3、爆弾処理⑤
「異世界転移なんて馬鹿げたことがあるわけないじゃん。この世界はゲームだよ。現実の世界じゃないの」
俺には彼らの言っていることがさっぱり分からない。
それはヨシザワも同じであるようだ。
「な、なに言ってるの?」
「この世界に来る前のこと、ハッキリ覚えてないんじゃない? 直前の記憶は全然ないし、他の記憶ももやがかかったみたいにぼんやりしてない?」
少女の問いかけにヨシザワは答えない。
否定しないということはつまりそういうことなのだろう。
その理由について、彼女はこう説明してみせた。
「それはね、この世界がゲームだからだよ!」
「そんなの今の科学じゃ無理だよ。私たちの世界にそんなすごい技術はなかった……と思う」
「記憶が曖昧だろう? それは僕らの記憶が操作されているからだよ。没入感とリアリティを高めるために」
シノハラの言葉はよどみなく滑らか。
まるで何百回も口にしているかのようだ。言い慣れている。
「だからさ。細かいことは気にせず、もっと自由にこの世界を楽しんで良いんだよ」
「そんなわけないだろ。どれだけの人間が犠牲になったと思ってるんだ!」
思わず声を上げると、俺を押さえつける力が一層強くなった。
空気を肺に入れるのもやっとだ。
「彼はきっと親切だったよね。食べ物や寝床や優しい言葉をくれる。どうしてか分かる?」
シノハラが囁くように呟く。
こちらを一瞥し、目を細めた。
「勇者の力が欲しいだけだよ。君が必要なわけじゃない」
ヨシザワの表情が強張るのが分かった。
俺は口を開くが、声が出ない。いや、声が出たとしてどんな言い訳をすることができるだろう。
ヤツの言う通りだ。俺は世界を救うために勇者の力を利用しようとしている。
ヨシザワが俯く。
「分かってたよ。それに気付かないほど自惚れてない」
風に掻き消されそうなか細い声だった。
シノハラが小さくうなずく。そして彼女に手を差し述べた。
「ヨシザワさんはやっぱり賢いね。君がいれば心強いよ。僕らと一緒に行こう」
「それでも」
ヨシザワはその手を取らなかった。
顔を上げ、まっすぐにシノハラを見据える。
「私を初めて頼ってくれた人を裏切りたくないの」
シノハラの目が微かに見開かれた。
自分の申し出が断られるなんて微塵も思っていなかった、といったところか。結構な自信だ。
まぁ無理もない。
地響きが大きくなっている。
急に俺を押さえつける手が緩んだ。勇者たちがシノハラの元に集まっていく。
「良いの? このままだとここでゲームオーバーだけど」
獣の遠吠え、唸り声が迫る。
魔獣が塔を駆けあがっているのだ。
勇者たちはスキルを使って逃げられるだろうが、俺たちはそうもいかない。
魔物に食われるか、塔から身投げするかの二択を迫られることになる。
いや、ヨシザワはまだ諦めていないようだ。
「私が食い止めます」
両腕を前に突き出し力をこめる。
一体どのような原理なのかは分からないが、力は確実に作用した。獣の唸り声や遠吠えが止む。
しかし階段を駆け上がる音が止まらない。どんどん大きくなる。すぐそこにまで来ている。
「す、すみません……止められない!」
「良い! どうにかする」
「どうにかって、そのケガでどうやって」
魔獣との戦いで右腕を負傷している。剣を握ることすらままならない。
しかし他に選択肢はない。
傷を覆う包帯を使ってナイフを右手に括りつける。
これでもダメなら左手を。武器を奪われたらこの口で魔獣の喉元を噛みちぎってやる。
扉を睨みつけて、その時を待つ。
轟音。
鉄製の扉が紙のように吹き飛ぶ。
動くことができなかった。矢のように飛んできたそれに体を吹き飛ばされ、冷たい地面を転がる。
体中が痛む。思わず悲鳴を上げる。
「何回言ったら分かるんだ。力の加減を考えろ!」
「だって」
共に地面を転がった小さなバケモノが俺の胸に顎を乗せ、頬を膨らませた。
「ギル君が私のこと置いてくのが悪いんじゃん!」
カレンだ。
騎士団の連中から俺の居場所を聞き、追いかけて来てくれたのだろう。
と、簡単に片付けられる話ではない。
口では生意気なことを言ってみせるが、煤にまみれた体はかすかに震えている。
魔獣が駆け回り、今にも爆破されるかもしれない街の中を突っ切ってここまで来たのだ。
勇者の力があることを差し引いても、並大抵のことではない。
「カレン! 大丈夫なの!?」
無邪気に駆け寄ろうとする勇者の少女が不意に足を止めた。
カレンの向けた視線が、とても友人に向けるようなものではなかったからだ。
「なんでみんなが……まさかこれ……」
「大丈夫だよカレン。これはゲームだから。ね、シノハラ君」
少女が縋るように視線を動かす。
炎に包まれた街を背にシノハラが立っていた。赤い光を受けた顔に薄笑いが浮かんでいる。
カレンと同じ年頃の少年がする表情じゃない。不気味なヤツだ。彼を良く知っているはずのカレンですら、同じことを思ったらしい。
「……アンタ誰なの?」
カレンが唸るように言う。
怒っているような、しかし今にも泣き出しそうな、不安定な声。
「シノハラはスカしてて暗いけど、こんなことするヤツじゃない。この人殺し!」
意外だったのはカレンの言葉に対するシノハラの反応だ。
怒ることも、笑い飛ばすことも、言い返すこともしなかった。
