3、爆弾処理②
夜になっても、シタデルは明るい。
街の出入り口では常に火が焚かれ、門番が魔物の襲撃に備えている。酒場が並んだ大通りなど昼よりも賑わっているくらいだ。
とはいえ、人気のない細い路地裏は夜の闇に沈んでいた。
彼女が白い服を纏っていなければ見つけることができなかったかもしれない。
俺は息を殺してヨシザワの背中に忍び寄る。音が出ないよう注意深くナイフを抜き放つ。小さな刃だが、その細い首を掻き切るには十分だ。
やるなら今が絶好の好機。
カレンには「必死に探したがヨシザワは見つからなかった」と説明するだけで良い。
これで爆弾を二つも抱えるリスクから解放される。
子供に手をかけることに心が痛まないわけではない。彼女を本当に殺すべきか、迷いもあった。
しかし俺が足を止めたのはそれが原因ではない。
なにか、いる。
路地裏の奥。闇に紛れてなにかが動いた。
正体を見極めようと目を凝らす。足元に転がる小石に気づけなかったのはそのせいだ。
微かな、しかし静寂に包まれた路地裏では致命的な音。
「あ……」
振り向いたヨシザワと目が合う。
俺はナイフを抜いた。振りかぶる。
ヨシザワは動かない。反応できず固まっている。
騒がれるよりずっと良い。
俺は彼女を押しのけ、闇に潜むそれに刃を振り下ろす。
しかし“それ”はすんでのところで刃をかわした。しなやかな体躯を翻し、俺の腕に噛みつこうと地面を蹴る。こちらも刃を返して応戦――しようとしたが、邪魔が入った。
「やめて!」
初めてヨシザワの声を聞いた気がする。
地面に引き倒される。マズいと思った時にはもう遅かった。
黒い影が裂け、真っ赤な口が迫る。とっさに伸ばした腕に痛みが走る。
やられた。噛みつかれた。おかげでようやくその全貌が見えた。
黒く艷やかな毛皮に覆われた体は、一見すると大型犬のようにも見える。
しかし瞳は赤く、脚は六本。
魔獣だ。
魔獣の牙は種類によって様々だ。剃刀のようなものが細かくビッシリならんでいる個体もいれば、俺の指よりも大きな牙を持つ個体もいる。中には毒を持つものもいるらしい。恐ろしい話だ。
が、この魔獣はそのどれでもなかった。
牙がない。
歯茎だけの口が俺の腕を挟んでいた。
「クロ! ダメ!」
これも勇者のなせる業か。
魔獣がヨシザワの指示に従った。俺の腕から口を離し、彼女の背中に隠れるように飛び退く。
本来、魔獣と人は相容れないものだ。調教などできはしない。
たとえ肉が裂けるほど鞭で殴っても。牙を抜いても。爪を剥がしても。
それになんの意味もない。ただ、それで気が晴れる人間がいるのもまた事実だ。
そのためだけに小型の魔獣を売る業者もいると聞いたことがある。
「この子は私と同じなんです」
風に掻き消えてしまいそうな声だった。
雨に濡れた犬のような目でこちらを見下ろす。
「理不尽な世界にじっと耐えている」
恐らくはスキルによるものだ。
ヨシザワは魔物と意思疎通ができるのかもしれない。
悲痛な叫びが聞こえたのだろうか。
こそこそ抜け出して、コイツの世話に勤しんでいたのか。
心の傷を舐め合うように人気のない路地裏で身を寄せ合っていたのか。
やはり、彼女もまた普通の子供なのだろう。
人よりも少し繊細で、優しい心を持った、ただの少女だ。
だがそんなのは別に関係ない。
素早くナイフを投げる。ヨシザワの脇をかすめ、魔獣に命中。
絹を裂くような悲鳴が路地裏に響く。
「どうしてですか! この子はなにもしていないのに」
「それは人を食う。理由はそれで十分だろ」
「人なんて食べません。クロはこの街から出たこともないんです!」
「“まだ”食べたことがないだけだ」
しかし魔獣は倒れていない。
浅かったか。厚い毛皮に阻まれ、ほとんどダメージが通っていない。仕留めそこねた。
魔獣とヨシザワが地面を蹴ったのはほぼ同時だった。二人して狭い路地を掛けていく。
