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哀傷ゾルレン  作者: まじりモコ
第六章 残欠の災禍
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六十話 クリエ



    4【奏繁 七月二十日 22:01】



「あがっあああああああ────!!」


 幾度目かも分からないみっともない悲鳴が飛び出す。自分ぼくはむき出しのコンクリートに膝をついてうずくまった。脳みそで絨毯じゅうたん爆撃でも起きているのかというほど頭蓋が痛い。頭を抱えて脳裏にだけ響く騒音に耐える。


 もうどれくらいこうしているのか分からない。ずっとこうしているような気もするし、ついさっき始まったような気もする。


 建設が途中で放棄されて窓もないビルの中。レゾンの住処すみかであった赤井廃ビルの近く、同じように廃棄された小さなビルの二階に自分ぼくはいた。大きなガラスがはめられる予定だったはずの大穴から外を見る。いつの間にか日が暮れて、遠くに町の光がともっているのが見えた。


「いま何時だ……」


 しばらくもがいていると頭痛がちょっと良くなって、自分ぼくは顔を上げた。ここ数日ずっと悲鳴を上げていたからか、呟く自分の声はかすれていた。喉の痛みと頭の重たさに眩暈めまいを感じながらスマホを探す。手探りで探し当てたそれは、すでに充電が切れていた。


 ただの薄い板になり果てた電子機器を放り捨て、自分ぼくはまた頭を手で押さえる。


 頭の中で、数十の声が絶えず鳴り響いていた。


「くそっ、うるさい。うるさいなっ、ちょっと黙っててくれよぉ」


 呼びかけても声は収まらない。むしろ反発するように大きくなる。ぐるぐる回る視界が気持ち悪くて、自分ぼくは吐き気を抑えた。その時、頭上から声が降りる。


「大丈夫ですか?」


 言葉に似合わない軽さを伴った高い声。自分ぼくはちょっとの恨みがましさを込めてそれを見上げた。


 暗闇に浮かぶような真っ白い髪。好奇心を形にしたような明るい瞳は、遠い町の灯りを吸収して金色に輝いている。人間離れしたその色はどこか天使のようにも思えた。その天使は片手に買い物袋をぶらさげている。


 光源に乏しいビルの薄暗闇の中でも、彼は自分ぼくの不機嫌な顔に気づいたらしい。慌てて訂正するように苦笑する。


「いえいえいえ、大丈夫でも平気でもないのは分かってますよ? 分かってますけどほら、心配で。まだ理性は残ってますかとか、自分を見失ってませんかとかね?」


 言い訳しながら少年は、袋からミネラルウォーターを取り出して自分ぼくに差し出してくる。自分ぼくはそれを受け取って口の中に広がる苦みを胃に押し戻した。


 冷たい水分を取ったせいか、少しだけ意識が明瞭としてくる。


「で、どうですか? 今やっているこれは、相当な荒療治です。特にあなたの稀癌は脳への負担が大きいはずだ。どうです? まだ負けていませんか?」


 隣に腰かけた少年が無邪気に訊いてくる。自分ぼくはそれに頷いて拳を握る。


「当たり前だよ、ドゥ。自分ぼくは君たちを殺して、誡を救わなくちゃいけないんだから」


 力を込めて言い放つ。


 少年は満足げに笑って、どこか悲しそうにうつむいた。



    5【誡 七月二十四日 13:27】



 更科君からの連絡が途絶えて、数日が経った。そこまではいい。彼と私はまだ積極的に連絡を取りあう仲ではないので、大学が無ければ会う機会も少ない。しかし問題はここからだ。


 大学が早めの夏休みに入り、私は自分の研究を進めるために自主登校をしていた。そこで、更科君が所属するゼミの教授から更科君宛ての論文のコピーを渡されたのだ。本人がいないからといって、なぜ私に預けるのか。分からなかったが、私は彼の家に預かり物を届けに向かった。それが昨日のことだ。