ただ、酷く傷ついた顔をした。こんな大惨事を引き起こして平然としていた勇者が、その辺にいる、普通の子供のように。
その顔が微かに歪んだ。
手を伸ばす。わき腹に突き刺さったそれに触れる。
ナイフだ。
「シノハラ君!」
少女が駆け寄っていく。
彼女は確か癒しの能力を持っていた。
この負傷の割には上手く投げられたが、即死させられなかった時点で俺の負けだ。すぐに傷は治されてしまうだろう。
でも俺は、勝ち誇ったように笑ってみせる。
「これでもこの世界は現実じゃないと言えるか?」
駆け寄った少女の顔色はシノハラよりも悪い。
深々突き刺さったナイフをどう処理して良いか分からないのだろう。
「シノハラ君……これはゲームなんだよね? ね?」
傷に触れることすらできず、呆然とシノハラを見上げる。無傷の彼女の方がシノハラに助けを求めているようだった。
しかしシノハラの顔には薄笑いが戻っていた。
「もちろんだよ」
そう言って、突き刺さったナイフを引き抜く。
勇者も人間だ。痛みは感じるし死ぬことだってあるだろう。しかし彼の振る舞いはそれを感じさせない。
少女に傷を治させながら、シノハラが穏やかに尋ねる。
「ねぇカレン、今の生活は楽しい?」
「ギル君と一緒にいられるんだもん。楽しいに決まってるでしょ!」
得体の知れないヤツだ。なにを考えているのか分からない。
しかしその表情は今までの張り付いたような笑みとは違っていた。
シノハラは微笑んだ。少しだけ寂しそうに。
「なら良かった」
「ちょっと、待ってよ!」
カレンの制止もむなしく、勇者共は消えた。
転移スキルだ。なんて便利な技だろう。どんな窮地においても、一瞬で安全な場所まで逃げおおせることができる。
やりたい放題じゃないか。
「みんな、普通の高校生なんだよ」
力が抜けてしまったようにカレンがへたり込む。
友人たちのせいで変わり果てた街を見下ろしながら。
「ハナちゃんなんかね、ペットのハムスターが死んだとき三日も寝込んじゃったの。こんなことできるはずない。正気じゃいられないよ」
「そう。だからこれが現実だって認められないんだ」
迫りくる絶望が濃いほど、人は都合の良いことしか見ようとしなくなる。
村を魔獣に襲わせた罪を直視できず、彼らはこの世界こそが偽りであると切り捨てた。
そうしないと正気を保てないのだろう。そしてさらに大きな罪を重ねることになった。
思っていた以上に危険な存在だ。本当に世界を滅ぼしかねない。
彼らを止めなければ。
「彼らの犯した罪は消えない。でも、今ならほんの少し軽くしてやることができる」
「……どうするの?」
「俺たちでこの街を救うんだ」
「でもギルベルトさん。爆弾はもうありません」
俺は顔を上げた。
カレン、ヨシザワ。二人の顔を見つめる。
「爆弾よりもっと凄い力があるだろ」
「まさかカレンちゃんに戦わせるつもりですか!? いくらなんでもこの数は――」
「ヨシザワさん、私のこと名前で呼んでたっけ?」
「あ、いや。ごめんなさい花咲さん」
「ううん。それよりギル君を守ってくれてありがとう。大変だったでしょ、すぐ無茶するから」
「守ってもらったのは私の方だけど……確かに無茶はしてたかな」
同じ境遇、同じ年頃の少女二人。
きっかけさえあれば打ち解けるのは早い。
これならこれから行う作戦もうまく行きそうだ。
「戦うのはカレンだけじゃないぞ。二人の力を合わせてもらう」
俺はもともと爆発そのもので魔物を倒そうとしたわけではない。
この付近に魔物を集めた理由は、時計塔が街で一番高い建物だから、というだけではない。
ヨシザワの力で魔獣を集め、さらに密集させる。しかしものすごい数だ。集めることはできても、この数の魔獣を無力化させることは今のヨシザワでは無理だろう。
凄まじい数の赤い目がこちらに敵意を向けている。迂闊に身を晒せば無事ではいられない。
そして、カレンが動いた。
小さな拳を振るう。魔獣にではない。その足元――地面へと。
「よいしょーッ!」
間の抜けた声と裏腹に、その威力は凄まじい。
大きな揺れ。轟音。地面に蜘蛛の巣状のヒビが走り、豪快に崩れ落ちていく。
ここは城塞都市シタデル。
魔物との戦いの拠点、そして人類の盾となるべく人工的に作られた街だ。
いざというときの戦いに備えたものが色々とある。
現在稼働中のものから、長い歴史に埋もれて住民たちの記憶から消えたものまで。この街の騎士たちは酒を酌み交わしながら教えてくれた。
例えばここの地下。老朽化して封じられた巨大な地下壕がある。そこに亡霊がでるとかでないとかいう怪談話はこの際どうでも良い。
今大事なのは、その地下壕が極めて深いこと。落ちれば魔物といえど助からないこと。
そして崩落を起こしたカレンも無事ではすまないだろうこと。
「うわああっ!?」
案の定、地面のヒビはカレンの足元にも及んだ。
崩れ落ちた瓦礫とともに奈落へ飲み込まれていく。
が、落下は途中で止まった。
「飲み会での情報もなかなか役に立つだろ?」
“これ”もまた来たるべき戦いのため塔に備えられた騎士団の備品の一つ。
緊急用縄梯子。それをバラしてロープにし、カレンにくくりつけた。
宙づりになったカレンが、不機嫌そうにこちらを見上げる。
「じゃあ今度から私も連れてって」
「それは約束できないな」




