六十一話 出会う目的は
7【奏繁 七月十四日 09:38】
未完成の小ビルへ足を踏み入れる。日差しの遮られた人工的な石場には特有の涼しさがある。自分は鉄材の積み上がった場所を避けて奥へ進んだ。
上城町には、赤井廃ビル以外にも放置された建造物がいくつかある。ここはそのうちの一つ。五階建てのビジネスビルになる予定だったけど、三階までコンクリートを流し込んだ時点で建設は放置されてしまった。飯野地区の廃棄区画、その最奥にある小さなビルもどき。赤井廃ビルとは二キロほど離れているが、ぎりぎりレゾンの張った人避けの効果範囲だ。
塗装のされていない太い柱に触れながら後ろを振り返る。白髪の少年はちゃんとついて来ていた。
「ほら、君の要望通り、人気が無くてそれなりに広い空間だ。邪魔は入らないと思う。ここまで連れてきたんだ、そろそろ説明してくれないかな?」
突然に自分を訪ねてきた少年。彼が自分に渡したのはたった一枚の紙だけだ。それだけで自分は彼を警戒せずにここまで連れてきた。その紙に書かれた自分の名前と住所。その筆跡をまだ覚えている。あれは依琥乃の字だ。
なぜ彼が依琥乃から自分を紹介されたのか。そして彼の願いの意味。全て、彼の出した条件に合う場所を教えれば情報を開示する約束だった。
少年は一通り辺りを見渡して納得がいったのか、軽く頷いて自分に答える。
「そうですね。ここなら十分です。ではまず自己紹介から始めましょう。私は節制の罪人『不老・不死』。原始末期より生き続ける不甲斐ない男です。名前は──長く生きているうちに失くしました。ですのでジョン・ドゥとでもお呼びください。名無しの権兵衛でもいいですよ」
「えっと……日本文化にお詳しいんですね?」
西洋顔で白髪の少年から権兵衛なんて言葉が出るとは思わなかった。ていうかこの子、やっぱり自分なんかと比べものにならないほど年上なんですよね。
「しばらく住んでいた時代もありましたから。ああ、敬語は必要ありませんよ。年上とかそういう次元でもないでしょう。なら、見た通りに接してくれるほうが混乱もない」
そう言ってもらえると助かる。自分は気持ちを切り替えて再び訊いた。
「わかった。つまり君――ドゥは、神の怒りに触れた七人の罪人、その一人ということでいいのかな」
「そこまで事情を知っていてくれるなら話が早いです。しかしどうして信じてくれるんですか? たとえ罪人の話を知っていたとしても、この世にたった七人しかいない罪人がこうして会いに来るなんて、荒唐無稽でしょうに」
「身近に『全知・不全能』の罪人が居たからね。それに君の持ってたこの紙、これも彼女によるものだから。彼女が関わるなら何が起きてもおかしくない」
心底不思議だと首を傾げるドゥに例の紙を返すと、彼は納得したようだった。
「ああ、自分にどうして奏繁さんに関する知識があるのか不思議でしたが……なるほど忘れているだけだったか。私は『謙譲』のかたに奏繁さんを教えてもらったんですね。そのメモもその時に頂いたと」
「誰からの情報か忘れてたのに、自分を訪ねてきたの?」
「長く生きているので、記憶が曖昧なことはよくあるんですよ。それに私はもう、あなたに縋るしかないから」
薄く苦笑する少年の、その明るい瞳に影が差す。そこには年若な見た目には似合わない、老成された疲れのようなものが見て取れた。自分はその色を知っている。人の身の丈に合わない──それどころか怪物にすら荷が重い年月を重ねた者が時折見せる寂しさ。自分はその色を持つ人達をよく知っている。だからだろうか、自分は目の前にいる彼を、助けたいと思った。
「……それは最初に言ってた、君と君の師を殺してってやつ? それを自分に頼むのはどうかと思うよ。自分に人は殺せない。まして『不老・不死』なんていう神様の威権を覆す力はないよ」
とはいえただの人間に過ぎない自分にできることは多くない。できないことはできないと正直に言うのも強さの一つだと誡に教えてもらった自分は、素直に自分を分析する。しかしドゥは首を横に振った。
「腕力の話ではありません。あなたの使う魔法を頼ってきたんです」