 しかし更科君はいなかった。合鍵で部屋に上がると、どうも様子がおかしい。洗面台が乾き、洗濯物が干されていない。テーブルの上には薄く埃が乗っていた。


 彼は数日家に帰っていない。それがすぐわかった。


 争いごとに巻き込まれた風でもなかったのが不幸中の幸いか。彼のことを考えていても、稀癌は反応しない。彼に喫緊きっきんの危険は迫っていないということだ。ここのところ、稀癌の精度は上がっている。漆賢悟の件で発見した新しい使い道に慣れてきたとも言えるか。


 とにかく更科君が無事ならそれでいい。彼の顔をずっと見ていない事実に、胸に空洞が空くような感覚を覚えるけれど、無事ならいいのだ。また会えるのだから。


 預かった論文に要件を書いた付箋ふせんを貼って、私は上城町の商店街に向かうことにした。ルーズリーフの予備が買いたかったのだ。


 そうして預かっている鍵で玄関を閉め、振り向いた瞬間だった。


 一瞬で空気が変わる。地面から急速に蔦が伸びてきて私の足に絡みつく。いつの間にか咲いていた真っ赤なタンポポが綿毛を産み、毒々しい赤色が風に吹かれて空へ旅立った。


 綿毛は空高く飛んでいく。その向こう、丁度商店街がある方向で、花火が上がった。こんな時間に上がるはずもないのに、後を引く飛行音がして、まだ明るい空にぱっと、真っ黒な火花が散った。肉の腐りゆく腐臭が鼻につく。寒気は皮膚を通り越し骨まで凍らせようとするかのようだ。


 私は夏場に相応しくない白い息を吐いた。もう分かっている。これは現実ではない。久しぶりに見た、現実から切り離された自身への警告替わりの幻想。


 稀癌が命の危険を告げている。しかも、過去に無いほど強烈に。


 商店街に行ってはいけない。現実離れした危機がそこにある。


 けれど私は、空気を求めて喘ぎながら先に定めた目的地へ歩き出した。


 危険は私だけに迫っているわけではない。今あそこにいる誰か(・・)が、命の危機に瀕しようとしている。救い出せるのはきっと稀癌きがんを持つ私しかいない。そのはずなのだから。



    6【■■ ■月■日 ■■:■■】



 私が彼と始めて出会ったのはいつだったか。原始の獣たちがその姿を人前に現さなくなった頃だったと思う。

 当時の私は行く当ても目的も無く各地を彷徨さまよっていた。住んでいた村が突如消え、私は逃げるようにして定住できる場所を求めて歩いた。村が消えることなど、当時はまだ珍しくもないことだ。消滅しそこなった妖獣に襲われたか、知らず人々が狂ったか。理由はいくらでも思いつく。

 問題はこれからのことだ。この国はここ数年飢饉が続いていたから、どの村も閉鎖的で、よそ者を入れたがらない。いくつもの村を訪ねては門前払いを受け、それでも諦めずに次を目指す。

 そうして立ち寄った廃村で、私はその男と出会ったのだ。男は干し草をベッドにして眠りこけていた。服装こそボロボロだったが、頬はふっくらとし、血色も良い。男が十分な食事をとっているのは明々白々だった。

 私はその男を襲うために近づいた。襲って金品を奪うのだ。その時の私はとにかく腹を空かし、視界は薄れ、足元もおぼつかなくなっていた。限界だったのだ。他者を犠牲にしなくては、自分の命を保てないほど。

 持っていた護身用の短刀を握りしめて男にそっと近寄る。あと一歩、手を振りかぶる。その時男は目を開けた。

「ん? どうしたかな?」

 咄嗟に刀を隠した私に男は微笑みかけた。その笑みはどこまでも純粋で、私は眩しさに目を細める。ああ、誰かの笑顔を見たのはいったい何時いつぶりだろうか。

 話を聞くと男は放浪者だった。しかし私が思っていたよりも裕福ではないようだ。ただ男は、私なんかよりもずっと、一人で生き抜く術を多く知っていた。健康そうだったのはそのためだ。男は私にそれらを教えてくれた。一時は捨てようとした自分の命は栄養によって豊かになり、他者を躊躇わず害するまでに腐りきっていた心も彼の優しさに潤っていく。

