楽しげな声が響く。彼女たちは追ってこない。……いや、獲物を追い詰める「遊び」を楽しんでいるのだ。
アルスは息を切らし、街のスラム街へと逃げ込んだ。
ここなら、かつての記憶を持つ「あいつ」がいるはずだ。……自分を魔王へと導き、そして今の「ループ」の鍵を握っているはずの、深淵の主。
「……ネルガル! どこだ、ネルガル!!」
ゴミ溜めの奥、薄暗い酒場の扉を蹴破る。
そこには、カウンターで安酒を煽っている、小柄な銀髪の少女の姿があった。
「……あ? ……なんだ、鑑定士。……随分と早いお帰りじゃないか。……『神の退屈』は、もう癒されたのか?」
ネルガルが、赤い瞳を細めてニヤリと笑った。
彼女だけは、前世と変わらぬ「不敵な余裕」を湛えていた。
「……ネルガル! 教えてくれ、なぜ彼女たちまで記憶を持っている!? ……これじゃ、ループした意味がないじゃないか!」
「……くくっ。……お前、忘れたのか? ……『愛は、因果律さえも書き換えるバグ』だってことを。……お前が彼女たちを愛しすぎ、彼女たちにお前を刻み込みすぎたんだよ。……お前の魂の半分を喰った彼女たちにとって、『過去に戻る』なんて概念、通用するわけがないだろう?」
ネルガルが酒瓶を置き、アルスの胸元を指差した。
「……見ろ。……お前のその『封印したはずの心臓』。……もう、黒い脈動が始まっているぞ」
アルスが自分の胸に手を当てると、ドクンドクンと、不気味な魔王の鼓動が、静かな日常を壊すように鳴り響いていた。




