3、爆弾処理④
時計塔を上っていく。
振り返ると階段を血痕が続いている。右腕に巻き付けた布から滲んで滴ったものだ。
しかし不思議と痛みは気にならない。精神の高揚は優れた鎮痛剤だ。
急な階段でも、足取りは軽い。
時計塔の頂上からは街全体を見渡すことができる。
あちこちで勃発した火災が不気味な影を浮かび上がらせていた。
魔獣だ。もうだいぶ街の中に入り込んでいる。
こうなったらおしまいだ。街を放棄するほかない。
こんな風にして人類は広大な土地を少しずつ失ってきた。
――今までは。
しかしこれからは違う。
「見せてくれ。世界を救う君の力を」
街を焼く炎がヨシザワの顔を赤く照らしている。
不安げだ。彼女はいつもそうだ。菓子屋にいるときでさえそうだった。
一体なにがそんなに不安なのか。
こんなにも素晴らしい力があるというのに。
黒い影が街中をうぞうぞと動いている。土石流のような勢いでこちらへ押し寄せる。
魔物を操作するヨシザワの力。これはその一端にすぎない。
身震いする。
これほどの範囲で、これほど大量の魔物を無力化することができるようになれば。
「本当に……世界を救える……」
「あの」
振り向いたヨシザワと目が合う。いつもならすぐに逸らされるところであるが、今回は少し違った。
手を胸の前で握り、もう片方は自分を庇うように服の布を触っている。
緊張していることは分かったが、なにに対してかまでは分からない。
やがてヨシザワは意を決したように口を開く。
「私は役に立てるでしょうか」
「もちろんだ」
質問の意図が分からなかったがそんなの聞くまでもない。当然、俺は頷く。
そして思わずギョッとする。
ヨシザワが肩を震わせて泣き始めたからだ。
「怪我でもしたのか? 飴いるか?」
「……嬉しかったんです。人に頼ってもらえたのは初めてだったから」
ポケットから飴を取り出すまでもなく、ヨシザワは笑顔を見せた。
やはり子供は苦手だ。なにを考えているのかまるで分からない。
人から頼られるなんて面倒なだけじゃないか。それを涙を流すほど喜ぶなんて。
だが悪くない。俺はヨシザワの頭に手を乗せる。
「なら勇者は天職だな」
街を焼く炎は広がっていくばかりだ。ヨシザワの顔を赤々と照らしている。
魔獣もかなり集まって来た。
のんびりおしゃべりを続けている時間はないらしい。
俺は飴の代わりにスイッチを取り出す。
カールから預かったものだ。
押せば時計塔周辺に設置された爆弾を起爆することができる。
最小限の被害で街を救うことができる。
「あの。この塔は大丈夫なんでしょうか」
「さぁ……多分な」
俺の返答にヨシザワの表情が強張るのが分かった。
思わず噴き出す。
「魔獣が押し寄せている街の中よりは安全なはずだ。そんな顔するな」
「だ、だって」
「いくぞ、衝撃に備えろ」
ヨシザワの言葉を遮り、俺はスイッチを高く掲げた。
そして時計塔の縁に建つ。
ここからならよく見える。世界を救う、その大いなる一歩を。
俺はスイッチを高く掲げ、そして。
「……ギルベルトさん?」
ヨシザワの怪訝な声がどこか遠くから聞こえてくる。
神様は相当俺のことが嫌いなんだろう。
作戦の失敗を考えていなかった訳ではない。
でも、まさかここまで来て、こんな仕打ちがあるかよ。
「あの、早くしないと時間が」
「起爆しない」
スイッチの不具合か、爆弾本体の問題か。
どちらにせよ最悪の状況だ。
しかし俺はできるだけ平然と答えた。
それがまるでちょっとしたトラブルであるかのように。
ヨシザワが時計塔の縁に手を付き、這うようにして真下を覗き込む。