 私はいつしか、彼を心の中で師と呼ぶようになっていた。

 各地を放浪する彼に、私は付いて行く。人間らしい人間である彼と共にいるのは、まるで自分もまともな人間になれたようで心地いい。

 それになにより、私が見上げると男は柔らかく笑うのだ。それが嬉しくて、泣きたくなるくらい降り注がれる慈悲に脳が溺れるほどだった。

 彼のためなら何でもしよう。そう私は思っていた。思っていたのに。

 二年ほど彼と放浪したあと、私たちを受け入れてくれる村に出会った。その頃には国もそれなりに豊かさを取り戻していたのもあっただろう。私と彼は喜んでその村に滞在し、そして彼は私の前から姿を消した。

 眼を覚ますと隣に誰もいなかった。敷いていた布に温もりはなく、随分前に彼が起きたことを教えてくれる。私はもちろん彼を探して村中を走り回った。けれど見つけられない。そして、とある村人の証言で、彼が旅立ってしまったことを知る。師は深夜に起き出して村を出た。彼の荷物は一つも残されていない。その割に私の荷物には少しも手がつけられていなかった。私は数日後にやっと気づいた。彼は私をこれ以上連れて行く気がなかったのだ。

 あれほど懐いていた私を、彼はあっけなく一言の別れも告げず、捨て去ってしまったのだった。



    6【誡 七月二十四日 13:49】



 悪寒がずっと私の体をさいなんでいる。腰から一直線に背筋を這い上った寒気が肩甲骨で枝分かれし、首元と両腕を震わせた。私は自分の体を抱いて何とか浅く呼吸を繰り返す。


 稀癌が危機を訴え続けている。私はその息苦しさを堪えて辺りを見渡した。


 とりあえず商店街まで来たものの、漂う危険クリエが充満しすぎていてどこが震源地なのか分からない。これほどの危険を感じたのは始めてだった。視界は明滅し異臭が鼻につく。寒気がすると思えば火傷やけどしそうな熱気が肌を舐め、耐えがたいモスキート音がそこら中から反響してくる。口の中には腐った臓物を含んだような異味が廻っていた。


 酷い状況だ。体調不良なんてものじゃない。立っているだけで意識を失いそうだ。


 そのくせ商店街は平和だった。まばらな通行人と立ち並ぶ雑多な店。どこにも争いなど起きていない。


 けれど何処どこかに必ず、この危険クリエの原因があるはずだ。私は眉間に力を込めて歩を進めた。もしかすると現場は表通りではないのかもしれない。そこで私は店の間の狭い隙間に入り、裏道へ抜けた。


 裏道は表以上に人影がなかった。大人が二人、両手を広げられないほどの狭い道だ。店の裏側だからか室外機からクーラーの熱気を吹き出だされムッとしている。積み上がった段ボールや空のビール瓶が視界をさえぎる。


 表よりも、こっちのほうが稀癌の反応が強い。感覚的にすぐ近くに原因があるはずなのだが。


 四方から私を押し潰そうとする悪寒に震えながら私は裏道を進んだ。すると何かに足をひっかける。何だろうと顔を向けようとしたが、なぜか視線は前方から離れない。先日も感じた違和感。つまりこれは……。


