7、魔王②
魔王の姿は誰も知らない。
どの書物にも魔王の姿は載っていない。
どんな恐ろしい姿なのかと考えたことはもちろんあるが、まさかこんな醜悪な姿だとは思わなかった。
それは見渡す限り地面に広がる、巨大な肉の塊だった。
「キモッ……これが魔王?」
カレンが無意識のうちにそれから後ずさる。
生物の体を成していない。目も耳も口もなく、自力で動いているところを想像することすらできない。
よくよく見れば表面が微妙に動いている。呼吸や脈動を感じる動きだ。恐らく、生物ではあるのだろう。
「凄まじくキモイけど、こんな体じゃなにもできないんじゃないの?」
「いいや」
間違いなく、この肉の塊こそが文字通りすべての元凶だ。
肉の塊が大きく震える。引きちぎるようにして吐き出されたのは、小型の魔獣。
「キモイキモイ!」
カレンが悲鳴を上げて俺の背中に隠れる。
すべての魔物はこいつから生まれている。つまり。
「コイツを倒せば魔物を根絶やしにできる。君たちも元の世界に戻れる」
「ええっ、触りたくないんだけど……」
生理的嫌悪を隠そうとしないカレンを置いて駆け出す。
しかし相手もそう簡単には接近を許してくれない。
肉が震え、次々に魔獣を吐き出す。生後ゼロ日とは思えない攻撃性だ。
俺はナイフを振り下ろし、飛び掛かって来た魔獣を切り捨てる。
その脇をすり抜けるようにしてカレンが駆けて行った。
押し寄せる魔獣をその怪力で蹴散らし、前へ前へと進んでいく。
どうやら覚悟を決めたらしい。十分な助走をつけて、腕を振り上げる。
轟音が響く。魔王の肉が四方に飛び散った。大きいが、耐久力はそれほど高くない。カレンの攻撃は十分に通じる。
が、それと同時に凄まじい数の魔物たちが魔王の体から飛び出した。
「うわ!」
魔物がカレンに飛び掛かる。
腕を振って魔物を薙ぎ払うが、全方位からの一斉攻撃には対応できない。
彼女の死角から魔獣が迫る。しかし間に合った。俺の飛び蹴りは魔獣の横っ腹にめり込み、それを吹き飛ばした。
「あ、ありがとう」
「いや、良い。続けてくれ」
「続けるって、でもこれ……」
「ヤツも身を守ろうとして必死なんだろう」
魔王にできるのは魔物を作り出すことだけだ。強い衝撃を与えれば、それに見合った量の魔物を出して身を守ろうとするのだろう。
しかしそれを恐れていては魔王を倒すことなどできない。
俺たちは戦い続けるしかないのだ。
が、カレンが呆然として動かない。
「なにやってるんだ。こんな時にボーっとするな!」
「二百年前、世界が滅びかけたのって」
今もなお、魔王は魔物を生み出し続けている。どれも小型だが、凄い数だ。
カレンが蒼い顔でそれを見回す。
「こういうことだったのかな」
カレンの直感は多分当たっている。
恐らく二百年前もシノハラは同じ選択を二人にさせた。
そして元の世界へ帰ることを拒否したヨシザワと、魔王を倒そうとしたカレンで争いになったのだ。
カレンは魔王と対峙。しかし息の根を止めるには至らず、生み出された大量の魔物が外へ飛び出していった。
結果、世界は滅びかけたのだ。
「逃げよう。前とおんなじになっちゃうよ」
カレンが縋りついてくる。凄い力だ。
が、俺はテコでも動かなかった。
「同じじゃない」
シノハラの口ぶりから察するに、二百年前はヨシザワとカレンは衝突し、戦いになったのだ。
だが今回、ヨシザワは戦ってない。魔王を倒すことに積極的ではないが敵対はしていない。
それに。
「今回は俺がいる。絶対にどうにかする」
目の前に魔王がいる。手の届くところにいる。
これを逃したら一生後悔する。
襲い来る魔物を蹴散らし、道を作る。
「さぁやるぞ、カレン」
「ああもう、分かったよ!」
助走をつけ、肉塊を殴りつける。
ダメージは確実に与えている。魔王の体がどんどん細切れになっていく。
生み出される魔物たちは魔王の悲鳴にほかならない。
「周りの魔物は気にするな。どんどん殴れ!」
「無理だよ。すぐに逃げた方が良い」
シノハラだ。
いつからいたのか。離れたところから、こちらを遠巻きに見ている。
