幕間、高園華
部屋に差し込む朝日を浴びて伸びをする。
こんなに気分の良い朝は久々だ、と高園華は思った。
理由は分かっている。
「タケダ君と仲直りしたの?」
居間に入って来たシノハラにからかうような言葉をかける。
城塞都市シタデルでの事件以来、花は二人が言い争う声を毎晩のように聞かされていた。
言い争うと言ってもタケダがシノハラを一方的に怒鳴りつけているだけだったが。
しかし昨晩はその声が聞こえなかったのだ。おかげで久しぶりに安らかな気分で眠ることができた。
「まぁね」
シノハラはなんでもないことのように頷く。
男子の喧嘩というのは分からないと華は思う。掴み合いの喧嘩をしたと思ったら次の日にはケロッと馬鹿話をしたりしているからだ。
今回もそういった一過性の喧嘩だったのだろう。
「良かった。二人が争ってるの見たくないもん」
「そうだね。ごめん。ゲームなんだから、楽しくなくちゃ意味がない」
ゲーム。その言葉に背筋がひやりと冷たくなるのを感じる。
タケダとシノハラの喧嘩の原因も結局はそれだった。だからなおさら、華はその話を耳にしたくなかった。
嫌な考えが忍び寄ってくる。
それに飲み込まれる寸前、シノハラの明るい声が華を呼び戻した。
「ねぇ華。食べたいものある?」
「んー……中央広場の近くのレストランに行ってみたいな。漫画みたいにでっかい肉が食べられるんだって」
「じゃあ今日はそこへ行こう」
「良いの? 凄い行列らしいけど」
「良いよ。二人で並ぼう」
シノハラは優しい。
常に仲間たちの豊かな生活のために最善の行動をとろうとしてくれる。
シノハラが各地に召喚された勇者を集めていなかったら、華は今頃この世界に残っていられなかっただろうと思う。
「シノハラ君ってさ、なんでそんなに優しいの?」
この世界に送られてくるまで――つまり高校1年の1学期の途中までで、シノハラと言葉を交わしたのはたった数回。
とても仲が良いとは言えない間柄だったのに、彼の振る舞いはそれを感じさせない。
少しの期待を胸に尋ねると、シノハラはサラリと答える。
「華たちの事、本当に大事な友達だと思っているんだ」
「ふうん」
友達という言葉に若干の落胆を覚えながら、しかしそれを隠そうと動く。
花瓶の生花が萎れかけているのが気になっていた。
「花屋にも寄って良い? この花、気に入ってたの」
シノハラが花瓶の周囲に視線を彷徨わせる。
まるで彼にしか見えていないなにかを読んでいるかのよう。
それはタケダが“鑑定”のスキルを使ったときにする目の動きだった。
思わず笑いそうになる。彼の癖が移ったのだろう。
「良いけど、花屋には売っていないと思う」
「そうなの? 残念……そうだ、私の癒やしの力でもとに戻せないかな」
良いアイデアであるように思えた。
想定外だったのは、その花瓶が思ったより重かったこと。
華の手から滑り落ちた花瓶が床の上で派手な音と共に砕けた。
「ああ、やっちゃった」
驚いたが、慌てはしない。
ハナのスキルは怪我の治療はもちろん、壊れたものをもとに戻すこともできる。
だから壊したって構わない。これはゲームだ。必要なら直せば良い。
割れた欠片に手を伸ばし――そこで花は小さく悲鳴を上げた。鋭利な破片で指を切ったのだ。
「大丈夫? 花瓶より先に指を治療しないと」
華は返事をしなかった。それどころではなかった。
指の先を食い入るように見つめる。拍動の度に傷口から漏れた血液が丸く大きく膨らんでいく。ズキズキした不快な感覚。
華は一際大きな破片を手に取った。手首につき立てる。
「華」
シノハラが手首を掴む。
傷は深い。溢れる血が肘から滴り落ちていく。
この程度すぐに治せる。しかし華はそうしなかった。できなかった。
気付いてしまった。
「痛い」
「そうだね。だから早く傷を治さないと」
「ねぇ、これ、ゲームじゃないの?」
一瞬の沈黙。
そしてシノハラは微笑んだ。
それはまるで、子供をあやすような態度だった。
「前にも言ったとおり、没入感とリアリティを出すために不快な感覚も――」
シノハラの言葉は届かない。
どんな論理的な説明も、目の前の鋭い痛みの前では無力だった。
これまで蓋をしてきた考えが溢れてくる。
これまで見てきた光景が蘇る。
見殺しにした村人の表情。火の海に沈む都市。
そしてカレンの言葉。
「“人殺し”」
鉛を飲み込んだように胃が重い。
吐き気を堪えられない。
床に突っ伏し、えずく。いくらそうしても楽にはならない。楽になる方法なんて一つしかない。
つまり、罪を償うということ。
「私の力で治せばいいんだ。今まで壊してきたもの、全部」
力を解き放つ。
暖かい光に包まれた花瓶がみるみる形を取り戻していく。
しかし花はそのままだった。いくら力を使っても、そこにあるのは暖かい光に照らされた萎れた花でしかなかった。
「君の力でも、命は戻らない」
うつむく華の顔を覗き込む。
そこには張り付いたような微笑があった。
「だからいちいち気にしなくて良いんだ」
「なんでそんなことが言えるの?」
手を上げ、払いのける。自分が陶器の破片を持っていることも忘れていた。
シノハラの頬に赤い線が走る。
「シノハラ君の嘘つき!」
ヒステリックに叫ぶ華を、シノハラは包み込むように抱きしめた。
「こんな事になったら、もう楽しめないよね。ごめん。今回は失敗ばかりだな」
そのとき、華は風が吹いたような音を聞いた。
首筋が熱くなる。反射的に手をやる。指の間から熱いものが漏れる。
口を開くが声が出ない。言葉が血の泡となって喉から漏れる。
酷く寒かった。なにか奪われていくような感覚。
倒れそうになる体を、シノハラが支えた。
そのまま、ゆっくりと華の体を血溜まりの中に横たえる。
「次はもっと上手くやるから」
今際の際に、華は見た。
シノハラの手が暖かい光を放つのを。それは彼の頬にできた傷を治していく。
命と一緒に何かを奪われたのだと華は気付いたが、今更どうすることもできなかった。
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