「……力を抜いてください。私はあなたを助けたい」


 前を見たまま静かに告げる。私の足元で何かがハッとしたようにゆれ、逃げようとする。


 私はそれをとっさに捕まえた。眼球が自由に動くのに任せて、私は掴んだものを見る。


 真っ黒な影に覆われた人型の何か(・・)。この何かが周囲に存在する脅威に関わることはすぐ分かる。やっと見つけた。


 稀癌よりも現実に意識を向けて深呼吸すると、その影が薄れて少女のかたちを取り始めた。


 金色の髪に、頭頂部の黒。つり上がった瞳に涙を湛え、あどけない唇が戦慄わなないている。間違いない。先日のスリ未遂犯だ。


 少女は信じられない物を見るように首を横に振る。


「なんで……どうしてあんた、私をみつけられるの?」


 何かに怯えた少女は私にそう問いかける。だから答えた。彼女を安心させる笑みなど私には作れない。だから代わりに、彼女の頬を優しく撫でる。


「……私がおそらく、貴女の同類だからです。安心してください。」


「同類……?」


「……貴女は魔術を使えますか」


「えっ?」


「……では稀癌という言葉に聞き覚えは」


 尋ねると、弱弱しくかぶりを振る。魔術を知らないならば、彼女はその世界に関係がないはずだ。なら人の視線を逸らす力は稀癌だろう。稀癌は希少だ。その存在どころか、名が広まっていないのも無理はない。私や更科君は詳しい誰かが傍にいたから名称を知っていた。だが、そうでなければ自分の力の名前など知るまい。


「……私も、貴女のように不思議な力が使えるのです」


「あっ、あんたも?」


 唇に人差し指を当てて囁くように告げると、少女がまた目を見開く。その動きで彼女の目の縁に溜まった雫が頬を流れて行った。


「ええ。……私たちの力は限られた人間しか知らないもの。貴女の力は、他人の目線を操るものですね」


「そうっ、──そうだよ。あっ、やっ、違う。私に向く眼しか動かせないっ……ねえ、あんたも?」


「……いえ。稀癌は千差万別。人によって違います。私の能力は危険を察知するもの。だから貴女が危機に瀕していることも分かります。……何から隠れているのですか?」


 問うと、少女の表情が強張る。何事か考え込むように視線がさ迷い、そっぽを向いた。


「あっ、あんたには関係ない。どっか行って」


 顔色を青ざめさせ、泣きそうになりながら言う。それが嘘で、強がりだと簡単に見抜ける。地面にへたり込んだまま動こうともしない。どうしたものか。私に他人を説得するような話術はない。少し迷ったあげく、私はウエストポーチを開いた。


「……大丈夫です。私は普通ではないので」


 中に入っていた拳銃を取り出して見せる。すると少女はぎょっとして後退りしてしまった。


「そっ、それ」


 少女の声は上ずっている。銃を見るのは初めてなのだろか。


「……本物です。私には危険が察知でき、このように戦う術もある。ここに隠れ続けるよりもお力になれると私は考えていますが」


 黒いリボルバーを仕舞いながら彼女を窺い見るが、それでも少女は口を固く引き結んだままだ。


 やはり突然現れた他人を信用しろというのも無理な話なのかもしれない。何より私は彼女に信用されるに値する物を示せていない。この拳銃だって実際に撃って見せるわけにはいかないのだから本物と証明できないのだ。


 決定打が足りない。私は秘かに奥歯を噛みしめた。


 とそこで、私はまだ自分の素性も明かしていないことに気づく。コミュニケーションの第一歩を済ませていなかった。これでは怒られてしまいそう――怒られる、そう、でも誰にだったろうか。更科君でないのは確かなのだが。


「……私は陽苓ようれいかいといいます。こう見えて大学生です。貴女あなたは?」


 片手を差し出しながら自己紹介をする。少女は私の手を取らない。自分を守るように右手を左手で包んで胸に抱えている。けれど、握手を交わさない代わりに応えてくれた。


焚実たざね……久祈くおり。中二……です」


「……久祈くおりさんですね。覚えました。それで久祈くおりさんは──」


 私は頷いて再度彼女の現状を確かめようとした。しかし久祈さんの肩がびくりと揺れる。その眼は私を捉えていない。裏路地のその先を向いている。ありありとした恐怖に見開かれたその瞳越しに見えた影に、私の心臓が跳ねる。


 人影は男の体格をしている。夏だというのに分厚いコートをまとったシルエット。それだけで異形なのに、私の心臓を襲うこの危機感は。


 臓腑ぞうふの裏返るような衝撃。直視せずとも分かる。あれは良くないものだ。そして同時に覚る。きっと彼女はこの化け物から逃げていたのだ。


久祈くおりさん立って!」


 腕を掴んで無理矢理引っ張る。腰が抜けているらしい久祈さんの腰に手を回して強引に立たせた。


「走ってください!」


 男に背を向けて駆けだす。振り返らずとも、男がにたりと笑ったのが分かった。




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