7、魔王③
魔王の断末魔の叫びは、金属を裂いたような声だった。
思わず耳を塞ぐ。地面が揺れる。動けない。立っていられない。
しかし無理に立っている必要はなくなった。
襲い来る魔物の成り損ないは、煙のように消え失せた。
魔王は力が抜けたように弛緩し、浜に打ち上げられた朽ちかけの海洋生物のように広がった。
やがて断末魔の叫びも聞こえなくなり、辺りは完全な静寂に包まれた。
「やった……」
カレンがぴょんぴょんと飛び跳ねる。
足元に広がる肉塊からは汁が滲み、ピクリとも動かない。
魔王を倒した。
この世界での勇者の役割は終わったのだ。
カレンの体が光に包まれる。元の世界に戻るのだろう。
彼女たちはもう何百年もこの世界に囚われていた。それが、ようやく。
「すまなかった。無関係な君たちを長い間巻き込んでしまった」
「実感ないなぁ。全然覚えてないし……」
視線を巡らせ、そしてカレンはポツリと呟く。
「今回のことも全部忘れちゃうのかな」
蘇生のたびに記憶はリセットされる。
元の世界に戻っても、同じように記憶がリセットされるとシノハラは言っていた。
つまり、俺と旅した記憶もきっと彼女には残らないのだろう。
でも俺たちは違う。
「俺は忘れない。君たちはこの世界で英雄として語り継がれる」
カレンがこちらを見上げる。
見れば見るほど普通の子供だ。
こんな少女が魔王を倒したなんて言って、みんなは信じてくれるだろうか。
「きっとこれから魔王を倒したお祝いのパーティーとかあるんでしょ?」
「そうだな」
「美味しいごはんとか出るんだろうなぁ。携行口糧じゃないちゃんとしたご飯が食べたかったなぁ」
「本当にな」
「今までの事、忘れたくないなぁ……」
遠い目をして、ポツリと呟く。
少し考えて、俺はこう声をかけた。
「君は魔王を倒した。数百年間達成されなかった奇跡だ。だから、もう一つくらい奇跡が起こるかもしれない」
根拠はない。奇跡はそう何度も起こらないということも知っている。
だが、まるきり嘘というわけでもなかった。
ただそうであったら良いという、俺の願望だ。
だが別れを惜しんでいる暇は無かった。
轟音が響く。地面が揺れる。
これまでの戦いで蓄積したダメージによるものだろう。洞窟が崩壊を起こしている。
「ギル君、早く逃げないと」
「ああ、そうだな」
「一人で街まで帰れるの?」
「どうにか帰ってみせるよ」
正直、望みは薄い。
ここまで床をぶち抜いて最下層にまで降りてきたのだ。
出口までの道は分からないし、そもそもそんな道があるのかも分からない。
でもそれで良い。魔王を倒した。十分すぎる奇跡だ。これ以上を望むのはワガママというもの。
……いや。
彼女たちはもともと、これ以上ないくらいワガママだった。
足が地面を離れる。
覚えのある感覚だ。
見上げると、ドラゴンの黄色い瞳が見えた。それから、その背からこちらを見下ろすヨシザワの姿も。
「ギルベルトさんを死なせないように頑張ったんです」
どうやら怒られているらしい。いつもよりヨシザワの語気が強い。
「それを無駄にしないでください!」
「ああ、すまない」
やっとの思いでそう呟いたが、聞こえたか怪しい。
ドラゴンの前では迷宮など意味をなさない。天井をブレスで破壊しながら上へ上へと飛んでいけるからだ。
瞬く間に最下層が遠くなっていく。カレンが光の塊としてしか認識できないが、こちらに手を振っているのがなんとなく分かった。
久々に見る青空。
肌を焼くような眩い光に思わず目を細める。
「生きてここを出られた。奇跡だな」
返事はない。
振り向くと、ヨシザワの姿はすでになかった。
役目を終え、元の世界へ送られたのだろう。
繰り手がいなくとも、ドラゴンは俺を放り投げたりはしなかった。
快適ではないが、空の旅は安全だ。
このまま街まで送ってくれるのだとしたら、ありがたい話だ。
俺もこれでようやく元の場所へ戻ることができる。
魔王を倒したと聞いたら、世間はきっと驚くだろう。
カレンの言っていた通り盛大な宴が開かれるかもしれない。
しかし世界はそんなにすぐには変わらない。
魔王を倒したからと言ってすぐに魔物が消えるわけではない。
あくまで新しい魔物が生まれなくなるだけだ。今いる個体は消えない。
完全な平和を取り戻すまで時間はかかるだろう。魔物の被害もしばらくは減らない。
これからも死ぬ人間や消える村が出るだろう。
でも、すぐだ。俺が生きているうちに、きっと平和な世界と取り戻して見せる。
「これからは君たちに頼らず、自分たちの力で世界を守らなくちゃいけないな」
広大な世界を見下ろし、もうこの世界にはいない彼女たちに向かって呟いた。




