幕間、三井智明
死というのは音もなく忍び寄り、気付くと背後に迫っている。
三井智明の研究所を彼の元教え子が尋ねたのも、何の変哲もないいつも通りの朝だった。
「お久しぶりです、先生」
ノックはなかった。
シノハラは最初からそこにいたかのように目の前に立っている。いつもそうだ。
しかし慣れるということはない。
三井は何度も何度もこの瞬間を夢に見た。いつか絶対に来るこの瞬間にずっと怯えていた。
そしてこの日、とうとうそれは来た。
「随分と、早いんじゃないか」
それでも取り乱さなかったのは、元教え子にみっともないところを見せまいとする最後の足掻きだったのかもしれない。
「前はもう少し時間をくれただろ」
「カレンとサユリに僕の居場所を教えましたね」
床に散らばった紙束を踏みつけるようにしながらシノハラが足を進める。
「期待しましたか? 二人が僕を殺してくれるかもしれないって」
「二人なら君を止められるかもしれないって思ったんだよ。こんなこと一体いつまで繰り返すんだ」
「今更教師ぶらないでくださいよ。こんなところに引きこもって、これまでずっと何もしなかったくせに」
シノハラが視線を室内に巡らせる。
部屋中に積まれた段ボールの中には古びたノートがいくつも入っている。
「こんな場所、全部燃やしたって良いんですよ」
「構わないよ」
三井は机に散らばった紙束を静かに纏め、紐でくくる。
多分これが今回の最期のノートになるだろうと思った。
「このノートは積み上げた時間を目視できるように残してあるだけだ。中身は全部頭に入ってる」
「そういえば、本来はそういうスキルでしたね」
その時、研究所にもう一人の来訪者があった。
今度はきちんとノックがあったし、足音もあった。
玄関から女性の明るい声が聞こえてくる。
「おはようございます! あれ、誰かいるんですか?」
シノハラの足が止まる。視線を動かす。
が、彼が動くより先に三井が声を張り上げた。
「今取り込んでいるんだ。すまないが帰ってくれ」
「お客様? じゃあおもてなししないと」
「いいから!」
怒鳴るような声。
聞き取れない程度の小声で文句のような言葉が呟かれ、そして足音が遠ざかっていった。
「ああ、そうか。そういうことですか。この生活を手放したくなかったんですね」
シノハラが呟く。
腕を組み、何度も頷いてみせる。
「結局大人は自分の事しか考えていない」
「人はみんな自分の世界を守るために藻掻くんだ。君もそうだろ?」
紙束の整理を終えた。三井は机の端にそれをどける。
でも本当はもっとやりたいことがある。
研究の区切りは全然ついていないし、エリーにもっとちゃんとした別れを言いたかった。元教え子の女子生徒に頼まれた充電器もまだ渡せていない。彼女には悪いことをした。きっと嫌なものを見せてしまっただろう。次に会ったとき謝ろうと思っていた。
しかしそれが叶うことはない。
その瞬間は突然訪れて、こちらの都合などお構いなしに過ぎ去っていく。いつもそうだった。きっと今回もそうなのだろう。
顔を上げる。
それはすぐそこにまで迫っていた。
「僕は成功させてみせますよ。でも先生の挑戦はここでおしまいです」