「二百年前もこうだった」
四方に飛び散った肉塊が地面を這って集まっていく。
「まさか、再生するのか?」
辺りを見回す。
周囲は魔王から生まれた魔物だらけだ。魔王の絶命が間もなくだと信じて攻撃し続けてきた。
しかし今までの攻撃が無駄なのだとしたら。俺たちはただ、大量の魔物を生み出しただけじゃないか。
しかしカレンは手を休めなかった。
「再生するより早く壊せばいいんでしょ!」
這い寄ってくる肉片を蹴り飛ばし、さらに攻撃を与えていく。
そうだ。今さら立ち止まることはできない。
しかし魔王は体を修復させ、魔物たちは増え続けるばかりだ。
俺たちだけではじきに限界がくる。
が、彼女が力を貸してくれたらどうだろう。
魔物の動きが止まった。
空から降り注ぐ炎のブレスが肉を焼く。
「サユリ!?」
凄まじい風と羽音を巻き起こしながら、ドラゴンが旋回している。
その背に人影が見える。ヨシザワだ。
「元の世界に戻りたくないんじゃなかったの?」
「そうだよ。でもそれより、二人に死んでほしくないの」
ヨシザワの参戦はシノハラも予想していなかったようだ。呆然と天を仰いていたが、我に返ったように口を開いた。
「元の世界に戻ればこの世界での記憶が消える! それでも良いの?」
ヨシザワからの返事はない。うつむき、黙り込んでしまった。
代わりに答えたのはカレンだ。
「記憶が無くても、きっと私たちは仲良くなれるよ!」
「……うん!」
ドラゴンのブレスはカレンほど破壊力のある攻撃ではなかったが、魔王の傷の治りが明らかに遅くなった。
しかし遅くなっただけだ。停止はしていない。
「ここまでやってるのに……!」
本当に酷いバケモノだ。不死身なのかと思うほど。
……いや、凄まじい力を持っている勇者ですら死ぬのだ。
不死身なんてものはない。なにか手があるはずだ。
辺りを見回す。
細かく散らばった肉片がナメクジのように這って集まっている。
俺はそれを拾い上げた。
「ええっ、なにやってんの!?」
カレンの悲鳴を無視し、肉片をつまみ上げて持ち上げる。
その状態でも肉片はどこかへ向かおうと藻掻いている。
「カレン、こっちだ!」
「え? それ持っていくの!?」
「当たり前だ」
この肉片は羅針盤だ。
肉の上を走り、生まれ出てくる魔物を蹴飛ばし、肉片の向かいたがる方向へ駆けていく。
強い反応。肉塊が指をすり抜け、本体にくっつく。
ここだ。俺はその場に刃を突き立てた。
が、他の部分よりも再生が早い。切ったそばから治っていく。
「ここが弱点ってこと?」
「ああ。カレン、頼む」
「わ、分かった」
カレンが拳を振り下ろす。肉がはじけ飛び、大穴が空いた。
瞬間、魔王が体全体を大きく震わせる。
やはりそこは触れてほしくなかった部分であるらしい。
あちこちから大量の魔物が吐き出される。いいや、まだ魔物の形になっていない。輪郭がはっきりしていない。黒い靄のような状態だ。育ち切っていない状態で吐き出されたんだ。人で言うなら胎児の状態。
魔物の成り損ないだが、その数はこれまでの比ではない。黒い大量の影が土石流のごとく一斉にこちらへ押し寄せる。
「コイツ全然弱らないよ!」
唸り声が迫るのを感じながら、俺はしゃがみ込んだ。
カレンの開けた穴の周囲を探る。
頭上から声が降ってきた。ヨシザワだ。
「すみません、止められない! 逃げてください!」
「ギル君、なにやってるの!?」
かなりマズい状況だ。二人の声からそれが伝わってくる。
しかし周囲に目を向ける余裕が俺にはなかった。
目を皿のようにして、足元に広がる砕けた肉片を見る。
「……見つけた」
スライムのような不定形な魔物には核がある。
それは人間で言うところの内臓であり神経であり、魔物の本体だ。
スライムのそれはゲルの中にうかぶフワフワしたクラゲのような見た目をしている。
魔王のそれは、まるで種のようだった。
肉の中に埋もれた、赤くて硬い球体。剝き出しのそれに身を守る術はない。カレンの手を借りるまでもない。
俺はそれに、ナイフを突き立てる。
ガラス玉のように儚く、あっけなく、核は砕け散った。