時計塔の下には魔獣がうじゃうじゃといる。
だが、仕方がない。
「俺が手で起動してくる。ヨシザワ、魔獣を別の場所へ動かすことはできないか?」
「ギルベルトさん」
「大丈夫だ。一つ起動させれば誘爆が起きて――」
しかし違った。
ヨシザワが怯えているのはそういう事じゃなかった。
ヨシザワが震える指で真下を指差す。
「あの、時間が」
ヨシザワの声が轟音に掻き消される。
それが鐘の音だと気付くまでに時間がかかった。
つまり、時間切れだ。
間もなくこの街は魔獣諸共爆発される。
ここまできて。こんなところで。
俺はヨシザワを抱えあげ、後方へ跳ぶ。できるだけ落下のリスクの少ない場所へ。少しでも生き残る可能性のある行動を。
時計塔の真ん中で、彼女に覆いかぶさるようにして伏せる。
「君は人類の宝だ。絶対に生き延びてくれ」
我ながら無茶苦茶なことを言っている。
こんな状況をどう生き延びろというのか。
俺にできるのはヨシザワの盾になり、彼女の無事を祈ることくらいだ。
祈りが通じたのかは分からない。
ともかく、いくら待っても爆発は起きなかった。
「た、助かった……?」
「いや」
逆だ。
状況はより悪くなった。
「あれ? カレンいないじゃん」
滅びつつある街に似つかわしくない呑気な声。
時計塔の上に突如現れたのは、煤にも血にも汚れていない綺麗な服の少年少女。どいつもこいつも見覚えがある顔。
名もなき集落で出会った勇者。シノハラたちだ。
そしてその手に抱えているスクラップは。
「なぜ君たちが爆弾を持っているんだ」
魔物を倒せず爆破もできなければ、この街を通って魔物が人類の領域に流れ込んでしまう。
たくさんの人間の生活が危険に晒されることになるのに、どうして。
いや、まさか。それ自体が目的なのだとしたら。
俺の考えを肯定するかのようにシノハラが微笑する。
「この世界は僕らが活躍するには少し平和すぎるので」
納得がいった。
ここの門は中型の魔獣程度に破れるようなものじゃない。だが勇者なら容易かったろう。
赤く燃え上がる街が抜身の刃に映り込む。俺はそれを叩きつけるように振り下ろした。
彼らは平和な世界で生まれ育った子供だ。
人間に直接危害を加えることに慣れていない。とっさの暴力に反応が遅れる。
彼らのスキルは分かっている。シノハラ以外は戦闘向きのものじゃない。ヤツさえ殺せれば。
しかし届かない。見えない壁がナイフをはじく。
ぐらりと視界が揺れ、地面に顎を打ち付ける。なにが起きたのか分からない。
気が付くと、俺は戦闘訓練も受けていない少年少女に簡単に組み伏せられていた。
「コイツ、カレンと一緒にいたヤツだ。また邪魔してきやがった」
「まぁNPCに色々言っても仕方ないよ」
シノハラはそう呟き、火を纏った手で俺の腕を掴む。ナイフを手放さずにいることは不可能だった。
「殺してしまおう」
俺から奪ったナイフを振り上げる。
その様を、他の勇者たちは平然と眺めている。
やはりおかしい。彼らはカレンと同じ平和な環境で育った子供のはず。ナイフで人の首を掻き切ることにどうしてこんなに躊躇いがないんだ。
そんなことを考えている間にも刃が迫る。
しかし黒い影がそれを弾き飛ばした。
背を低くして唸り声を上げる小柄な魔獣――クロだ。
その背後でヨシザワが今にも泣きそうな声を上げる。
「やめてよ。こんなの絶対おかしいよ」
一瞬の沈黙。
やがてクスクスと囁くような笑い声がヨシザワを囲んだ。
「ヨシザワさん、気付いてないの?」
少女が片眼を閉じ、手を口元に持ってくる。
とっておきの秘密を告白するように彼女は囁いた。
「だってこれ、ゲームだよ?」




