3、爆弾処理③
地獄があるとすればこんな感じだろうか。
火に飲まれる建物。駆け回る魔物。逃げ惑う人々。
今まさに滅亡しようとしている要塞都市シタデルを駆ける。この状況を打開しうる最終兵器の手を引いて。
「やっぱり私だけじゃ無理です。花咲さんを呼んだ方が」
「ハナサキ?」
「あの、カレン……ちゃんのことです」
「カレンなら大丈夫だろう」
後に続く「殺しても死ななそうだ」という言葉を飲みこむ。
もちろんカレンの力があれば心強いが、探している暇など無い。
ヨシザワはそれが酷く不安であるらしい。
名もなき村で見た勇者たちはみな大なり小なり自分の力を誇っているようなところがあった。
しかし彼女はむしろ自分の力を卑下している。
「今の私にできるのは魔物を呼び集めることくらいです。カレンちゃんみたいに格好良く戦ったりできません」
「今の? 勇者はできることが増えたりするのか?」
「ええ、まぁ……」
勇者の生態について、詳しいことは分かっていない。
前回勇者が召喚されたのは二百年前。失われた記録もあるだろう。
カレンにしても他の勇者と接触した時間が極端に少なく、持っている情報は多くない。
詳しい話をヨシザワから聞き出したかったが、そんな場合ではなくなった。
「――――あ」
ヨシザワが足を止める。
そして天を見上げた。
一際大きく、華美な建物――大聖堂。
火に包まれたそれの屋根の上にいくつもの人影が見えた。
信者たちだ。魔物から逃れるため避難をしたのだろう。しかし火に退路を断たれて逃げられなくなったらしい。
そして今、彼らは目の前に退路を見出した。
虚空に足を踏み出す。思わず目を反らすと共に響く衝突音。
見上げるほどの高さから飛び降りた彼らが、熟れた果物のように潰れて広がっていた。
「行くぞ。ここで俺たちにできることなんてない」
俺はヨシザワの手を引き、駆け出す。
人体が潰れる湿っぽい音から逃れるように。
「……この世界の神様は自殺を容認しているんですか」
「いや」
彼らは決して自ら死を選んだわけではない。
助かる唯一の方法だと信じて飛んだのだ。
明らかな破滅への道でも、彼らにはそれを知覚できない。
「迫りくる絶望が濃いほど、人は都合の良いことしか見ようとしなくなる。放っておけばどんどん被害は大きくなる。急ぐぞ」
ゴールが見えてきた。
街のどこにいても見えるよう、どの建物よりも高く設計された建物――時計塔。
その周囲に魔物を集め、爆弾で一網打尽にする。
成功すればこの大都市を守れる。凄まじい数の人間の命を救える。
悪くない。命を懸けるに相応しい。
制限時間は時計塔の長針がてっぺんを指すまで。
それまでに魔物を倒せなければ作戦は失敗とみなされ、従来の最終作戦へと移行する。
つまり俺たち諸共爆破され、この街は地図から消える。
それほど時間はない。
しかし時計塔の手前でヨシザワは不意に足を止めた。
視線の先、建物の陰でなにか蠢いている。
血の匂い。いくつもの獣の息遣い。不穏な気配に身構える。
しかし襲われているのは人ではなかった。その中心にいたのは牙を抜かれた例の魔獣だ。
「クロ!」
駆け出そうとしたヨシザワの腕を掴んで止める。
「離してください! クロが死んじゃう!」
「行ってどうするんだ。勝つ見込みはあるのか?」
「それは……」
魔獣の数は5、6匹といったところか。
直接的な戦闘能力のないヨシザワが行ったところで被害が増えるだけだ。
時間も迫っている。早く時計塔へ向かわねば。
なにが理由で同族同士争い合っているのかは知らないが、魔獣がこの世から一匹でも減るならそれは喜ばしいことだ。