「魔法? それは異常を打ち消す魔法のこと? でもこれじゃあ神が君たちに与えた威権は消せないよ」
「ええ。奏繁さんに消して欲しいのは私の『不老・不死』ではありません。消して欲しいのは師にかかっている呪いたちです。あれを全て消せれば、私が死ぬ算段もつく」
「それはどういう……?」
なぜ他人にかかった呪いを消すことが少年の死に繋がるのか分からない。疑問を呈すると、ドゥは柔らかな眼光を真剣なものに改めた。
「師は、私を殺す術をすでに持っている。けれどその記憶を……魔術で封じられてしまったんです。師が呪いによって命を保つうちに、記憶封じの魔術は呪いへ変質している。だからそれを消せば――」
「待ってくれ。話が見えない。そもそも君の師っていったい。掛けられた魔術が呪いに変化するほど命を保ってるって、いったい何時から……?」
「……彼が私と出会った時から。合間に休眠期間を挟むとはいえ相当な年月だ。師匠は、もう死んでいるのと同じです。呪いを操ることでどうにか身体を動かしている。けどもう彼の魂は限界だ。今の時代、消去の魔法は奏繁さんにしか使えない。しかも今後この魔法が他者に渡る可能性は極めて低い。これが最後のチャンスなんです。彼を解放できる最後の……」
少年はそこで一度言葉を切った。続く言葉を言ってしまうのを躊躇うように。その躊躇いがどんな感情からくるものかは、自分には分からない。だがその感情は決して簡単に消せるようなものではないに違いないだろう。少年はその想いをねじ伏せるようにして拳を握った。
「呪いが消えれば今度こそ師と私は死ぬでしょう。チャンスは一度きり。どうか幾重にも絡み合った呪いの中から記憶封じの魔術を亡ぼし、彼の記憶を取り戻してほしい。そのために、奏繁さんには人格を増やしてもらわねばならないんです。どうか引き受けてはいただけませんか」
「……引き受けるのは構わない。でもいや、ごめん。何を言ってるの? 自分の稀癌は二重人格の稀癌。増やすことなんて──」
「それもご説明します。それにこれは、あなたのためでもあるんですよ」
「どういう意味?」
「師匠──この国で捕尾音宍粟と呼ばれる災厄は稀癌を喰らう。稀癌を呪いに貶め、自分のものにするんです。その時相手は死に至る。稀癌は魂に結び付いたものだから、無理に剥がすと命に関わるんです。そして宍粟は、あなたのご友人の稀癌を狙っている」
「まさか──」
「危機察知の稀癌。かつて出会ったその稀癌を師匠はいたく気に入っていました。あの人が回収するのは育った稀癌だ。時はすでに満ちている。今回は、あの時の稀癌を収穫のするためにこの小さな町へやって来たのですよ」
8【■■ ■月■日 ■■:■■】
師に捨て去られた私は失意を感じながらも生きながらえた。幸い村の人々は優しくしてくれたし、師に救われた命を無闇に捨てるほど、私も愚かではなかったからだ。
それでもやはり、心優しい村のなかによそ者が一人居続けるのも侘しく、成人を迎える頃、私は再び旅人となった。
私は争いが苦手で無力な人間に過ぎなかったが、一族に原始より伝わる能力を有していたことで生計を立てることができた。それは占。初めて誕生した人という種が神の許しを得て自らに課した願い、魂願を視る能力であった。魂願とは、転生によりその存在を忘れても無意識の内に求めてしまうもの。それを知るということは、自らの生きる理由とその方向性を一気に手に入れるのと同義であった。
故に、この能力は金になる。慎ましい生活を心がければ、旅人には十分な金銭が手に入った。加えて私は長い旅の間に呪いを操る術を会得していた。怪しい呪術者から教わったものを、自分の能力によって完成させたものである。呪いは人間の魂を汚し、削り取っていくものだ。だが扱いを誤らなければそれなりに便利なものだった。呪術者は人々から忌み嫌われる存在だ。だがそれでよかった。もとより私は自分の命にこだわりはない。ただ死ぬまでの時間を無為に過ごしていければ、それでよかったから。そうやって、三十年ほどを旅したであろうか。まことに退屈で、心のどこかに穴の開いたような空虚な日々。
だが私の人生は、ある一瞬を持って激変することとなる。




