4、大人の勇者②
研究所は思いの外小さな建物だった。
せいぜい普通の民家ほどだ。辺りに他の建物はない。二階が居住区だろうか。行ってみたいとは思わない。
少なくとも一階は、足の踏み場もない散らかりようであった。
周囲に散乱しているのはすさまじい数のノート。クロが興味を持ったらしく、それに鼻を近付ける。
「ああこら! ヨシザワ、この魔獣を外に連れ出してくれ。裏なら人が来ないから」
「すみません先生。クロ、こっちおいで」
ヨシザワがクロを連れて外へと駆けていく。
クロが気にしていたノートを覗いてみるが、何を書いているのかさっぱりだ。内容が難しいからではない。
「なんだこの字。サンドワームがのたくったようだ……」
「これは日本語です! あなたが読めないのも当然だ」
「いやぁ、先生の字はクセが凄いので有名だよ。黒板解読するの苦労するもん」
彼――“ミツイ先生”がジロリと睨む。
どことなく神経質そうな印象を受けた。
「研究ノートの字なんて分かればいいんだ! 私は研究のことはもちろん日常の些末なことも記録に残すようにしている。字の形なんかにこだわっていたら時間がいくらあっても足りない」
このよく喋る男がこの研究所の今のトップらしい。
勇者の作った研究所で勇者が研究を行っている。伝統に基づいた素晴らしい人事だ。
字の汚さも驚きだが、目を見張るのはその量だ。部屋中に重ねられた箱、箱、箱。そのすべてにホコリまみれのノートが詰まっている。
「あなた方が召喚されてせいぜい一ヶ月程度でしょう。どうしてこんなにノートがあるんですか?」
「それは先代の勇者が残したものですよ」
「先代って、最初の召喚の?」
「毎回です」
ミツイはボソボソと続ける。面倒くさそうなのが隠せていない。
「勇者が召喚されてくる地点はある程度決まっているんですよ。そのうちの一つがここの近くなんです。だから毎回、召喚された勇者が一人ここの研究所に居ついて研究を行う。そうやってこの世界の科学は少しずつ発展していったんです」
「生き返るって言うのはそういうことか」
先ほどのヨシザワの言葉に合点がいって、思わずつぶやく。
ミツイが微かに眉を動かしたのが分かった。
「非科学的ですが、まぁ無理もない。勇者召喚のサイクルは最低でも百年。前の勇者の顔を知っている人は生きていないでしょうから、さも同じ勇者が生き返って研究所へ戻ってきたように思うんでしょう」
早口でまくし立てるように喋る男だ。
ひとしきり勝手に喋り終えると、ミツイは迷惑そうにこちらを見上げた。
「おしゃべりはここまでです。ビジネスの話をしましょう。ええと、スマートフォンの充電をしたいということでよろしいですか?」
「そうそう! 科学の先生なら作れるでしょ?」
俺を押しのけ、カレンが声を上げる。
ミツイはあっさり頷いた。
「もちろん作れる」
「本当!? ヤッター!」
「金貨300枚だ」
「……え」
カレンの目が点になる。次に悲鳴のような声を上げた。
「お金取るの!? しかも高すぎ。払えるわけないじゃん」
「じゃあこの話は終わりだ」
「なにそれ、冷たすぎるよ。先生でしょ?」
「私の教員免許は日本国限定だ。さっきも言った通りもう君たちの先生じゃない。さっさと帰ってくれ。二度と戻ってこないでほしい」
もともと、彼は俺たちを研究所に連れて行くことを心底嫌がった。
そこを発明品を買いたいということと、俺が王国騎士団所属であるということをちらつかせてなんとかここまで案内させたのだ。
まぁ生意気な子供の相手をするのは大変だろう。鬱陶しがる気持ちも分からないではない。しかしあまりに冷たすぎる気がした。
知らない世界に放り込まれてたった一人。たとえ気に入らない相手だとしても、同じ境遇の人間が尋ねてきたら喜ばないだろうか。
……それとも、すでに誰かが訪ねてきたのか?
「他の勇者について情報提供をお願いできませんか?」
「私が知っているのは彼らの名前と成績くらいです。大した情報はないし、聞いても無駄ですよ。お役に立てずすみません」
相変わらずボソボソとまくしたてるような話し方。
しかしその中に微妙な焦りが見えた。
やはり、なにか知っている。
「分かりました。では金貨の支払いについての相談をさせてください」
「えっ、ギル君金貨300枚払ってくれるの!? ありがと~大好き~!」
「うるさいうるさい」
縋ってくるカレンをいなしながら、俺は困り顔をミツイへ向ける。
そして散らかり放題の室内に視線を巡らせた。
「すみません、もう少し落ち着けるところに連れて行っていただけますか? 書類の記入も必要で、その、ここでは少し手狭なので」
「ではええと、二階へ」
ミツイ本人もまさか了承されるとは思っていなかったといった様子だ。
もちろん了承などするわけない。
二階はやはり居住区らしい。使用人でも雇っているのか。一階とは比べ物にならないほど整頓されていた。
綺麗に磨き上げられたテーブルへと俺を案内する。
「そちらへどうぞ……ところで、彼女たちとはどういったご関係なんですか? 随分と親密そうに見えましたが、彼女たちはまだ未成年で――」
こちらに背中を見せた瞬間、動く。
ミツイの腕をひねり背中へ回す。机へその頭を叩き付け、押さえる。
額を強打したミツイが悲鳴を上げた。
「なんなんですか一体!」
「静かにしろ」
不可解そうに顔を顰めたミツイ。やがてハッとしたような表情を浮かべる。
「いや、私は愛に年の差なんて関係ないと思っていますよ。本当です」
「黙れ」
「ひえ」
俺はミツイを締め上げる力を強める。
相手は勇者だ。しかし森の中でクロに襲われたときコイツは手も足も出なかった。
ミツイが持っているのは恐らく戦闘向きのスキルじゃない。
一階に騒ぎが聞こえないよう、声を潜めてミツイに尋ねる。
「勇者の情報を吐いてもらう」
「だ、だから大した情報は持ってませんって!」
「シノハラについて知っていることを全部教えろ」
「知らない」
ミツイの声色が変わった。
分かりやすい男だ。絶対になにか知っている。
「お前、クロをどうにかしろとヨシザワに言ったな。なぜヨシザワが魔物を操れると知っていた? シノハラに聞いたのか」
「違う」
「シノハラたちがなにをしたか知っているか? 村をいくつか潰して、大都市を火の海にした」
「そんなこと知らない」
「アイツを放っておけば世界が滅びかねないんだぞ。なんとも思わないのか」
「知ったことじゃない!」
俺の言葉をかき消すような怒声。
「世界のことなんか知るか。俺は俺の手の届く範囲の世界が守れればそれで良い」
大人だろうと子供だろうと大差ない。
どうして勇者というのはこうも身勝手なのだろう。
俺はナイフに手を伸ばす。
「じゃあ喋りたくなるようにしてやる」
ミツイが生唾を飲み込んだ、その時。
階下からカレンの尋常じゃない悲鳴が響いた。