しかしヨシザワは動かない。沼に沈むようにゆっくりと地面に膝をつく。
「やっぱり私には無理です。なにもできないし誰も救えません」
思わず唇を噛む。
そうだった。彼女は騎士でも兵士でもない。
ただの少女だ。それも平和な異世界からやってきた、血の匂いに慣れていない少女。その心はガラスのように脆い。
先ほどの大聖堂での光景が彼女の精神を弱らせているのかもしれない。
「君には君にしかできないことがあるというだけだ。この街を救うのは君だ」
できる限り穏やかな声で励ますが、ヨシザワは項垂れたまま立ち上がろうとしない。
こんなとき上手く言葉で丸め込めたら良いのだろうが、あいにく俺は口が上手くない。
思わずため息が漏れる。たったそれだけでヨシザワはビクリと肩を震わせる。
なぜ神はこんな繊細な少女に力を与えたのか。
だから結局こういうことになる。
俺は剣を抜いた。
「アイツは俺が救う。君はこの街を救う。それで良いな?」
返事は待たなかった。
それ以上譲歩するつもりはなかったからだ。
俺は魔獣の蠢く薄暗い路地に飛び込み、剣を振り下ろす。
手応え。白銀の刃は魔獣の頭蓋を叩き割っていた。それを視界の端で確認しながら返す刃でもう一体、こちらへ飛び掛かって来たヤツを叩き落とす。
クロと同じタイプの魔獣だった。しかし体は一回りも大きく、毛並みは艶やか。栄養状態が良いのだろう。なにを食っているのかは考えたくもない。
こうして並んでいるとクロのみすぼらしさが際立って見える。
こいつらがクロを囲んで甚振っていた理由がなんとなく理解できる気がした。
「ヒャン!」
クロが吠える。
恐怖によるものか。あるいは歯がないからか。
それはなんとも間の抜けた鳴き声だった。でも意味は分かる。油断するな、とかそんなところだろう。
言われなくたって分かっている。しかし対応できるかは別だ。
こちらは一人。剣は一本。
二体同時に襲ってこられれば、取れる戦略は限られる。
俺は飛びかかってきた一体を叩き切った。間髪入れずもう一体が飛びかかる。剣を振り上げるが間に合わない。
駆け抜ける激痛。太い牙に貫かれた腕から鮮やかな血が滴る。
赤く濡れた手から剣が滑り落ちていく。
この種類の魔獣は群れで生活をする。
だからだろう。集団での戦い方というものを分かってる。
だがこちらだって魔獣との戦い方なら知ってる。何体も殺してきたし、仲間を何人も殺されてきた。
腕に食いついた魔獣を壁に叩き付ける。
裂けた口からうめき声が漏れる。牙を外そうともがくが、逃さない。
腕を口内に押し込み、首根っこを左手で掴み、さらに壁に叩き付ける。
叩き付ける。叩き付ける。叩き付ける。
ゴッという鈍い音が規則的に路地裏に響く。だんだんと音に湿っぽいものがまじる。腕を温かいものが伝う。
どれくらいそうしていただろう。
気が付けばうめき声は止んでいた。力なくぶら下がったそれを腕から外し、投げ捨てる。
血に濡れた路地裏に積み重なった魔獣の死骸。俺はその光景に満足感を覚えた。殺されていった仲間たちの仇討ちをしたような気になっているんだろう。
だが俺が戦ったのは決してそんな自己満足のためではない。
遠くから聞こえてくるヨシザワの歓声が俺に本来の目的を思い出させた。
「クロ!」
一足先に路地裏を飛び出していったクロとヨシザワが感動の再開を果たしていた。
やはり不思議な光景だ。あのおぞましい魔獣がまるで犬のように少女に懐くなんて。
「あの、クロを助けてくれて――」
礼でも言おうとしたのだろう。
しかし顔を上げるなり、ヨシザワの表情が分かりやすく強張った。
「それ、大丈夫なんですか」