俺はその小さな背中を追う。
彼女たちに逃げる場所などない。
そもそも魔獣を飼育することは禁じられている。
俺が直接手を下さずとも、見つかり次第魔獣は処分されるのだ。
問題はヨシザワをどうするか。
魔物を匿う勇者など生かしておいても世界に害しか与えない。
やはり処分するなら今がチャンス。
俺は新しいナイフを引き抜いた。ヨシザワの背中を捉え、地面を蹴る。
路地裏から見る大通りはいつもより明るく感じる。人通りも多く騒がしい。
あそこに逃げられる前に決着をつける。
そう決心したとき、不意にその光景に違和感を覚えた。
街が赤く染まっている。夕日はとっくに沈んだはずなのに。
足を進めるたびに胸騒ぎが大きくなる。この喧騒。この匂い。俺はこれを知っている。
手を伸ばす。
ヨシザワの腕を掴んだのは、彼女が大通りに踏み出す寸前だった。
路地裏へ引き込むと同時にナイフを振り上げる。
俺はその格好のまま固まった。
目に映るのは、この世界じゃごくありふれた光景。
逃げ惑う人々。火に飲まれる建物。そして押し寄せる魔物。
「クロ! 待って、クロ!」
牙の無い魔獣――クロは、恐らく同族たちを初めて目にしたのだ。
狂ったように猛る魔物たちに酷く怯え、制止も聞かずに駆けていく。
追いかけようとするヨシザワの腕を捻り上げる。
「お前がやったのか。その妙なスキルで――」
「私じゃありません!」
言い終わらないうちにナイフを振り下ろす。それはヨシザワの背後に迫った魔物を切り捨てた。
転移スキルもないこの状況で魔物を呼び寄せれば彼女自身にも危険が及ぶ。
今は彼女の言葉を信じるしかない。
「ギルベルト!」
こちらに駆け寄ってくる見知った顔。
同期の騎士、カールだ。昨夜は酒のせいで顔を赤くしていたが、今夜は燃え盛る炎が顔を赤く染めている。
「カール、状況を教えてくれ」
「見ての通りだ。正門が突破されて魔物がなだれ込んでいる」
「門が? この街の堅牢な守りをどうやって」
「犯人探ししてる場合じゃないだろ。早く逃げろ。じきに爆破が始まる」
「爆破……って?」
異世界人であるヨシザワが分からないのも無理はないだろう。
この都市は我々の領域の一番外側に位置する大都市。人類の砦。ここを突破されれば人類はいよいよ存続の危機に晒されることとなる。
より多くの人類を救うため、この都市を爆破して潰そうとしているのだ。魔物ごと、建物ごと、そして住人ごと。
今まさにこの街は地図から消えようとしている。
「ダメ! クロがまだ見つかってないのに……!」
「友達か? 可哀想だが、諦めろ。今から全力で走っても逃げられるか微妙だ」
「そんな……」
崩れ落ちるヨシザワ。
しかしそうしたいのはカールも同じだろう。
「お前こそどうするんだ」
分かり切った質問をした。
そして彼は俺の予想と寸分たがわぬ答えを口にした。
「最後まで魔物と戦うさ。人を救わなくちゃならない。一人でも多く」
それが俺たちの仕事だ。
いつかこんな日が来るかもしれないと覚悟していたはずだ。
それでも握った拳の震えは隠せていない。
先日子供が生まれたのだと、赤らんだ顔を嬉しそうに綻ばせていたのを思い出す。
今、彼は表情の抜け落ちた顔を逃げ惑う人々に向けていた。力なく呟く。
「俺たちがなにをやったって言うんだろうな」
理不尽な世界にジッと耐えているのはみんな同じだ。
住民の多くが爆破に巻き込まれて死ぬだろう。しかしそうしなければもっと多くの人間が死ぬ。
仕方がない。
完璧な選択肢などこの世にはそうない。己の力の及ぶ範疇で、よりマシな選択をするほかないのだ。
だから俺もそうする。
「爆破は待ってほしい」
ヨシザワの小さな肩に手を置いた。
作戦変更だ。
俺は自分にできる最良の選択をする。
「俺たちでこの街を救う」