「大丈夫に見えるか?」
俺は苦々しく呟く。
戦いの興奮が覚めるとともに痛みが強くなってくる。腕に心臓ができたように強く脈打ち、その度にズキズキした痛みが走る。
少なくとも、しばらく剣を持つことはできないだろう。
しかしヨシザワの顔色は、多分怪我をした俺より酷かった。
「そんな、どうして、そんなになるまで」
「“どうして”? “どうして”だって?」
血を失いすぎたからか。
意識が朦朧としていたのかもしれない。
気付くと俺は叫んでいた。
「お前のために決まってる。お前だけが頼りなんだぞ!」
口に出してから我に返る。
少女を怒鳴りつけてしまった。もしここで彼女にへそを曲げられてしまったら作戦はパーなのに。
頭が真っ白になる。なにか言い訳をしようと口を開いたが、何も出てこなかった。
しかしどうやらその必要はないようだった。
「私が……頼り……?」
そう呟いたヨシザワの声には、驚きと、そしてどういうわけか喜びが滲んでいた。
よく分からないが難は逃れた。これ幸いと俺は言葉を続ける。
「とにかく、魔獣を四体も倒したんだ。約束通りに――」
言いながら、違和感を覚えた。
四体。俺が倒した魔物の数だ。
確かに殺した。この手で四体。
胸騒ぎがする。そうだった。
確か、俺が最初に感じた魔獣の気配は、もっと。
ヨシザワの目が見開かれる。俺は反射的に振り返った。
しかしどうやら気付くのが遅かった。
赤い目と白い牙はすぐそこにまで迫っていた。
仲間が次々殺される中、息を殺して潜んでいた最後の一匹。
俺が油断する瞬間を待っていたのだ。そして絶好の好機が訪れた。
魔獣が跳んだ。
とっさに剣に手を伸ばす。しかし負傷した腕には剣の一本を持ち上げる力すら残されていない。
脚が縺れる。体勢を崩す。攻撃を避けられない。受け身も取れない。
今までたくさんの仲間たちの死を見てきた。
その瞬間は突然訪れて、こちらの都合などお構いなしに過ぎ去っていく。いつもそうだった。きっと今回もそうなのだろう。
とうとう来たんだ。俺の番が。
迫る死の中、俺は自分が笑っていることに気付いた。
散っていった仲間たちの想いを背負いこんでいたら、重すぎて身動きが取れなくなった。もう戻ることなどできない。腕の動く限り刃を振るい、足の動く限り血に塗装された道を進むほかない。
でも、これでようやく。
泥のような安堵感がそこにあった。
しかしやはりそれは許されないのだろう。
ここで諦めるには、俺の手札はあまりに強すぎた。
なにせ彼女は“勇者”だ。
「やめて!」
一言。
たったそれだけで戦況がひっくり返った。
魔獣が地面に這いつくばっている。
藻掻くそぶりを見せるが、顎を地面から離すことすらできない。まるで見えない手に頭を押さえつけられているようだ。
思わずヨシザワを見る。
彼女もまた呆然とその様を眺めていた。
“勇者の能力には成長の余地がある”
彼女が先ほど口にしていたことだ。
まさに今、彼女の能力は成長を遂げたのだろう。
いいや、これこそが彼女の本当の能力。
「君は魔物を操れるのか?」
口内が急速に乾いていくのを感じて、俺は唇を舐めた。
本当は分かっていた。
世界を救うなんて無理だ。
俺が歩んでいるのは明らかな破滅への道。行き着く先は血に濡れた冷たい地面。
それでも立ち止まるわけにはいかない。諦めるにはあまりに多くのものを失いすぎたから。
しかし状況が変わった。
彼女たちの力があれば、あるいは。
俺はヨシザワの肩を掴んだ。
彼女がギョッとするのが分かったが、そんなことは構っていられなかった。
「君の力が必要だ。俺と一緒に世界を救おう」




